第6話 ツンデレ王女と四枚の金貨
「私は、レレナ・アティリアと申します」
まっすぐに見つめてくるリリアーナ様の視線を受け止めながら、私は丁寧な口調で、はっきりと自分のフルネームを名乗った。
嵐のような彼女がこの店にやってきてから数分。ようやく、まともな自己紹介のタイミングが訪れたのだった。
「レレナ、ね」
私の名前を聞いたリリアーナ様は、薄い笑みを浮かべ、そう口にした。そして、私の首元に突きつけていた扇子をスッと離し、ゆっくりと音を立てずに開いて口元を隠し、小声で何かを呟き始めた。
「……この子、王族の私に怯えることなく、真っ直ぐな目で名前を告げたわね。しかし、レレナか。名前はいいじゃない。なるほど、兄上が気になった意味が少しわかった気がするわ」
そうぶつぶつと呟くリリアーナ様に対し、私は不思議そうな表情を浮かべながら、彼女に視線を向けた。
「あの……何を言っているんですか?」
私がそう声をかけると、リリアーナ様はハッと我に返り、慌てて元の威厳ある顔つきに戻ろうとしたが、彼女の顔は少しだけ赤かった。
「何でもないわよ、レレナ」
「でも今、私の名前のこと……」
「言ってないわよ、そんなこと……っ!」
リリアーナ様は顔を赤くし、手にした扇子をパタパタと忙しなく振って誤魔化そうとしている。
そんな不器用な姿を見て、私は胸が温かくなるのを感じた。
(さっき『可愛くない』と言われたのは腹が立ったけれど……うん、あれはもう水に流してあげよう)
私はふと察してしまった。このお姫様は、生意気な少女に見えて……実はナセド様と同じように、素直で優しい心の持ち主なんだな、と。
「ともかく、あなたの顔は見たからね。『平民の娘』」
(あ、呼び方を戻した。やっぱりこのお姫様、少し可愛いかも……)
私は彼女のそんな不器用な姿に、にこやかに笑みを浮かべて「はい」と頷いた。
するとリリアーナ様は腰に手を当て、パチンと閉じた扇子を今度は私の顔へと向けてきた。
(今更だけど……私、何度か扇子を向けられているけれど、お貴族様にとってこれが当たり前かしら?)
私は立て続けにリリアーナ様に扇子を突きつけられたことで、『貴族の世界とはこういうものなのだ』と一人で勝手に納得した。
「レレナ。兄上に迷惑をかけないよう、しっかりとお茶会に臨みなさい。言うことはそれだけよ。行くわよ、ナット」
そう強く言い放つと、リリアーナ様は左手に持っていた扇子を胸元にしまい、優雅にくるりと背を向けて、カツカツとヒールの音を立てながら店の入り口へと歩き出した。
「はい、わかりました、お嬢様」
ナットさんも一礼し、その後に続く。
(って、また名前で呼んでるし! 本当に素直じゃないんだから)
私は、そんな彼女の不器用さに小さくふふと笑った。
そのまま二人が出ていくのかと思ったが、ナットさんは数歩歩いたところでピタリと足を止め、静かに私の方へと向き直った。
「――けど、その前に」
ナットさんは黒い服の懐から、何かを取り出した。
それは、表に半月、裏には二本の柱が刻まれた『金貨一枚』だった。ちなみに他の硬貨も同じ柄なのだが——まぁ、今はそれよりも、だ。ナットさんはそれを、すまないといった顔つきで私に差し出してきた。
「こ、これは?」
私は困惑した表情を浮かべ、彼の手元を見つめた。
「私達が少しお騒がせしてしまったお詫びです」
「えっ、そんな、いいですよ! たいしたことではありませんし」
まぁ、店内は少しざわついていたけれど、いつかの酔っ払い客に比べれば全く問題にならない程度だ。ただ私と少しお話ししただけだ。それだけで金貨一枚なんて大金をもらうのは、いくらなんでも気が引ける。
私は遠慮して、差し出された彼の手を押し返そうとした。
「いえ、どうか受け取ってください」
しかし、ナットさんは申し訳なさそうな顔のまま、引かない態度で金貨を差し出してくる。
「……わかりました。ありがたく受け取っておきますね」
彼の真摯な気遣いに負け、私は結局その金貨を両手で受け取った。
「ナット! 早く来なさい!」
私がお金を受け取ったのと同時に、店の入り口で待っていたリリアーナ様の呼ぶ声が響いた。
「はいはい、今行きますよ」
ナットさんは少し気の抜けた声で適当に返事をすると、店のお客さんたちに向けて「お騒がせしました」と深く頭を下げた。そしてリリアーナ様の方へ向かい、二人は一緒にレストランを出て行った。
嵐のような二人が去り、静まり返っていた店内は、再びざわつき始めた。
「なんだよ今の……本当に王族か?」
「この店の看板娘に暴言なんて、いくらなんでもひどいよな」
客たちから同情や不満の声がこぼれる中、厨房の奥からファナおばさんが慌てた様子で出てきた。どうやら、一部始終を厨房から見ていたらしい。
「大丈夫かい、レレナ?」
おばさんは私のそばまでやってくると、心底心配そうな顔で優しく声をかけてくれた。
「えぇ。少し失礼なことを言われたけれど、平気です」
(自分でも可愛いとは思っていないけど、あんな風に面と向かって言われたら、さすがに腹が立つ。でも、リリアーナ様はちゃんと謝ってくれたから平気だわ)
ファナおばさんが心配しないように、私はにっこりと笑顔を作った。すると、おばさんはホッと息を吐き、左手で胸を撫で下ろした。
「そうかい。しかし……まさか、うちの店にリリアーナ様が来るとは思わなかったわ。ナセド殿下だけでも驚きなのにさ」
「ですね、おばさん」
私は静かに頷き、顔を上げて、ナットさんから受け取った金貨を両手で差し出した。
「それとさっき、あの王女様の従者の方からお詫びとして金貨を受け取ったので、はい、これをどうぞ。お店に入れてください」
しかし、おばさんは受け取ろうとせず、真顔ではっきりと首を横に振った。
「いらないよ」
「えっ、どうしてですか?」
私が不思議そうな顔をして尋ねると、おばさんは優しく微笑んで言った。
「それはあんたが持っておきな。明日の服を買う足しにしなさい」
私は困ったように眉を下げ、遠慮するような顔つきで「そんな、受け取れませんよ!」と、もう一度金貨を差し出した。
「いいから、いいから」とおばさんは軽く横に手を振り、頑なに受け取ろうとしない。結局その熱意に押し負けた私は、「……わかりました。ありがとうございます、おばさん」と深く頭を下げて礼を言った。
私はもらった金貨をエプロンのポケットに大切にしまうと、おばさんと一緒に厨房へと戻り、仕事の続きに取り掛かった。
(これで服に使えるお金は、イフェドさんに両替してもらった金貨三枚に加えて、今もらった金貨一枚で、合わせて金貨四枚になったわ)
厨房で受け取った料理を客席へ運んでいる最中、私はふとそんなことを考える。
(でも、あまり高級すぎる服は買わないようにしよう。私にちょうどいい服の方がいいに決まってる。リリアーナ様みたいな立派なドレスも素敵だけど、私には少し気が引けちゃうからね)
とはいえ、初対面で「可愛くない」と言われたままでいるのは、なんだか悔しい気もする。たとえ、自分では可愛くないと思っていても。
(あんな風に言われたら、やっぱり少し見返してやりたいわね。高級な服じゃなくても、私に似合っていて……ナセド様の隣に立っても恥ずかしくない服を見つけよう!)
そう心を決めて、私は残りの仕事をテキパキとこなしていった。
レストランに、ナセド様ではなく王女様がやってくるという信じられない大騒動はあったものの、その後は大きな揉め事もなく、私はいつも通りの日常を過ごすのだった。




