第1‐5『妄想依存少女の青春』
これでようやく告白イベントが終わります。
心臓の高鳴りが、開きかけていた私の口を閉ざした。彼は真っ直ぐに私を見つめてくる。心臓が破裂しそうなほど脈打って、息苦しさから今すぐこの場から逃げ出したいのに、一歩も動けない。顔も逸らせない。
息苦しい。つらい。きつい。
これじゃ、まるで拷問だ。
「自分から話しかけるわけでもない。率先して他人に関わろうとしているわけでもない。それなのに、見かけるたびに君の周りには人が増えていく。それが僕には不思議で仕方なくて、気がつけば君のことばかり考えるようになっていた。君のことを考えていると、なぜか胸が高鳴った。君の姿を見かけると、なぜか無性に嬉しくなった。君がほかの男子と話していると、なぜか落ち着いていられなかった」
もう、それ以上何も言わないで。
何も考えられない。
「僕はこれまで、恋がどういうものなのかわからなかった。これまで女子生徒から告白されたことは何度もあったけど、一度もその気持ちを理解できなかった。だから、自分はどこか他の人とは違うんじゃないか、自分の心はどこか壊れているんじゃないかって悩んだこともある。恋っていう感情は、自分とはどこか遠くかけ離れた、異質なものなんじゃないかって。だけど違った。違ったんだ」
恋がどういうものなのかわからない。
それは私も同じだ。
恋をすると相手のことばかり考えてしまう。
胸がどきどきする。
顔が熱くなる。
そういうものだと、漫画やアニメの中で当たり前みたいに描かれているから、漠然とそれが恋なのだと思っていた。
じゃあ、今のこの胸の鼓動が恋だとでも言うの?
わからない。
恋を経験したことのない私には、理解できない。
わからないから、これ以上何も言わないで。
私をこれ以上苦しめないで。
「だ、だからって、な、なんで私なのよ」
「そんなこと言われても、好きになっちゃったものはどうしようもないだろ?」
そう言って肩をすくめる佐久間清一朗の姿は、これまで教室で見てきた、どこか年上のように落ち着いていて、大人びた完璧な優等生というより、年相応の少年のように見えた。
それから彼は小さく咳払いをひとつして、改めて居住まいを正すように背筋を伸ばした。そして、じっと私へ真剣なまなざしを向ける。
「僕は、佐久間清一朗は、宮前夢路さん、君に恋をしています」
暮れなずむ夕日に染まる教室には、私と彼の二人しかいない。校舎の内と外のどこか遠くから、生徒たちの声がかすかに聞こえてくる。なのに、この空間だけが現実から切り離され、どこか別の世界にでも迷い込んでしまったようだった。
今、目の前で起きていることが、とても現実のこととは思えない。夢か妄想のどちらかとしか思えなくて、天地の境目すら曖昧になったみたいに、足元がふらつきそうになる。
「宮前さん、何度でも言うよ。僕は君のことが好きだ。この言葉に嘘も偽りもない」
その言葉を聞いた瞬間、ほんの数時間前まで確かにあったはずの、平凡で、怠惰で、鬱屈としていながらも静かで穏やかだった私の学園生活が、とてつもなく遠くへ去っていくような不安に襲われた。
なのに胸の鼓動は高まる一方で、自分でも理解できない感情に振り回され、私は何ひとつ考えられなくなっていた。
「言っておくけど、これはドッキリでも、質の悪い罰ゲームでもないからね」
私が何も言えず黙り込んでいるのを見て、不安そうに、けれど慌てたようにそう言う佐久間清一朗。私はただ困惑していて、何と答えればいいのかまったくわからない。
「い、いや、あの、その……」
「あまりに突然なのはわかってる。だけど僕自身、この感情を抑えることができないんだ」
なんで私が、こんな目に遭っているのだろう。
なんでよりにもよって、この場に立たされているのが私なのだろう。
ここにいるのは、地味で平凡で、基本ネガティブで、利己主義で、偏屈なオタク女子の私だ。こんな場面で告白されるのは、本来なら漫画やアニメやライトノベルの中で、異性を惹きつける要素をちゃんと盛り込まれたヒロインの役目だ。
断じて、私なんかじゃない。
「宮前さん、できれば返事を聞かせて欲しい」
告白イベントのシミュレーションなら、飽きるほど経験している。相手も展開も、実にさまざまなパターンを想定して。
もっとも、あくまでも妄想の中での話だが。
しかも、そこに登場する私は、どんな対応をしても許されるレベルにまで美化された完璧美少女仕様であって、この地味で平凡で性格に難のある陰キャオタクの私ではない。それに、所詮妄想の中の告白イベントは漫画やアニメが土台になっている。現実のそれとは、まるで別物だ。
答えは二つしかない。
選べるのは一つだけ。
彼と付き合いたいのなら頷けばいいし、付き合いたくないのなら首を振ればいい。本来なら、それだけのはずだ。それだけの、単純な二択のはずなのに。だけど、その単純な二択が、今は信じられないほど私を苦しめていた。
私は佐久間清一朗という異性を、どう思っているのだろう。
少なくとも、嫌いではない。それだけははっきりしている。むしろ、魅力的だとすら思っている。彼に対して少なからず好意を抱いていることも、自分でわかっている。そもそも私は爽やかなイケメンが好みで、彼の容姿は私のストライクゾーンど真ん中である。真面目で、何事にも一生懸命で、意外と負けず嫌いなところがあるのも、少し子どもっぽくて可愛いと思っている。いつも穏やかで優しく、明るくて、誰とでも分け隔てなく話す彼に、好感を持たないわけがない。
私のような卑屈で根暗な陰キャ女子の目から見ても、佐久間清一朗という異性は、とてつもなく魅力的だと思う。
何度も、佐久間清一朗が彼氏だったら、という妄想はしてきた。
けれど、そのとき隣に立っていたのは、妄想の中にしか存在しない完璧な美少女の私であって、この現実の私ではない。佐久間清一朗の隣にいるのは、理想の美少女・宮前夢路であって、地味で平凡な現実の私ではないのだ。
そんな彼が、今こうして告白してきた。こんなことは、きっと私の一生の中で最初で最後かもしれない。
じゃあ、だからって付き合うの?
いい人だから?
好みの男子だから?
この鳴りやまない鼓動が、恋だから?
顔が火照るのも、恋だから?
さっきからずっと彼を意識してしまうから?
だから、付き合うの?
一瞬、私は頷きかけた。けれど、その寸前で、あるひとつの思考が私の動きを止めた。
本当に、それが恋なの?
さっきから心臓が高鳴るのも、顔が紅潮するのも、彼を意識してしまうのも、単純に異性から告白されているという緊張した場の空気に当てられているだけじゃないのか。
そんなこと、わからない。どれが正解なのか。何が正解なのか。どんな行動をすればいいのか、わかるはずがない。
これは現実だ。恋愛ゲームやギャルゲーみたいに選択肢が表示されて、それを選べばいいわけじゃない。
答えは、自分で探して、自分で選ぶしかない。
パンク寸前なほど思考が頭の中を埋め尽くし、私は何ひとつ答えることができなかった。気まずい沈黙が続く中、佐久間清一郎の顔に落胆の色が差したのを見た瞬間、私は強い罪悪感を覚えた。
「ゴメン」
彼は短い言葉を、まるで鉛の塊でも吐き出すかのように苦しげな様子で言った。それが私の心をさらに切なくさせた。私が何か彼に対して、悪い事をしているかのように感じた。
彼は私の沈黙を拒絶と受け取ったのか、私が断ろうとしているのだと思ったのか、落ち着きなく視線をさまよわせた。
「……そっか。ごめん。それじゃ、もう帰るよ」
力のない声でそう言うと、彼は身を引くようにその場を去ろうとした。
「ま、待って!」
佐久間清一朗が顔をそむけた、その瞬間だった。
暗く沈んだ、ひどく悲しげな横顔が目に入って、私は無意識のうちに、教室を出ていこうとする彼の背中へ向かって叫んでいた。
私の大声に、彼ははっとしたように振り返る。その表情には、かすかではあるけれど、何かを期待している色が見て取れた。
このとき、私は自分の軽率な言動を心から悔いた。自分でも、なぜ彼を引き止めたのかよくわかっていない。彼が期待するような返事をするつもりなどないのに、私の思考はまださまざまな考えにかき乱されて、ひどく混乱していた。
ならば、あのまま行かせてしまえばよかったのかもしれない。
そう思った。けれど、それを強く否定する自分の存在にも気づいていた。
いや、違う。そうじゃない。
たとえ返事を決めきれていなかったとしても、私の気持ちを確かめもせず、答えを決めつけたまま去られるのは嫌だった。
何がそんなに不快なのか、自分でもうまく説明はできない。けれど、私のことをろくに確かめもせず、わかったつもりになられるのは耐えられなかった。
それだけは、どうしても許せなかった。
私のどうしようもない駄目な大人の見本であり、同時に人生の手本でもある叔父の言葉を借りるなら、他人がどうしたいかなんて考えるより、自分がどうしたいのかを考えたほうがいいに決まっている。自分の人生なのだから。
まったくその通りだと、私は思う。
静寂の中、私は黙ったまま彼を見つめ返していた。今度は私が、真剣に彼を見つめる番だった。
立場が逆になったかのように、今度は彼の方が緊張し、声も出せないままその場に立ち尽くしていた。
まるで判決を待つ罪人のような悲壮な覚悟で、その時を待っている。
私はこれまで異性と付き合ったことなんて一度もない。
当然ながら、初恋さえも経験していない。
佐久間清一朗に対するこの好意が、恋と呼べる感情なのかどうかさえも疑わしい。
それでも、私はどちらかを選ばなければならない。
イエスかノーか。彼の告白を受け入れるのか、拒絶するのか。
この際、佐久間清一朗がどう思っているかなんて関係ない。大事なのは、私が何を思い、どうしたいのかだ。
「佐久間清一朗君、私は、私は――」
ダメでクズで酒浸りの社会不適合者である叔父が、珍しくまともな顔をして言っていたことがある。人生は選択の連続で、ひとつ選ぶだけで、それまでの日常がひっくり返ることもある。そして一度選んだ以上、正しかろうが間違っていようが、もう二度とやり直せないのだと。
……もっとも、叔父自身は間違いしか選んでこなかった気もするが。
なんにしても、私はひとつの答えを選んだ。しかしその時の私は、まだ何も知らなかった。この選択が、これからの学園生活だけでなく、私の人生そのものを大きく変える転機だったことを。それを本当の意味で知るのは、まだずっと先のことになる。
次回は、夢路が佐久間清一朗の告白に対してどうしたのか、そしてそれによって学園生活がどのように変化したのかを描いていきます。
また、長文になるゆえに、投稿はかなり先になるかと思います。




