21.一喜一憂
嫌いな夏が始まった。この世界の四季は暦通りに劇的に変化する。心地良い春が終わると、初日から真夏日を越える気温だった。私はその急激な温度変化に身体がついていけず、加えてタイミング悪く月のものが来たせいでベッドから起き上がれなかった。しかし起き上がれない原因がそれだけではないことを私は自覚している。
(なんでよりによって私のことだけ…)
またしても精神的に参っていた。今度は倦怠感が酷く、身体を少し動かすのも億劫なほど気力が失われている。
カイトは昨日ようやくサリア様の記憶を取り戻した。それはめでたいことではあったけれど、一昨日彼とデートをしたのは私だし、その時に色々私との思い出を話したにも関わらず思い出したのがサリア様との記憶だけというのがどうしても解せない。
(仕方がないじゃない。カイトは別に悪くない。それに古い順に思い出していくのかもしれないし。そしたら今度こそ私との記憶を取り戻してくれるはず)
(サリア様との記憶だけ戻って、このまま私のことを思い出してくれない可能性だってあるんじゃない?もしかしたら私のことが嫌いだったのかも。やっぱり私はただのサリア様の代わりだったりして)
私の中の天使はカイトを擁護し、悪魔は彼を疑う。グルグルと悪い思考を繰り返して止めることができなかった。そんなことをくさくさ考えている自分にも嫌気がさしてくる。
(ああ、暑いしイライラする…)
外的要因やホルモンの内的要因まで絡んで、頭の中はぐちゃぐちゃだ。
「アリサ様、氷嚢の替えをお持ちしました」
「ありがとうございます」
「例年通り涼しくなる工夫は凝らしているのですが…」
毎年夏になるとカーテンは分厚い布で遮光性を上げ、氷柱を入れた桶を部屋に数か所置き、風魔法で空気を循環させてもらっていた。エアコンほどではないがある程度涼しくなる。加えて身体には氷嚢を常に当て、水分補給をこまめにして脱水症状にならないように気を付けている。それでも今は大変暑く感じられた。
「氷と一緒に溶けてしまいそうです」
「それは困りました」
リリアンさんを困らせたくはないのだけれど、私も他人に気を遣う余裕がない。
(せめて涼しかったら少しは気分もマシになる?)
色々なことが同時に襲ってきて首が回らなくなっているなら、原因を1つずつ取り除いていくことで少しは余裕ができるだろうか。月のものはどうしようもないので終わるのを待つとして、後は暑さと機嫌だ。暑さで思考能力が抵抗していることは否めないので、涼しくなったら多少は良くなるかもしれない。
「リリアンさん、地下の倉庫にベッドを置けませんか?」
「え?あの物置部屋にですか?」
「はい、まだあまり埋まっていないですよね?」
この豪邸には地下室も完備している。主に食料を備蓄しているのだが、それ以外にも今使わない家具や小物などはそこに入れておいてある。ただ私たちがこの豪邸に住み始めてからまだ1年ちょっとなのでまだそれほど占有していないはずだ。それならシングルベッド1つくらいは置けるのではないか。
「置けるか置けないかで言ったら置けますけど、まさか物置で寝るおつもりですか?」
「はい。背に腹は変えられません。あそこならここよりも涼しいはずです」
「しかし…」
主人を物置に寝かせるなんてと彼女の倫理観が首を縦に振ってくれない。
「リリアンさん、このままだと私、暑さでやられてしまいます」
「…畏まりました。すぐに用意いたします」
倫理観よりも私の体調を優先してくれるリリアンさんは良い従者である。
しばらくして用意ができたというので、私は重たい身体を起こして地下室に赴いた。
(地上よりマシだわ)
呼吸が少し楽になった気がする。このまましばらくは地下室倉庫で暮らそうと心に決めた。
身体の熱が少しずつ下がってくると、今度はカイトのことを考えた。
(手紙の返事も考えなきゃなぁ)
しかし、こんな心持ちでは良い返事など全く思い浮かばない。良かったねなんて白々しいし、今の気分だと私のことは?なんて恨み言を書きそうだった。
(ああ、なんて醜いんだろう)
サリア様との記憶が戻ったことを素直に祝福出来ない自分に嫌悪を感じる。カイトは多少の混乱や戸惑いの中、いち早く情報を伝えるためにわざわざ私に手紙を書いてきてくれた。手紙にも『きちんと思い出せるのだと自信が付いた。次こそは君のことを思い出してみせる』と書いてあったではないか。つまり彼はこの手紙を朗報だと思って私に送ってきている。なのに私はそれを素直に受け止めきれていない。その割りなき心が自分でも面倒臭いし、矮小だなと思う。
(彼のこと、信じて待ちたいのに)
何でピンポイントで私のことだけ思い出せないんだろうと考えてしまう。偶然なのだろうか。そんな偶然ありうるのだろうか。分からない。きっとカイトにだって分からないことだ。
夕方になってリリアンさんは氷嚢を、ニーアムが夕飯を地下に持って来た。リリアンさんは氷嚢を交換しながら私に訊ねてくる。
「アリサ様、カイト様への手紙のご返信はいかがいたしますか?」
「…リリアンさんから私が体調不良だと返信しておいてくれませんか?」
私は変に何か書くくらいなら体調不良を理由に返信しないでおこうと思っていた。リリアンさんがそう代筆してくれるなら手紙の返信が来ないと悶々と心配されるよりは良いだろうと思ったのだ。
「構いませんが、珍しいですね。何かあったのですか?」
「え?」
「普段のアリサ様ならカイト様へ心配を掛けぬよう、体調不良を隠してでも手紙の返事を書くと思いましたから。何かあったのかと」
「……」
流石にこの専属侍女は鋭い。確かに普段の私なら絶対にそうする。体調不良だとわざわざ言って心配なんかさせない。
私は逡巡した。私の心の機微などリリアンさんに言っても仕方のないことだ。自分の機嫌は自分で直さなければ。
「何でもな…」
断ろうとした時、リリアンさんと目が合った。その目はまた相談してもらえなくて悲しいと訴えかけて来ているようだった。
(ああ、そっか。私はまた同じ轍を踏もうとしているんだ)
私は心の内を話すのが嫌いだ。特に負の感情は話したくない。弱い自分、醜悪な自分、矮小な自分など曝け出したくない。他人にはよく見られたい。浅はかな見栄っ張りである。カイトはそれを秘密主義と表現していたっけ。けれどそういう自分を隠そうとしている行為自体が弱く、醜悪で、また矮小なのかもしれない。少なくとも私は今それでリリアンさんを困らせ、悲しませている。このままだとまたシャーロットさんにも迷惑をかけてしまう可能性がある。
私は先ほどの言葉を取り下げた。
「すみません、何かありました。…昨日の手紙でカイトがサリア様との記憶を取り戻したと書かれてあったんです」
「左様でございますか!それは喜ばしいことですね」
「ええ、でも私との記憶はまだ少しも思い出せていないみたいで。…私、素直に喜べなくて。何で私だけ忘れられたままなんだろうとか、私のこと嫌いだったのかなとか、カイトを信じて待ちたいのに全然上手くいかなくて、そんな器の小さい自分に嫌気がさしてくるし、こんな心持ちで手紙の返信を書いたら恨み言を書いてしまいそうで怖かったんです」
「アリサ様…心中お察しいたします」
「ごめんなさい、下らない愚痴を溢しました」
私が俯いていると、リリアンさんは優しく手を握ってくれた。
「下らなくなんてありません。素直に喜べないのも、カイト様に一言仰りたい気持ちもとてもよく分かります。何もアリサ様だけがそういうふうに考えてしまうわけではありませんから、自分を嫌になる必要はありませんわ。普通の心の動きです」
「リリアンさん…」
「カイト様には私からアリサ様が体調不良だということだけ簡単に伝えておきましょう」
「ありがとうございます」
リリアンさんに話したら少しだけ気分が軽くなった。
翌日カイトから体調不良を労わる手紙が届いた。リリアンさんはきちんと報告してくれたらしい。
2日ほどで身体の倦怠感は少し良くなった。それからも私はしばらくの間1日中地下で生活しようと思ったが、それはそれで健康に悪いとリリアンさんから説教をくらったので、仕方なく早朝の暑さがまだマシの時間帯に散歩に出かけることにした。ちなみにランニングも乗馬も夏の間はしないと決めた。したら多分死ぬと思う。
(早朝でも十分暑いけどね…)
日が低いだけマシなのだが、少し歩いただけでそれなりに汗ばんでくる。夏バテと気落ちで体調も万全ではないので散歩の時間はそれほど長くはないけれど、毎日外に出て少しでも太陽を浴びることが大事だとリリアンさんに言われた。確かに精神的にもその方が良さそうではある。
そんな生活が始まって夏も10日ほど過ぎた。カイトからそれから調子はどうかという確認と良かったらまたどこかに行かないかというデートの誘いを手紙でもらった。
(暑いのと体調不良を我慢して、上手く取り繕いながらデートできる?)
自問して見たけれどできそうになかったので断った。そしたら今度は少しでも良いからお見舞いがしたいという。これに関しては断るのも無粋だと思ったので承諾した。
そうしてお見舞い当日、カイトは美味しそうな果物を手土産にやって来た。
「ありがとう。あとで美味しくいただくね」
「ああ、それにしても顔色が良くないな。夏バテって聞いたけど、ちゃんと栄養のあるもの食べている?」
「うん、でもなかなか身体のダルさが抜けなくて。暑くて仕方がないのよ。最近はもう地下室で生活しているわ」
「それは却って不健康なんじゃないか?」
「早朝だけ外に出て散歩している」
「そうか。夏が苦手とは聞いていたがここまでとはな」
「急激な温度変化に身体がついていかないの。だから毎年この時期になると大抵体調を崩している。慣れてくると回復してくるから気にしないで」
「それは毎年大変だ。ゆっくり休んで」
「ありがとう」
カイトは気を遣ってくれたのか吃驚するほど早く帰って行った。
(もっと一緒にいたかったな)
これはこれで物足りない。というか真摯に気遣ってくれる姿勢で、カイトのことをほとんど許している自分がいた。サリア様に嫉妬したり、彼を疑ってみたり、本当に自分が馬鹿みたいだ。
(うーん、面倒な乙女心がさく裂しているわね…)
内心深く反省する。今度は体調を万全にしてしっかりデートしてもらおうと思う。
「アリサ様、ご気分は晴れました?」
「リリアンさんは超能力者なんですか?」
「ふふっ、お顔を見ていれば分かりますわ」
私は自分の両頬を挟んだ。そんなに分かりやすいだろうか。
「あんなに心配してもらうと妬いたり疑っていた自分が馬鹿みたいだなって思いました」
「では「夏バテ」ももうすぐで治りそうですね」
「はい」
気落ちしていた気分が上向きになれば体調もきっとすぐ良くなるに違いない。
ところがとんでもない不測の事態が発生してしまった。それが発覚したのはお見舞いの翌朝のカイトの手紙だ。
「アリサ様、カイト様から手紙が届いています」
「ありがとうございます」
(何だろう?)
前は毎日文通をしていたが、体調不良になってからカイトは用事のある時以外は手紙を寄越さなくなっていた。お見舞いの昨日の今日で手紙とは一体どうしたというのだろう。私はベッドに腰掛けながらカイトの手紙を読んだ。
『昨日お見舞いの直後、外で声の出ない侍女に引き留められた。彼女は紙で君の体調不良の本当の理由が「自分のことは思い出せてもらえなかった」と深く気落ちしているからだということを教えてくれた。信じて待とうとしているのに疑ってしまう自分を酷く嫌悪しているとも。
アリサ、本当に申し訳ない。俺は君の優しさに甘えていた。いつまでも待つと笑って言ってくれる裏で、君が深く傷ついているのだということを忘れてしまっていた。サリアの記憶が戻ってきたという報告も全く配慮を欠いていたと深く反省している。昨日のお見舞いも無遠慮に申し訳なかった。
この件に関してアリサを苦しめているのは俺であって、君自身が自分を苛むことなんて何1つないんだ。アリサの心傷の責任の全ては俺にある。
ここで1つ、俺からの提案だ。アリサがもし待つことに耐えられない、苦しくて仕方がないということであれば、俺は離婚も仕方がないと思っている。このまま思い出すかどうかも分からない状況でアリサを引き留めておくことがどれほど残酷なことか、昨日遅ればせながらようやく気付かせてもらった。
君の今後の人生がより幸福になる道を検討してほしい。俺はアリサが幸福であることをただ祈っている。』
私は手紙を床に落とした。
「アリサ様?」
「何で、どうしてこんなこと…」
様々な思いが去来して言葉にならなかった。ただ涙だけがボロボロと溢れて止まらない。
「失礼します」
異変に気が付いたリリアンさんが手紙を拾って読み始めた。みるみるうちに表情が険しくなっていく。
「ニーアム!!何てことを!!」
最後は鬼のような形相で今はこの場にいない少女の名前を叫んでいた。
「アリサ様、大変申し訳ございません。私の監督不行届きでございます。ニーアムには私から厳しく指導しておきます。それから離婚につきましてもアリサ様のことを案じて提案してきただけであって、カイト様の本意ではないでしょうから気にすることはありません」
「本当にそう思いますか?」
「え?」
「体よく書いてますけど、カイト、私のこと面倒になったんじゃないですか?思い出せないのがもどかしいのに、まるで急かすようで、そんなふうに今か今かと待たれるのが重たいなって、めんどくさいなって嫌になったんじゃないですか?だってこのままの関係でいても幸福になるか分からないから離婚も視野に入れておいてってことですよね?……俺が一生をかけて幸せにするって言ってくれていたのに、今の彼にはその気がなくて、私は幸せをお祈りされるだけですよ」
「邪推と曲解が過ぎます。全てアリサ様のためを思って仰っているだけで、今のカイト様には引け目がありますからあまり強く「俺が幸せにしてみせる」という発言はできないのでしょう」
「分かりません、分かりません!!」
私は両手で顔を覆って俯いた。ニーアムが私のためを思ってやってであろう行いが裏目に出てしまっていることも悲しかったし、私の人としての小ささがカイトに露呈してしまったことも悲しいし、カイトから離婚という2文字が出てくることも悲しかった。
「…もういいです。私、カイトが待たれるのが辛いと言うなら別れようと思います」
「投げやりなことを言うものではありません」
「でも!」
興奮する私をリリアンさんは優しく抱き留める。
「アリサ様、少しだけ私の話を聞いてはくださいませんか?」
「…はい」
リリアンさんは落ち着いた口調で話し始めた。
「今、アリサ様がそのように仰ったのは、待つのが疲れたからですか?それともカイト様のことを思ってそう仰いましたか?」
「カイトが苦しいと言うならそれでも良いと思いました。自分が疲れたからではありません」
「では、カイト様も同じことを思ってアリサ様に提案しているとは思いませんか?」
「同じ気持ち?」
「はい。アリサ様はカイト様が待たれるのが辛いなら別れても良いと仰いました。それと同じようにカイト様はアリサ様が待つのが辛いなら別れても良いと思われたのでしょう。そこにはアリサ様が疑ったような、待たれるのが面倒という気持ちはなかったと思いますよ」
「リリアンさん…」
「アリサ様、動揺する気持ちは分かりますが、落ち着いて良く思い出してみてください。カイト様はアリサ様が疑うような卑怯で甲斐性のない方でしたか?」
リリアンさんの言葉にハッとした。
「違います」
「はい、私もそう存じます」
あまりにもパニックに陥って分からなくなってしまったが、彼女の言う通り、カイトは私を蔑ろにするような人ではない。むしろ私のことを慮って言ってきたと考える方が自然である。
「ありがとうございます、目が覚めました」
「とんでもないことでございます。むしろニーアムがご迷惑をおかけして申し訳ございません」
「いえ…あの、あまりきつく叱らないで上げてください。きっと悪気があってやったわけじゃないと思うので」
「そうだとしても侍女には口を閉ざす義務があります。おいそれと許すわけには参りません」
「ほ、ほどほどに…」
この件に関してリリアンさんは相当お冠のようだった。侍女頭であるリリアンさんからの雷はさぞかし堪えるだろう。
私が落ち着いた頃にリリアンさんは部屋を出て行った。それから私は地下室で1人、カイトの手紙の返信を考えた。かなりの時間を費やして夕刻間際になってようやく送る内容が決まった。
『隠さずに話をすると、時折待つのが辛く感じることはあるわ。でも、離婚はしない。あなたが待たれるのが辛いから離婚したいと言うのなら考えるけど、そうでないなら離婚はしたくない。私はあなたを愛している。辛くとも苦しくとも思い出されなくとも、その気持ちは変わらない。それが全てです。私は2人で幸せになりたい』
長文は冗長のような気がした。言いたいことはこれだけなのだ。長いから良いというものでもないだろう。
手紙には涙でインクが滲んでしまっている箇所があった。書き直そうか迷ったけれど、このまま送ることにした。この涙も含めて今の私の気持ちである。
(私は怒っているのよ)
例え私を慮った言葉だったのだとしても、離婚なんて言葉は使ってほしくなかった。手紙にも書いたように、待つのが辛いのはカイトを愛していることの裏返しだ。それで関係を断ったとしても何の解決にもならないと私は思う。
(苦楽を共にするのが夫婦でしょ?)
今まで遠慮していたが、次に会ったらもうそろそろ家に戻ってきても良いのではないかと打診してみようか。私は楽しいことや嬉しいこと、幸福だけでなく、悲しみや苦しみ、不幸もカイトと分かち合いたいのだ。それはきっと近くにいる方が共有しやすいだろう。
手紙を書いたら今の自分の気持ちや考えがまとまって幾分かスッキリした。リリアンさんを呼んで手紙を預ける。きっとこのまま今日中に手紙を持って行ってくれるはずだ。私はもう疲れたのでその日は早々に床に就いた。
次回は来週水曜日の12時台に投稿予定です。
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※「ら抜き」「ら入れ」「い抜き」などの言葉遣いに関しましては、私の意図したものもそうでないものもキャラ付けとして表現しております。予めご了承くださいませ。




