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18/22

18.暴走

 待ち続けると言ったものの、精神はボロボロだった。そして私は過去の傾向から不眠と食欲不振という形で表出してしまう。案の定今回もその2つで体に異常が現れ始めてリリアンさんを大いに嘆かせてしまった。


(こんなんじゃいけない)


 カイトが戻ってきた時にこんな病人では困らせてしまう。それにいつまで続くかも分からないのに、はじめからこんな調子では彼が帰ってくる頃には死んでいるかもしれない。それは大問題である。


(健全な精神は健全な肉体に宿る)


 そう考えた私はその日から1日数時間のランニングと乗馬を己に課した。これが当たった。まずランニングも乗馬も余計なことを考えなくて良い。始めのうちは色々と雑念を抱えているが、集中し出したら走ることと馬と一体になることしか考えていない。たまにゾーンに入ったみたいにいつまでもどこまでも駆けていけるような気がしてくる。それでもやっぱり限界はあって、身体がきしみ始めると限界を悟る。


「フェラペヴォ―治癒せよ―」


 関節や筋肉が変な炎症を起こしている時は治癒魔法で治した。筋肉痛に関しては治そうと思えば治せるのだけれど、ズルをしているような心地がするから治さなかった。

 そして身体をそこまで追い込むと流石にお腹が空いてくるし、風呂に入ったらすぐに眠たくなってくる。部活をしていた頃の食欲と睡眠欲を取り戻したようなものだ。


(やっぱり健全な精神は健全な肉体に宿るんだわ)


 私は筋肉痛と疲労感を抱えながら何も考えずに泥のように眠る。寝る場所も寝室ではなく私室に置いてあったシングルベッドに変えた。寝室のベッドはカイトの優しい匂いがして言い様もなく胸を掻き立てられる。不眠の原因になるので止めた。

 とにかく今は別のことに集中して、できるだけ彼のことを頭から追い出したかった。そうじゃないときっと押し潰されてしまう。


「騎士兵にでもなるおつもりですか?」

「それも良いかもしれませんね」

「馬鹿を言わないでください。無理しすぎです。身体が壊れてしまいますよ」

「大丈夫ですよ。変な痛み方をしたら魔法で治していますから」

「自傷行為と何ら変わりません」

「リリアンさん、少なくとも今私はこれでようやくカイトのいない寂しさを紛らわせることに成功しています。現に不眠も食欲不振もありません」

「そうかもしれませんが」

「自分の身体は自分が1番よく分かっています。まだ平気ですよ。若い頃もこのくらい動いていましたから。少なくとも今はこの方法が最善だと考えています」

「アリサ様…」


 それ以上リリアンさんは何も言ってこなかった。



 春の最終月の始め、カイトが復職をしたとギルバートさんが報告に来てくれた。あの日からカイトとは一切連絡を取っていなかったので、その報告は二重の意味で嬉しかった。


(少しだけ心の整理が出来たのかな?)


 1歩前に進んだという感じだ。


「アリサさん、痩せましたか?」

「最近だらしなくなってきたので引き締めているだけですよ」

「ああ、なるほど。あ、いや、だらしなくなっているとは思っていませんが、あまり食欲がないのかと思いまして」

「ふふっ、大丈夫ですよ。動いているので食欲もあります」


 ここで私は1番気になっていることを訊ねた。


「ちなみにカイト、まだ私のこと全然思い出してないですよね?」

「ええ、残念ながら」


 困ったようにギルバートさんが答えたので、私は慌てて取り繕った。


「良いんです、大丈夫です。待つと決めたので気長に待ちます」

「アリサさん、あまりご無理はなさらないでくださいね」

「無理なんてしてませんよ、ご心配ありがとうございます」


(やっぱりまだか)


 思い出していたら本人から連絡が入っているはず、というより家に帰ってきているはずだ。そうではないということは、つまりはそういうことなのだ。そんなことは重々理解しているつもりなのに、もしかしたら少しは思い出しているんじゃないかなんて淡い期待を抱いてしまうのがいけない。

 ギルバートさんを返した後、私はしばらく立ち入らなかった寝室に赴いた。少しは薄れたかと思ったのに、ここには未だカイトの気配が色濃く残っていた。


(ああ、まだ駄目だ)


 寝室に入った瞬間から胸が締め付けられるように痛い。幸せの溜まり場だったここは、今では痛みを伴う場所になっている。


「カイト…」


 ベッドの寝転がって彼を思う。自然と涙が溢れ出てきた。


(いつになったら思い出してくれる?)


 まだ半月しか経っていないのに、もう何十年もまた気分だ。


(このまま私のことを思い出さなかったらどうしよう?)


 いくらでも待つと決めたが、どうしても弱気になってしまう。思い出してほしい。けれど彼を急かすのも違う。ならばやはりひたすら待つしかないだろう。


(待つのがこんなに辛いなんて思わなかった)


 このまま待っていて何か進展するのだろうかと急く気持ちと、今はただ我慢するしかないだろうという気持ちがせめぎ合う。カイトに連絡したいし、会いたい。けれどそうしたら彼を苦しめてしまうかもしれない。だったら私はただ待つことしかできない。でもそれが正解かは知らない。もうどうしたらよいのか分からないのだ。


(明日を迎えるのが怖い)


 今日は思い出せてもらえなかった。明日は思い出してくれるだろうか。明後日は?いつかは思い出してくれる?もうずっと思い出してくれない?

 先行きの見えない不安が私を襲う。どうなるか分からない未来が怖い。


(あ、過呼吸)


 気が付いたら息苦しくなっていた。過呼吸は前にも1度だけ経験したことがある。浅く早い呼吸を繰り返すことで過呼吸状態となり、二酸化炭素の血中濃度が低くなってしまうことにより眩暈や身体の痺れ等様々な症状を引き起こす。


(落ち着いて、深呼吸をすれば治るから)


 吸う時間の倍の時間をかけて吐く深呼吸を繰り返すことで、血中の二酸化炭素濃度を元に戻すことができる。しかし、そう頭では理解していても実際には出来ないのが悲しいところだ。


(あの時はカイトが隣にいて治してくれたからなぁ)


 そしてまたなったら傍にいてくれると言ってくれていたのになぁなんて考えたらもう深呼吸どころではない。私は息苦しさで見悶えながら泣く泣く枕に顔を埋めた。ひと昔前まで推奨されていた方法に、袋を口に当てて吸わせるというやり方があった。部活の顧問はジャージの裾を口元に当てておけと言っていたか。吐いた二酸化炭素を再度吸い込むこの方法は実際のところあまり効果がないらしいのだが、助けを呼ぶこともできないので私はただじっと枕に顔を埋めてこの苦しみをやり過ごした。

 やがて枕が功を奏したのか、発作は収まったが、脱力感と倦怠感で身体を動かすのが酷く億劫だった。


(カイトの馬鹿…)


 その夜はそのまま彼の匂いに包まれて寝た。



 それから私はますます「部活」に打ち込むようになった。しかもただがむしゃらにやっても面白くないので、目標まで作って取り組むことにした。


(人生で1度はやってみたいわよね、シックスパック)


 腹筋を6つに割るのはずっと憧れだった。部活全盛期でも結局割ることは叶わなかったが今はどうだろう。ランニングと乗馬とそれから筋トレもメニューに追加して数か月追い込んだら割れないだろうか。

 私は真剣にやっているのだけれど、そんな私を見て嫌な顔をするのはリリアンさんだ。


「アリサ様、今日は気分転換に外出してはいかがでしょうか?」

「いえ、結構です」

「しかしいくら運動で気がまぎれると言ってものめり込みすぎです。これ以上は看過できません。何か他の方法を考えましょう」

「運動が1番手っ取り早いんですよ。動いたらお腹も空きますし、身体が疲れたら流石に寝付けますから」

「仰っていることは分かりますが、度が過ぎています。お休みの日を取らなくては。疲労が溜まると思わぬ怪我などにも繋がります」

「治癒魔法があるので平気です」

「例え治癒魔法で怪我が治ったとしても、骨や関節の摩耗までは治りません。年を取ってから後悔しますわ」

「なら年を取ってから後悔することにします」

「アリサ様!屁理屈はお止めください!」

「リリアンさん、心配してくださるお気持ちは嬉しいのですが、今の私には不要です」

「何故ですか?」

「聞くつもりがないからです。では行ってきます」

「アリサ様!!」


 私は逃げるように家を出る。本当に母親と喧嘩しているようで嫌だった。そんな気分も吹っ飛ばすためにとにかく走る。何かから逃げるように、あるいは何かを剥離するように、ひたすらに走り続けた。怖かった。捕まりたくない、あるいは振り落としたい。走って、走って走って走って、走る。全身が悲鳴を上げて、バラバラに壊れそうになるまで走った。


(もう何も考えたくない…)


 あの日、変に期待してしまった分、勝手に落ち込んでしまって、何かに没頭していないと気が狂いそうだった。



 運動と平行して、私はカイトがいなくなってから毎朝起きると、雨の日以外は自分で部屋の窓を開けることを日課にし始めた。どんなに気分が翳っていても寝起きに窓を開けると少しは気持ちが上向きになるのだ。

 私が「部活」に邁進するようになったある日。その日もいつも通り窓を開けた。その時だった。


ガサッ


 奥の茂みで何かが動いた気がした。そしてそれはカイトの陰に見えた気もしなくもない。


(いやいや、そんなわけないでしょ。ついに幻覚まで見えるようになった?)


 自分では未だ大丈夫だと思っていたのだが、実は相当追い込まれているのかもしれない。


(鳥かなぁ。まぁいいや、今日はゆっくりお風呂に入ろう…)


 私は首を傾げながら窓を離れた。

 しかしその日以来、何だか私はやけに茂みの奥が気になって仕方がなかった。窓を開ける度、音はしないのに、何かが潜んでいるような想像をしてしまう。


(幻覚というより妄想?)


 いるとしたら野生動物だろう。最初目の端に映った残像がカイトに見えなくもなかったのだが、それはきっと彼に会いたい私の深層心理がそう勝手に判断しているだけだ。不審者という考えも過ったけれど、今の精神状態だと私の勘違いの可能性が非常に高い。言ったらかえって私が不審な目で見られそうだし、私自身まだ幻覚や妄想症状が表れ始めたことを認めたくないので誰にも言わなかった。この件に関してはそっと蓋をして放っておこう。

次回は来週水曜日の12時台に投稿予定です。

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※「ら抜き」「ら入れ」「い抜き」などの言葉遣いに関しましては、私の意図したものもそうでないものもキャラ付けとして表現しております。予めご了承くださいませ。


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