17.椿事
春の中月の半ば過ぎ、とんでもないことが起こった。
その知らせは私がお昼ご飯を終え、優雅にお茶を飲みながら読書をしていた時に来た。
「アリサ様、オークリー様が緊急の伝令としていらっしゃっております」
「オークリーさんが?」
何だろうと思ったが、いつも落ち着いているリリアンさんの顔が強張っているのを見て、ただ事ではないと察知した。
今日、近衛兵団は王都近くにある訓練場で戦闘訓練を行うため帰りは明日になるとカイトから聞いていた。勿論近衛兵であるオークリーさんもその戦闘訓練に参加しているはずである。その彼が緊急の伝令で来たということはカイトに何かあったのだろうか。
急いで玄関に向かうとオークリーさんが険しい表情で立っていた。
「オークリーさん、何があったんですか?」
「アリサさん、落ち着いて、お気を確かに持ってお聞きください」
そんなことを前置きで言われるとは思わなかった。どんどん嫌な想像が広がってしまう。
「…カイトに何か?」
「はい。…本日の戦闘訓練中、カイトは頭を強く打ち、意識不明の状態です」
気を確かに持てと言われていたけれど、私はくらりと眩暈がしてよろけてしまった。後ろからリリアンさんが支えてくれて、辛うじて立っていることができた。
(カイトが…)
私の頭は真っ白で何も思考ができなかった。そんな私の代わりにリリアンさんが訊ねてくれる。
「治療は?奇跡兵団の方はその場にいらっしゃらなかったのですか?」
「勿論いました。なので怪我の治療自体はすぐに終わっています。ただ怪我をした場所が場所なだけに意識が戻らない状況でして」
「アリサ様、お顔が真っ青ですわ。お座りになった方がよろしいかと」
「いえ、大丈夫です。すみません」
動悸がする。嫌な汗がつうっとこめかみを伝った。気持ち悪くて吐きそうだ。しかしここで倒れるわけにはいかない。
「…カイトは生きているんですよね?」
「はい。意識が戻らないだけで生きてはいます」
ひとまず生きているということに安堵するが、予断を許さない状況だ。容体が急変したり、ずっと意識が戻らないなんてこともあるかもしれない。
「私も訓練場に向かいます」
「すぐに馬車を準備しましょう」
「いえ、馬に乗って行きます」
フェアリーアイでなくなってから時間に余裕ができたので、乗馬の稽古は継続的にやっていた。おかげで今では馬を駆けることもできる。当然だが馬車よりも馬を走らせた方が早い。
「そんな状態で馬に乗るなんて、落馬したら大変です」
「大丈夫です」
「ですが」
「リリアンさん、これは命令です、すぐに馬を用意してください。オークリーさんの馬も交換していきますか?」
「え、ええ、お願いします」
「では2頭、至急用立ててください」
主の私がそう言ったらリリアンさんは絶対に従わなければならない。命令なんて1度もしたことがなかったので、私が強権を発動させたことに侍女たちは少なからず動揺しているように見えた。
「…畏まりました」
リリアンさんはそう言うと近くの侍女を呼び寄せ馬の手配を命じた。
「では自分は道案内と護衛をします」
「お願いします」
オークリーさんは心配そうにしていたがそれ以上は何も言わなかった。きっと私の気持ちを汲んでくれたのだろう。
リリアンさんに付き添われながら急いで身支度を整える。玄関に着くと既に馬が用意されていた。
「お待たせしました」
「いえ、では行きましょう」
オークリーさんと私は馬に跨ると駆け出した。
一刻も早く目的地に着きたくて、道中はただひたすらに馬を走らせた。揺れも相まってこみ上げてくるものがあったが何とか我慢する。今は吐いている時間さえ惜しい。
(カイト、お願い、無事でいて)
そればかりを祈っていた。
1度休憩を挟みながら夕方前に訓練場にたどり着いた。ここには初めて来たが、思ったより何もなかった。敷地にぐるりと一周進入禁止の壁が張り巡らされているくらいで、中は自然の地形をそのまま活かしているようだ。後は野営のためのテントがずらりと並んでいる。魔物退治をしていた頃によく目にしていた光景だったので懐かしかったが今はそれどころではない。
「こっちです」
馬を降りてオークリーさんと連れ立ってテント群を進んだ。
「アリサさん!」
前方から声をかけてくれたのはレオンさんだった。ギルバートさんとエリスさんもいる。
「居ても立ってもいられずに来ちゃいました。カイトがいるテントは奥ですか?」
「待って、アリサさん」
レオンさんが私を引き止めた。この緊急時に一体何だというのだろう?
「実はさっき、カイトの意識が回復したんだ」
「本当ですか!?良かった…」
私はほっと安堵の溜息を漏らす。同時に安心したら身体の力が一気に抜けて、その場にへたり込んでしまった。後ろにいたオークリーさんが支えてくれる。
「大丈夫ですか?」
「すみません、安心したら気が抜けちゃって」
最悪一生目を覚まさないのではないかと危惧していたので、意識が戻って本当に良かった。
「ただ、他に問題が発生しておりまして…」
おずおずと言ってきたのはギルバートさんだった。彼にしては歯切れの悪い言葉だ。よく見るとギルバートさんもレオンさんもエリスさんもカイトの意識が戻ったという割には浮かない表情をしている。これ以上何の問題が発生しうるというのだろう?
「何があったんだ?」
伝令を務めていたオークリーさんも同じく状況が分からないので、私の代わりに続きを促す。3人は気まずい顔を見合わせた後、エリスさんが1つ溜息を吐いて話し始めた。
「アリサさん、落ち着いて聞いてくださいね」
どうやらその前置きは必ず入るらしい。
「はい」
「意識は戻ったのですが、その、記憶が、…サリア様と婚約したところまでしか記憶がないようなのです」
「それは…」
「つまり、直近から100年以上記憶が抜けているということか?」
「そう」
この世界の人たちは皆長命で、寿命がおよそ500年ある。未だに何だか怖くて聞けていないのだけれど、私の予想ではカイトは120‐130歳くらいなのではないかと思っている。ちなみに私は世界を救った際、女神イヒネイカにカイトと同じだけの寿命が欲しいとお願いしていたので、私も長命の種族に仲間入りを果たしていた。
(100年以上記憶が抜けているってことは…)
私はうすら寒さを感じながらエリスさんに訊ねる。
「もしかして、私のことも忘れちゃったんですか?」
エリスさん含め3人が無言だった。その無言が何よりの答えである。
(何で、どうして?)
私はもう頭が回らなかった。感情さえ追いつかない。ただ、何で?どうして?という疑問だけが頭の中をぐるぐると駆け巡っている。
「…私、カイトに会います。そのためにここまで来ました。それに私に会ったらカイトも思い出してくれるかもしれないし」
「お気持ちは分かりますが、今はお待ちください」
エリスさんに止められた。私は少しムッとして聞き返す。
「どうしてですか?」
「今、シノーラス団長が無くなった記憶について、カイトに順を追って説明しているところです。ただ、カイト自身、かなり混乱や戸惑いが生じているので、シノーラス団長の支持を待った方が良いかと」
「すみません、分かりました…」
(私ったらカイトのこと何も考えていなかった)
エリスさんに窘められて私は酷く恥じ入る。彼の言う通り、カイトは今、最愛だったサリア様の死を告げられているはずだ。そして矢継ぎ早にサリア様の生まれ変わりである私の存在も教えられているだろう。そんなの困惑するに決まっている。
カイトは少し離れた医務用テントでシノーラスさんと話をしているらしい。かなり前から話し込んでいるみたいなのでもうすぐで終わるだろうとのこと。一応オークリーさんが私も来たことをシノーラスさんに報告しに行った。私はその間皆の野営用テントで待機させてもらうことにした。
(何でこんなことに…)
目覚めたという何より嬉しい報告の後に、自分のことは忘れ去られたなんて嫌な報告を聞くことになるとは夢にも思わなかった。宙を舞った後に地面に叩きつけられたような気分である。
(でも、今1番苦しいのはカイトだから)
そう、私の傷ついた心など今のカイトに比べたら些末なことだ。私がきちんと彼を支えてあげなければ。
「大丈夫だよ。カイトならすぐにアリサさんのこと思い出すよ」
「ええ、傍から見ても羨ましいほど仲の良い夫婦ですから」
「そうですよ、ちょっと打ち所が悪かっただけで、気にするほどじゃありません」
レオンさん、ギルバートさん、エリスさんが順に励ましてくれる。
「…そうですよね」
私はぎこちなくも笑った。気休めだけどその皆の心遣いが今は有難い。
やがてテントの前にオークリーさんともう1人文の影が出来た。きっとシノーラスさんだ。
「アリサさん、出て来てくれるかい?」
「はい、お義父様」
私は急いでテントの外に出た。シノーラスさんはカイトのお父様なので、私にとってはお義父様にあたる人だ。カイトとシノーラスさんは吃驚するほど顔の造詣がそっくりで、すぐに親子なんだなと納得するほど遺伝している。以前は渋いハリウッドスターのようだったシノーラスさんだが、私が世界を救ったあの日に、人間にかけられていた寿命の制限が250年から500年になったことにより若返りを果たしていた。今はカイトが少しだけ大人びて、やや眼光が鋭くなったという印象だ。
「アリサさん、早馬ではるばる来てくれたのに、愚息がこんなことになってしまって本当に申し訳ない」
「いえ、とんでもないです。意識が戻って安心しました」
「あなたはもっと起こったって良いんだ。最愛の妻のことさえ忘れてしまうなんて言語道断だよ、全く」
「きっと忘れたくて忘れたわけじゃないでしょうから」
「アリサさんは本当にお優しい。愚息の嫁にするには勿体ない」
「いえ、そんな」
何故かシノーラスさんは私のことを高く評価してくださっていて恐縮してしまう。
「話が逸れてしまったね。今、カイトには忘れてしまった過去の重要な事柄を話して聞かせてきた。しかしまぁ全く思い出せないようで、現実感がないと言った感じだ」
「はい」
「ちょうど話終わった時にオークリー君が報告に来たんだが、アリサさんが来たと聞いたらあいつは会いたいと言っている。だが、私は正直オススメしない」
「どうしてですか?」
会いたいと言ってくれているなら会った方が良い気がするのだが。
「あなたには申し訳ないが、今のあいつの頭の中はサリア様のことばかりだ。あなたに会いたいと言ってきたのも本当にあなたに会いたいからではなく、私が聞かせた話の真偽のほどを確かめたいからだろう」
「…左様ですか」
「このまま会ったとしても、あなたが傷つくだけだと私は思っている。そしてそれは仮にあいつの記憶が戻ったとしても夫婦間にしこりとして残ってしまうのではないだろうか。それなら今は会わない方が互いのためだ」
「……」
私は即断できずに下を向いた。正解が分からない。シノーラスさんの言う通り、今は会わない方がお互いのためのような気もする。
(でも、カイトはサリア様の死を諦めるのに約100年要した)
カイトは私を見てサリア様はもうこの世にいないのだということを悟ったと昔言っていた。つまりサリア様の死が本当だと諦めさせるには生まれ変わりである私という存在を見せるのが1番手っ取り早いということである。
(シノーラスさんの言う通り、きっといっぱい傷つくんだろうな)
それは私だけでなく、カイトもまた傷つくだろう。だけどそれで私のことをすんなり思い出してくれるなら御の字だし、思い出さなくてもサリア様の死と向き合い、また私という存在とも向き合ってくれる機会のようにも思う。
「お義父様、お気遣いありがとうございます。でも私、彼に会おうと思います」
「きっと傷つく」
「はい、私も彼も傷つくと思います。だけど、このまま会わないでいたらダラダラと思い出してくれないかもしれないじゃないですか。性急かもしれませんがここで私を見て色々と考えてくれた方が、脳の神経細胞も活発になって早く思い出してくれのではないかと淡い期待を抱いています」
「…本当に良いのかい?」
「はい」
シノーラスさんははぁと1つ溜息を吐いた。
「カイトにはできるだけあなたを傷つけるような言行はするなと厳命しているが、万が一無礼であればひっぱたいてもらって構わない」
「では最終手段として念頭に置いておきます」
「そうしてくれ。その方が思い出すかもしれないし」
カイトを叩いたことなどないのでその衝撃で思い出すかは怪しいところである。
話がまとまったのでシノーラスさんと私は医務用テントへ向かうことにした。オークリーさんや他の皆は不安そうな顔をしながらも私を見送ってくれた。
医務用テントに着くと先にシノーラスさんが入る。準備が整ったところで中に呼ばれた。
「入ってくれ」
私は気息を整えるとテントに入った。中にはいくつか簡易ベッドが置いてあり、1番手前のものにカイトは腰掛けていた。
「サリア?やっぱりサリアじゃないか!」
彼は立ち上がって私に近づいて来た。1番最初に会った時と同じように目には喜色の情が浮かんでいる。私は心苦しい気持ちを抱えながらも彼の理想を打ち砕く。
「ごめんなさい。私、サリア様じゃないの。アリサって言います」
「父上まで巻き込んで面白くもない冗談はよせ」
「そう思う気持ちは分かるけど、本当のことよ別けあってサリア様と同じ容姿で生まれ変わったんだけど、全くの別人でサリア様の時の記憶もないわ」
カイトは傷ついたような顔で私を見た。きっと口調や雰囲気、態度などでサリア様ではないと気が付いたのだろう。そのまま彼は縋るような目つきでシノーラスさんを見た。シノーラスさんは首を横に振っている。
「そんな…」
そう呟いた彼は再びゆっくりと私を見た。目には失望に色が浮かんでいる。
「本当にサリアじゃないのか?」
「ごめんなさい。私はアリサです」
カイトはヨロヨロとベッドに腰掛けた。最後の望みも絶たれたと言った感じだ。
「何も思い出せない…。本当に俺は君と結婚していたのか?」
「ええ、結婚指輪があるわ。あなたの首にもかかっている」
私は彼の首元を指差す。彼が億劫そうにまさぐるとリングネックレスが出てきた。私も左手を見せてペアリングであることを示す。
「確かに同じ結婚指輪だ…」
それが決定的な証拠だった。カイトは呆然と自分の指輪を見つめている。まるで信じたくないといったように鼻に皺を寄せていた。
やがて私にこう言った。
「すまない、一緒に住んでいると聞いているけれど、しばらく帰りたくない。どうしても思い出せないし、すぐには受け入れられそうにないんだ」
「…分かったわ、あなたの気持ちの整理がつくまで待っている」
(すぐに思い出してくれるなんて甘かったか)
カイトのこの返答も想定していたものではあったのだけれど、思ったよりも心にズッシリと来た。それでも私は精一杯虚勢を張って彼との対話を終えた。
医務用テントを出るとシノーラスさんがすぐ後を追って来た。
「アリサさん」
「シノーラスさん、すみません、カイトのことしばらくよろしく頼みます」
家に帰って来ないということは実家か社寮で過ごすということになるが、記憶喪失者を1人で寮に入れるわけにもいかないだろうから、必然的にしばらく実家で見てもらうことになるだろう。
「ああ、それはそうなんだが、本当にすまない」
「いえ、カイトもお義父様も謝ることは何1つありませんよ」
「しかし、やはり傷ついている」
「カイトも私もお互いに傷つくと分かっていて会ったので後悔していません。それにサリア様がもう亡くなっていることも、私と結婚していることも、思い出さずとも認識してもらえましたから。今はそれで十分です。後はカイトの心の整理のためにしばらく時間が必要なんだと思います」
彼は今酷く混乱している。サリア様の死を受け止めきれていもいないのに、サリア様と全く同じ容姿の別人が隣にいたのでは心の整理も出来ないだろう。ならば私は彼の見えないところでただひたすら待とう。きとこういうのはすぐに思い出せないのであれば、ゆっくり時間をかけて思い出していくものなのだと思う。
「1番辛いのは思い出せないカイトの方ですから、どうぞよろしくお願いします」
「ああ、すまない、ありがとう」
シノーラスさんと別れてすぐに皆と合流して事の顛末を話した。
「まぁこういうのは焦っても仕方がないですよ」
オークリーさんに慰められて私はそうですねと相槌を打った。
夕刻近くになっていて流石に帰れなかったので、予備のテントを張ってもらってそこで休むことにした。精神的にも身体的にも疲れていたのでその日は何も考えずに泥のように眠った。
翌朝、私はレオンさんに護衛されて再び馬に乗ってお家へ帰った。レオンさんは休憩中に度々励ましの言葉をかけてくれ、その明るい調子に救われた。きっとレオンさんが護衛に選ばれたのはそういう役回りが得意だからだ。
帰りは行きよりもゆっくり馬を走らせたが、昼前には家に着いた。
「じゃあアリサさん、ゆっくり休んで」
「ありがとう、レオンさんも気を付けて帰ってね」
家に帰ると早速リリアンさんに事情を説明した。
「では、しばらくカイト様はご実家で養生なさると?」
「はい。カイトが落ち着くまでそうなります」
「アリサ様…、心中お察しいたします」
「ありがとうございます。でも今1番辛いのはカイトですから」
私がそう言うとリリアンさんは憐みの目線を送って来た。
「アリサ様、失礼ですが泣いていませんでしょう?」
「え?あ、はい」
「意地を張る相手はもういませんわ」
「リリアンさん…」
私は大きく目を見開く。そんな私の方に彼女は優しく手を置いた。
「1番辛いのが仮にカイト様だったとしても、アリサ様だって辛いと言って構わないのですよ」
「……」
リリアンさんにそう言われた私は堰を切ったように泣き出してしまった。まるで誰かからの許しを待っていたみたいだ。
「何で、何で私のこと忘れちゃったのよぉ」
あの場で言えなかった心の内を吐露する。リリアンさんは母親みたいに泣き止むまで隣にいて背中をさすってくれた。
次回は来週水曜日の12時台に投稿予定です。
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※「ら抜き」「ら入れ」「い抜き」などの言葉遣いに関しましては、私の意図したものもそうでないものもキャラ付けとして表現しております。予めご了承くださいませ。




