12.温泉旅行
「アリサ、旅行しよう」
「仕事落ち着いたの?」
「ああ、それでようやくまとまった休みが取れたんだ」
「お疲れ様」
冬の半ば頃、カイトから旅行に誘われた。秋には私の誘拐事件があったし、冬のはじめもなんやかやと忙しそうに仕事をしており、見ているこちらとしては可哀想だったから休みが取れると聞いて一安心だ。
「旅行も良いけど、お家でゆっくり休んだら?」
「初日はそうするよ」
「それだけで疲れ取れる?」
「大丈夫」
私は疲れた時には引きこもりたい派なので、彼のアクティブさは少し心配だったりする。けれど外に出る方がリフレッシュできるという人もいて、カイトはどちらかと言えばそういうタイプだ。タフだなぁと感心してしまう。
「どこに行きたい?」
「んー、そうだなぁ…」
急に言われてもパッと出てこなかった。
「もし良かったら少し遠いけど温泉にでも行かないか?」
「あっ、いいね、温泉」
この世界は古代ローマよろしく風呂習慣が根付いている。風呂好きとしては風呂のある異世界で良かったと心から思う。
「よし、決まり」
それから数日後、私たちは馬車で王都を出立した。
「そういえばあの不毛の地で見つけた転移魔法、実用化を目指すんだって?」
「らしいな」
転移魔法は魔法陣を2カ所敷くことでその拠点間を移動できるというものだが、ロストテクノロジーでこの国では随分と埋もれていた。以前私たちは偶然にもこれを発見し、国王陛下に報告しており、国難が去って落ち着いた今、国の新たな発展のために導入の話が進められているらしい。
ちなみに元の世界へと続く別種の転移魔法もあったのだが、今は神の力で封じられている。まぁもうこっちの世界に骨を埋める覚悟なので戻れなくても問題はなかった。
「出来たら移動が便利になるね」
「そうだな。でも正直まだ確定していないことの方が多いから何とも。例えば国民全員が使えるようにするのか、流通や運搬に用途を絞るのか、あるいは緊急時だけで普段は使わないのか。そう言うことも全然決まっていない」
「ああ、そうなんだ」
馬車のゆったりとした移動も決して悪くはない。のどかな景色を見ながら同道の人と会話をするのは実際楽しかったりする。けれどやっぱり何日もかけて移動するような場所はちょっと大変だ。何でこの話を思い出したかと言うと今回がまさにそれで、冬道の関係もあって片道3日半かけて移動する予定だからである。
「新しいことと言えば、不毛の地では見慣れない物が次々と見つかっているし、迷宮攻略も少しずつ進んでいるみたいだ」
「へぇ」
「ただ迷宮攻略のご褒美がなかなか難解だと暗号解読班が頭を悩ませている」
「暗号解読?」
「ああ、今のところ入手したのが何かが書かれている紙らしいんだが、全く読めないんだと」
「それはせっかく攻略したのにもどかしいね」
そんな分かりづらいお宝を置くなんて、やっぱり神々の考えていることはよく分からない。そもそも何でまた迷宮を作ったりしたのだろう?遊び心だろうか。
「アリサに天啓が降りたら良いのに」
「言われてみれば最近全然お会いしていないわ」
神々の寵児と呼ばれたフェアリーアイの私は、実際女神イヒネイカからよく神託をもらっていた。フェアリーアイでなくなってもたまに夢の中でお会いすることがあったのだけれど、最近は鳴りを潜めている。
「まぁ、またそのうち声がかかるんじゃない?」
「それもそうか」
二柱は天界で優雅に過ごしていることだろう。
そんな世間話をしながら、のんびりと目的地へ移動する。カイトとこんなにずっといられるのは久しぶりで嬉しい。外は雪景色で馬車の中はやや肌寒いものの、2人で身を寄せ合って手を繋いでいるとホカホカと温かくて快い。
「何だか一緒に住んでいるはずなのに、結婚してからの方が会う時間が短い気がするよ」
「前は仕事なら四六時中一緒にいたもんね」
カイトもちょうど同じようなことを考えていたらしい。
「でも今の方が2人だけの時間が多いと思う」
「確かにそうだな」
前は近衛兵の皆もいたから、2人だけの世界に入ることはなかなかできなかった。
「移動含めて時間はたっぷりある。久しぶりにゆっくり楽しもう」
「うん」
また幸せが雪のように降り積もっていく。
3日半かけて着いた先は、東の国境付近の山近くだ。ちなみに不毛の地との境を国境と呼んでいるが、外敵の脅威が去って不毛の地が開拓されているのを考えると、今後国境の場所も変わるのかもしれない。
(いつか今ある城壁も取り壊しになるのかな?)
そうなったら大掛かりで大変そうである。
程なくして宿に着いた。立派な外観でいかにも高級宿と言った感じだ。カイト曰く、この宿は富裕層御用達の施設で、多くが使用人を連れて宿泊するらしい。いつもの私たちなら気楽に使用人も連れずに旅行するのだけれど、今回ばかりは悪目立ちするのも嫌だったので別馬車で4人の使用人についてきてもらっている。
ちなみにこの世界に貴族制度はないものの、資本主義的な経済だから庶民と富裕層という格差は存在する。身分の上下という話ではないから、元の世界と似たような感じだと思っている。この宿だってお高いけれど宿泊費を出せるなら庶民が泊まっても全然問題ないし、使用人を連れていなくても大丈夫だ。
チェックインを終えて部屋に通される。外観もさることながら中も豪奢だった。彼のことだからスイートルームのようなグレードの高い部屋を選んだに違いない。
「凄く良い部屋ね」
「本当は客室露天風呂付の部屋を取りたかったんだが、予約が埋まっていたんだ」
「良いよ、ここ大浴場がウリでしょ?」
「それはそうだけど、せっかくなら一緒に浸かりたいじゃないか」
「うーん、じゃあまた今度?」
「だな」
カイトが朗らかに笑う。彼は約束が好きだ。私との次の予定が入るといつも嬉しそうにする。嫌々ではなく楽しみにしてくれているのが分かるから、私も嬉しい気持ちになってつられて微笑んだ。
2人で少し休憩した後は夕飯まで各自温泉に入ることにした。
「アリサ様、決して私たちの目の届かぬ場所には行かないでくださいね?」
「子供じゃないんですから大丈夫ですよ」
例のごとく私にはリリアンさんがついてきた。実は彼女はうちの屋敷の侍女頭なのだが、私の専属侍女も続けている。カイトといいリリアンさんといい、全く手厚いサポートである。もっとも最近の彼女は段々と母親じみて来ていて少し困る。
「そうは仰っても、また誘拐されたら困ります」
「こんなところで誘拐されたらそれはもう才能ですって…」
あるいは神々の戯れだ。
「ニーアムもアリサ様に近づく不埒な輩には容赦しなくて構いませんからね」
リリアンさんがもう1人の使用人に向かって不穏な業務連絡をしている。呼ばれた侍女はコクリと頷いた。ニーアムは誘拐された先で出会ったあのあどけない少女である。外出先で使えたことのない彼女は、良い機会だからと次女頭のリリアンさんの命により研修がてら今回同行している。ちなみにカイトには男性の使用人が2人ついていた。
大浴場はカラカラ帝の公衆浴場のようだった。屋根のない広い敷地には何種類もの浴槽があり、それぞれで温度が違ったり、薬や花など温泉に色や香りのついているものもある。他にも蒸し風呂や水風呂などもあって、とても1階の入浴では回りきれそうにない。2泊で予定していて良かった。
「ささっ、アリサ様、先にお身体を洗いましょうねぇ」
「え、ええ」
この世界でも温泉に入る前に身体を洗う。それは良いのだが、問題は使用人がついてきているということだ。
(まさか他人に身体を洗われる日が来ようとは)
使用人は制服を着たまま入場し、主の身体を洗う。洗い場のお嬢様やご婦人たちは皆堂々と洗われているが、庶民感覚の抜けない私としては気恥ずかしいことこの上ない。ちなみに元々異世界に来たはじめの頃、リリアンさんが私の身体を洗おうと風呂場に入ってきたが、私は突然のことに驚いて悲鳴を上げてしまった。それ以降自分1人でやらせてもらっていたのだ。
余談だがカイトも少し特殊で、ブルジョワ育ちだが基本的に風呂は1人で入る。兵団に所属している関係で私と一緒に住む前は寮で1人暮らしをしていたし、サバイバルスキルとして家事一般も全てこなせるから、自分でできることは自分でするという癖がついているのだ。そういうところも大きく価値観がずれていないので良かったなと思う。
私はどぎまぎしながらもリリアンさんとニーアムに髪と身体を洗ってもらう。その間、何だか周りの人たちに見られている気がした。
(作法がなっていないとか?)
身体を洗われる作法なんて聞いたこともないが、何か間違っていて悪目立ちしているのだろうか。それならリリアンさんがそっと耳打ちしてくれるはずなのだが。私は居たたまれずリリアンさんにこっそり訊ねた。
「私、何か変でしょうか?」
聡明な彼女はすぐに答えを教えてくれた。
「アリサ様の黒髪は目立ちますから、皆英雄様がいらしたことに驚いているだけですわ」
「…なるほど」
この世界に黒髪は私しかいない。そのため黒髪即英雄という等式が成り立ってしまう。いつもは身バレしないように帽子で上手く隠しているのだが、流石にここではそうはいかなかった。
「ご安心ください。ここに宿泊なさる方々は良識のある方々ですから、このような場所で声をかけてくるような真似はしないはずですよ」
「それなら良いのですが」
「万が一ごめんなことに巻き込まれた際にはわたしのところにお戻りください。その方に灸を据えますから」
「リリアンさん…」
頼もしい限りだが、争いは止めてほしい。
何とか洗い終えて髪をまとめてもらうと、早速温泉に向かった。最初は手近にあるオーソドックスな浴槽から攻めていくことにする。
(あっつ)
冬で身体が冷えているので温泉が熱く感じられた。慣らしながらゆっくり浸かる。はじめはジンジンとしていたが、やがて落ち着くと心地良い熱さへと変わっていった。
(ああ、溶ける~)
私は小さく溜息を吐く。とにかく気持ち良い。温かいお湯と冷たい外気でいくらでも入っていられそうだ。無色無臭だが普通のお湯とは違ってお肌を触るとスベスベした。これは効果が期待できる。
(カイトも今頃入っているかな?)
本人は言わないが最近やはりお疲れのご様子なので、温泉でゆっくり疲れが取れると良いと思った。
しばし主浴槽に浸かった後は他の浴槽にも少し入り、のぼせる前に上がることにした。
(やっぱり全部回りきれなかったわね)
明日もあるのでゆっくり回ることにする。
ちなみにリリアンさんの言う通り、他の人たちは私を遠巻きに見るだけで声をかけては来なかったので良かった。
温泉を満喫して部屋に戻ると既にカイトがいた。
「ごめん、待たせた?」
「いや、俺も今さっき帰ってきたところ」
彼はソファに腰掛けて水を飲んでいたので隣に座る。すぐにリリアンさんが私にも水を持って来てくれた。冷たい水が火照った身体にすうっと入っていく。まさに至福の一杯だった。
「大丈夫?随分顔が赤いけどのぼせた?」
「んーん、大丈夫。熱いだけ。すごく気持ち良かった」
「ああ、良い湯だった」
「1回じゃとてもじゃないけど回りきれなかったわ」
「あの広さだもんな。全部回っていたらそれこそのぼせてしまうよ」
ふわっとカイトが欠伸をした。どうやら温泉はここ最近の彼の仕事の緊張を緩めてくれたらしい。
次回は来週水曜日の12時台に投稿予定です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
※「ら抜き」「ら入れ」「い抜き」などの言葉遣いに関しましては、私の意図したものもそうでないものもキャラ付けとして表現しております。予めご了承くださいませ。




