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死者たちがあまりにも悲しそうだったので手を伸ばしていたら、いつの間にか精霊に愛されていました  作者: ちょこだいふく


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7.もとの美しさ

風が、静かに吹き抜けていった。


先ほどまで沼地を覆っていた重苦しい空気は、もうない。

リシュアは座り込んだまま、ゆっくり顔を上げると、


「……あ」


ノアが小さく息を呑んだ。

濁っていた水面が、少しずつ澄み始めている。

黒く沈んでいた泥の色が薄れ、水底へ光が届いていく。

絡みつくようだった湿った空気も、もう感じない。

風が吹くたび、水面はきらきらと揺れた。

まるで、長い眠りから目を覚ましたみたいに。

ルークが呆然と呟く。


「……沼が……」


違う。

ここは沼ではなく、本来こういう場所だったのだ。

穏やかな、水辺。


静かな泉。


長い間、悲しみに覆われていただけだった。

リシュアは胸の奥の重さが、少しずつほどけていくのを感じていた。


その時だった。


ふわり、と風が舞う。

先ほどまでとは違う。

軽く、優しく、どこか嬉しそうな風。

リシュアが顔を上げると、水辺の上に淡い光が浮かんでいた。

それは小さな雫のような青い光だった。

そして、その周囲を踊るように風が巡っている。


「……っ」


ノアが目を見開く。

リシュアだけでなくノアにも見えている。

淡い光はゆっくり形を変え、人影のようになった。


透き通るような青い髪。

水面みたいな瞳。

その隣には、小さな風の光がふわふわと漂っている。


ルークは何も反応しない。

ルークには見えていないのだ。

ただ、突然空気が柔らかくなったことだけを感じているみたいだった。


『……ありがとう』


声が、頭の奥へ静かに響いた。

リシュアは小さく瞬きをする。

水の精霊は悲しそうに微笑んでいた。


『あの子は……優しい子でした』


『なのに、私は……』


声が揺れる。

泉を潤した雨。

人々の歓声。


けれどその後に向けられた恐怖。

少女が泣いていた記憶。

全部、流れ込んでくる。


『私が加護を与えたせいで』


『あの子は、独りになってしまった』


水面が小さく波打った。

——後悔。

——自己嫌悪。


それがこの場所を縛っていたのだと、リシュアは理解する。

だから泉は濁った。

精霊自身もまた、悲しみに囚われていたから。

リシュアは静かに首を振った。


「違うよ」


声は小さかったが、きっぱりと言った。


「あなたは、あの子を助けたかったんでしょう?」


水の精霊が目を見開く。

リシュアは続ける。


「だから、あの子も後悔はしてない」


「あの子もみんなを助けたかったんだと思う」


「ただ、自分で自分の感情を受け止める事が出来なくなってしまっただけ」


「今、あの子は微笑んでいたわ。」


静かな沈黙が落ちた次の瞬間。

ぽろり、と水の精霊の瞳から雫が落ちる。

それは泉へ溶けるように消えていった。

隣で、風の光がくるりと舞う。

どこか嬉しそうに。


『……ありがとう』


今度の声は、少しだけ穏やかだった。


『あなたたちが来てくれて、よかった』


風が優しくリシュアとノアを包み込む。

風は優しく冷たくない。

春の日差しみたいな温もりだった。


『困った時は、どうか私たちを呼んで』


『小さな力しか貸せなくても』


『私たちは、あなたたちの味方です』


その瞬間、ふわり、と風が髪を撫でる。

同時に、水面が淡く光った。

リシュアは胸の奥がほんの少し温かくなるのを感じた。

ノアも驚いたように自分の手を見る。

けれど痛みも、苦しさもない。

ただ優しい何かが、そっと寄り添った感覚だけが残った。


『……では』


水の精霊の姿が、ゆっくり薄れていく。

風の光も、くるくると踊るように空へ舞い上がった。

最後に、柔らかな風だけが頬を撫でる。


——ありがとう。


そんな声が聞こえた気がした。


静寂が戻る。


ルークが、ようやく我に返ったように辺りを見回した。


「……なんだったんだ」


リシュアは小さく頷く。

するとルークは、しばらく言葉を失ったあと、ぽつりと呟いた。


「……まるで」


声が震えていた。


「奇跡を見ているみたいでした」


ノアがそっとリシュアの隣へ寄る。

その横顔は、まだ少し緊張していた。

けれど同時に、どこか決意を固めたようにも見えた。

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