29.初めての社交
避暑地での教育が開始されて数週間後、小さな茶会へ、リシュアとノアも同席することになった。
場所は湖畔近くの別荘。
招待客も、この土地で長く暮らす有力者や、古くからアーリントン家と付き合いのある者ばかりだった。
大規模な夜会ではない、開催も昼間にある。
けれど、リシュアにとっては初めてに近い“社交”だった。
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「肩に力が入りすぎていますよ」
出発前、ミレイユがくすりと笑う。
リシュアは慌ててふぅ…と息を吐き言った。
「そんなに、わかりますか…?」
「ええ、とても」
ミレイユは優しく娘の髪を整える。
「でも大丈夫」
「“完璧”でなくていいのです」
その声は穏やかだった。
隣では、ノアが妙に真剣な顔をしている。
「ノアは緊張していないのですか?」
リシュアが小声で尋ねると、ノアは腕を組んだ。
「してる」
「してるんですか!?」
「でも、なにかあれば俺がシア守らないとね!」
真顔だった。
リシュアが困ったように笑う。
その様子を見て、ミレイユはどこか安心したように目を細めた。
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茶会は穏やかに始まった。
年配の夫人たちが、庭の薔薇について話している。
地元領主らしい男性は、エドガーと湖周辺の整備について会話していた。
柔らかな笑い声。
紅茶の香り。
穏やかな空気。
リシュアも、教わった通り丁寧に挨拶を返していく。
「リシュア様は、本当にお綺麗ですね」
向かいの婦人が微笑んだ。
リシュアは少しだけ頬を染め、柔らかく微笑み返す。
「ありがとうございます」
「ですが、お庭の薔薇の方がずっと素敵です」
婦人が嬉しそうに笑った。
その返答を聞きながら、ミレイユが静かに紅茶を口へ運ぶ。
ほんの少しだけ、満足そうに。
リシュアは静かに瞬きをする。
ここは…精霊が、少ない。
まったく居ないわけではないけれど、避暑地の日常や、グランの小屋周辺とは全然違う。
空気が、少しだけ重たい気がした。
理由はわからないけれど、止まって感じた。
誰も笑っていないわけじゃない。
険悪でもない。
むしろ皆、穏やかに微笑んでいる。
なのにどこか、息を潜めているみたいだった。
その時
「リシュア様は王都へ戻られたら、さらに人気が出そうですわね」
別の婦人が、扇を口元へ当てながら微笑む。
「きっと引く手数多でしょう」
周囲が穏やかに笑う。
リシュアも微笑み返す。
「まだそのようなお話は……」
声は自然だった。
教わった通り、柔らかく、曖昧に返す。
けれど胸の奥が、少しだけざわついた。
まるで風が止まるみたいに。
リシュアは小さく視線を落とす。
すると、隣のノアが静かに紅茶を置いた。
「シア」
小さな声だった。
リシュアが顔を上げる。
ノアは笑っていた。
けれどその目は、周囲をよく見ている。
「庭、綺麗だね」
唐突な言葉だったので驚き、リシュアが瞬きをする。
するとノアは、少しだけ椅子を引いた。
「見に行こ」
その瞬間ミレイユが静かに微笑む。
「そうですね」
「せっかくですもの、素敵なお庭を見せてもらいなさい」
自然な流れだった。
誰にも失礼にならない。
けれど、確かに逃がしてくれている。
リシュアはその優しさへ気づき、小さく胸が熱くなった。
⸻
庭へ出ると、湖からの風が頬を撫でた。
その瞬間、ふわり、と。
風の精霊たちが戻ってくる。
リシュアはほっと息を吐いた。
ノアがそんな彼女を見る。
「やっぱ苦しかった?」
リシュアは少し迷ってから頷いた。
「…なんだろう」
「悪い人たちじゃないのに」
ノアは庭の向こうを見る。
屋内では、まだ穏やかな笑い声が続いていた。
「でも、みんななんか隠してるみたいな」
「空気が止まってるみたいな感じだったわ」
静かな声だった。
リシュアは小さく瞬きをする。
その時、ふと屋敷の窓辺が目に入った。
先ほどの婦人が、一人だけ静かに俯いている。
笑顔は消えていた。
その周囲には、精霊もほとんど居ない。
リシュアは胸の奥が少し痛くなる。
——寂しい。
なぜか、そんな感情だけが流れ込んできた。
湖から吹く風が、静かに木々を揺らしていた。




