27.避暑地での教育開始
翌朝。
避暑地の空は今日も澄み切っていた。
窓から差し込む柔らかな光の中、リシュアは少しだけ緊張した面持ちで席へ座っている。
その向かいでは、ミレイユが優雅に紅茶を注いでいた。
丸いテーブルの上には、焼き菓子や小さな果物が綺麗に並べられている。
その光景だけ見れば、穏やかなお茶会だった。
「さて」
ミレイユがにこりと微笑む。
「本日から、少しずつお勉強を始めましょうか」
リシュアの肩がぴくりと揺れた。
その隣では、ノアがキリッとした顔をしている。
「はい!」
「あらあら、ノアはやる気たっぷりね」
ミレイユは楽しそうに笑った。
「シアを守るために無駄なことなんてなにもありませんから!」
「そう固くならなくて大丈夫よ、今日は机へ齧り付くようなお勉強ではありません」
ノアが少しだけ警戒を解く。
リシュアは恐る恐る尋ねた。
「……何をするんですか?」
ミレイユはティーカップを静かに置いた。
「社交について、です」
その瞬間、ノアの瞳孔が開いた。
「社交界はまだ先なのでは…?」
「ええ、だからこそ、今から準備をしておくのよ」
ノアは「なるほど」と頷き、リシュアは逆に不安げな顔になった。そんな二人を見ながら、ミレイユは穏やかに続けた。
「王都へ戻れば、お茶会や夜会へ顔を出すことも増えるでしょう」
「人と関わることは、当然避けて通れません」
リシュアは少しだけ表情を引き締めた。
王都、その言葉に、なんとなく胸がざわつく。
ミレイユはそんな娘の様子へ気づきながらも、あえて優しい声のまま言った。
「でも、怖がらなくて大丈夫ですよ」
「社交というのは、本来“戦う場所”ではありませんから」
リシュアが少し瞬きをする。
ミレイユは微笑んだ。
「もちろん、面倒な方はおります」
「ですが、だからといって、無理に合わせ続ける必要もないのです」
ノアが首を傾げる。
「でも貴族って、みんな腹の探り合いしてるイメージある」
「否定はしません」
ミレイユが即答したことでノアが吹き出してしまい、リシュアも思わず笑ってしまった。
そしてミレイユはどこか楽しそうに続ける。
「ですが、大切なのは“全部を真に受けすぎないこと”です」
「相手へ礼を尽くすことと、自分を削ることは違います」
その言葉に、リシュアの指先がわずかに止まった。
ミレイユは静かに紅茶を飲む。
「優しさと我慢も、同じではありません」
穏やかな声だった。
けれど、不思議と胸へ残る。
リシュアは俯き、静かにその言葉を反芻した。
するとミレイユが、ふっと表情を和らげる。
「まあ、難しく考えなくて大丈夫です」
「まずは、“嫌な時に無理をしすぎない”ところから始めましょう、難しいことはまだ教えませんからね。」
ノアが腕を組む。
「でも、シア苦手そう」
「ノアってば…」
ミレイユは笑みを深くした。
「ふふ、確かにそうですね」
「リシュアはなんでも、“大丈夫”と言いすぎるところがあります」
リシュアは思わず言葉に詰まる。
エルマにも、似たようなことを言われたばかりだった。
その時、コンコン、と扉が叩かれる。
「入るぞ」
エドガーの低い声だった。
部屋へ入ってきたエドガーは、お茶会の様子を見て小さく眉を上げる。
「……随分和やかだな」
「良いことでしょう?」
ミレイユが微笑む。
エドガーは短く息を吐いたあと、ノアとリシュアを見る。
「マナーの次は護身も始める」
ノアの目が少しだけ輝いた。
一方で、リシュアは不安そうな顔をする。
そんな娘を見て、エドガーは静かに続けた。
「別に戦えと言っているわけではない」
「だが、“自分を守る術”は必要だ」
その言葉には、父親としての静かな重みがあった。
窓の外では、風の精霊たちが楽しそうに揺れている。




