22.教会でのできごと
避暑地へ滞在してから、数週間が経っていた。
湖畔の町にもすっかり慣れ、
リシュアたちは時折市場へ出かけたり、
湖沿いを散歩したりするようになっている。
その日訪れたのは、町外れの小さな教会だった。
石造りの古い建物で、決して大きくはない。
だが庭には季節の花が咲き、どこか穏やかな空気が流れていた。
「静かですね」
リシュアが小さく呟く。
すると隣のノアが笑う。
「シア、こういう場所好きそう」
「……うん、落ち着く」
教会の周囲には、小さな風の精霊たちがふわふわと漂っていた。市場より静かだ、けれどグランの森のような“感情の静寂”とは違う。
ここには祈りがある。
悲しみも、
願いも、
感謝も。
静かに積み重なった感情が、柔らかく空気へ溶け込んでいるみたいだった。
リシュアは少しだけ目を細める。
その後ろで、ルークは周囲を静かに見回していた。
以前よりも呼吸が落ち着いている。
橋の一件以来、目に見えない気配へ過敏になっていた。
だが今は違う。
怖いものは怖い、不気味なものは不気味だ。
そしてそれを無理に押し込めなくなっていた。
そんなルークを、教会の神父は静かに見ていた。
白髪混じりの穏やかな老人だった。
「アーリントン家のお嬢様方ですね」
柔らかな声だった。
リシュアたちは挨拶を返す。
神父は優しく目を細めた。
「最近、町で妙な噂を耳にします」
ノアが首を傾げる。
「噂?」
「ええ」
神父はどこか含みのある笑みを浮かべる。
「“橋の下の泣き声が消えた”と」
その瞬間、ルークの表情がわずかに動いた。
リシュアは思わず目を伏せる。
神父は責めるような顔はしなかった。
むしろ、静かに確かめるみたいだった。
「……あなた方でしたか」
風がそっと吹き抜ける。
庭の草花が揺れ、小さな光がリシュアの周囲を舞った。
神父の目が、静かに細められる。
「なるほど……」
その視線は、リシュアだけではない。
後方へ立つルークへも向いていた。
しばらく見つめたあと、神父がぽつりと呟く。
「少し空気が変わりましたね」
ルークが目を瞬く。
「……私、ですか」
「ええ」
神父は穏やかに頷いた。
「以前は、もっと張り詰めておられた」
ルークは言葉に詰まる。
自分では、よくわからなかった。
すると神父がふと尋ねる。
「どなたかに学ばれているのですか?」
その問いに、ルークは素直に答える。
「…はい、…グラン殿、という方に」
その瞬間だった。
神父の動きが止まる。
空気が、わずかに変わった。
ノアが不思議そうに瞬きをする。
神父はしばらく黙ったあと、静かに笑った。
「……なるほど」
けれどその声には、驚きが滲んでいた。
「まさか、あの方が人へ教えるとは」
ルークが目を見開く。
「ご存知なのですか」
神父は苦笑する。
「昔からの知り合いです」
「彼は偏屈でしょう?」
「…はい」
即答だった。
神父が思わず吹き出す。
「変わっておられないようで安心しました」
そう言ってから、神父はふとリシュアを見る。
その目は、どこか深かった。
「グランが人へ何かを教える時は、“見込みがある”と思った時だけです」
ルークが静かに息を呑む。
神父は庭を舞う精霊たちを見る。
小さな風の光、木漏れ日のような淡い精霊。
その数は、町で見るより明らかに多かった。
まるで、リシュアを囲むみたいに集まっている。
神父は静かに目を細める。
「……本当に、不思議ですね」
ぽつりと零れたその声は、独り言みたいだった。
風が優しく吹き抜ける。
すると精霊たちが、嬉しそうに光を揺らした。




