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死者たちがあまりにも悲しそうだったので手を伸ばしていたら、いつの間にか精霊に愛されていました  作者: ちょこだいふく


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12/20

12.老人と亡霊

別荘へ来てから数日が過ぎた頃だった。


朝の空気はひんやりとしていて、湖の上には薄い霧が漂っている。

リシュアはテラスで温かい紅茶を飲みながら、ぼんやり庭を眺めていた。


最近は、精霊たちの光も自然に目へ入るようになっていた。


木々の間を踊る風の光。

花の周りで揺れる淡い緑。

水辺には青い雫みたいな小さな光。


静かな朝だった。


その時。


ガタン、と屋敷の裏手から大きな音がした。


「だから触るなと言っとるだろうが!」


怒鳴り声が響く。


リシュアは驚いて顔を上げた。



裏庭には荷馬車が止まっていた。

積まれているのは薪や木材だろうか。

その傍で、一人の老人が険しい顔をしていた。


白髪混じりの髭。

深い皺。

日に焼けた大きな手。


年老いてはいるが、身体つきはまだしっかりしている。

若い使用人が困った顔をしていた。


「すみません、手伝おうと思って……」


「余計なことをするな!」


老人は鋭く怒鳴る。

空気がぴりつく。

使用人はしゅんと肩を落とした。

周囲も気まずそうに視線を逸らしている。


リシュアは少し離れた場所で立ち止まった。


その瞬間。


——苦しい。


胸の奥へ、重たい感情が流れ込んでくる。

リシュアは小さく目を見開いた。

老人の後ろに、ぼんやりと人影が立っている。

それは若い男性だった。

けれど輪郭は曖昧で、霧みたいに揺らいでいる。

悲しそうな目だけが、はっきり見えた。


「……っ」


リシュアが息を呑むと、男性の亡霊がこちらを見る。

そして静かに、老人へ視線を向けた。


——違う。


そんな感情が流れ込んでくる。


——親父のせいじゃない。


でも、彼の想いは届いていない。

老人は険しい顔のまま、乱暴に木材を持ち上げた。

その手は、僅かに震えていた。


「シア?」


後ろから来たノアが、小さく声をかける。

リシュアは視線を逸らさないまま呟いた。


「…いる」


ノアも気づいたらしい。

老人の後ろを見て、小さく息を呑んだ。


以前より、ずっとはっきり見える。

亡霊はただ、苦しそうに老人を見つめていた。



その日の午後、リシュアは裏庭へ向かった。

老人は木箱の補修をしていた。

大きな手で釘を打ち込み、黙々と木材を削っている。

近づくと、不機嫌そうに顔を上げた。


「……なんだ、お嬢さん」


ぶっきらぼうな声だった。

リシュアは少し迷ってから、その近くへしゃがみ込む。


「さっき、怒ってたでしょう」


「……怒ってなどおらん」


「怒ってたよ」


即答すると、老人は眉をひそめた。


「最近の若いのは危なっかしい」


吐き捨てるように言う。

けれどその瞬間、リシュアの胸へ感情が流れ込んできた。


——危ない。

——怪我する。

——死んだらどうする。


リシュアは静かに老人を見る。


「……心配だったんですよね」


老人の手が止まった。


「は?」


「怪我したら危ないって思ったんでしょう?」


老人は顔をしかめる。


「当たり前だ」


「木材が当たれば人は簡単に死ぬ」


その声は怒鳴るみたいに大きかった。

でもリシュアにはわかった。

これは怒りじゃない。

この人は怖いのだ。


「……ずっと、怖いんですね」


カン、と。

老人の手から道具が滑り落ちた。

静寂が落ちる。

老人はゆっくりリシュアを見る。


「……何を知ったような口を」


低い声だった。

けれど、その奥は揺れていた。

リシュアは老人の後ろを見る。

青年の亡霊が、悲しそうに立っている。


ずっと…

ずっとここにいる。

老人を置いていけなくて。


「息子さん」


その瞬間、老人の顔色が変わった。


「……誰から聞いた」


「誰にも聞いてないわ」


リシュアは静かに答える。


「でも、ずっと苦しそうだから」


老人の呼吸が浅くなる。

ノアが少し緊張したようにリシュアを見る。

けれど止めなかった。


リシュアは続ける。


「荷物に触るなって怒ったのも」


「本当は怖かったからでしょう?」


「また誰かが怪我したらって」


老人は何も言わない。

けれど拳だけが震えていた。


「……儂が…急がせた」


掠れた声だった。


「…早く積めと言った」


「空が荒れそうだったから」


「急がねばならんと思った…」


リシュアは黙って聞いている。


「……あいつは、あの日、馬の様子がおかしいと言っていた」


「…なのに儂は」


老人の声が震える。


「だから……」


そこで言葉が途切れた。

長い沈黙のあと、リシュアは静かに言った。


「ずっと、自分を許せなかったんですね」


老人の顔が歪む。

今まで誰も、そこへ触れなかった。


「事故だった」

「仕方なかった」

「お前のせいじゃない」


そんな言葉ばかりだった。

でも本当に欲しかったのは、誰かの許しじゃない。


——苦しかったことを、誰かにわかってほしかった。


「……苦しかったですよね」


その瞬間。

老人の目から、ぽろりと涙が落ちた。


ふわり、と風が吹く。

リシュアの胸が温かくなる。

淡い光が、老人の後ろへ集まっていく。


亡霊だった青年の姿が、少しずつはっきり形を持ち始めた。


老人が息を呑む。


「……あ」


青年は静かに笑っていた。

責める顔ではなかった。


ただ、ずっと心配していたみたいな顔だった。


「……親父」


掠れるような声。

老人の肩が大きく震える。


「っ……ぁ……」


涙が次々溢れていく。

青年はゆっくり手を伸ばした。


その手が老人の肩へ触れた瞬間、淡い光が優しく広がる。


「……ちゃんと、伝わってるよ」


リシュアが静かに言う。

青年は小さく頷いた。


そして。


光は風へ溶けるように、

静かに消えていった。


あとに残ったのは、

柔らかな風の音だけだった。


老人はその場で顔を覆い、

声を殺して泣いていた。

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