11.避暑地へ
夏が近づく頃、フォルレイン家は北の別荘へ滞在することになった。
王都より少し涼しい山間の土地で、古くから避暑地として使われている場所だという。
リシュアとノアが訪れるのは初めてのことだった。
馬車に揺られながら、リシュアは窓の外を見ていた。
深い森へと続く道。
やわらかい木漏れ日。
風に揺れる緑の葉。
その隙間に、時折小さな光が踊る。
最近では、意識しなくても自然と精霊たちが見えるようになっていた。
「シア、酔ってない?」
向かい側からノアが顔を覗き込む。
「大丈夫」
そう答えると、ノアは少し安心したように背もたれへ寄りかかった。
エドガーは静かに本を読んでいる。
ミレイユは穏やかな笑みでみんなを眺めていた。
前世では、こういう時間を落ち着かないと思っていた気がする。
何かしていないといけない。
役に立たないといけない。
自分の存在価値をちゃんと示さないといけない。
…そんな焦りが、前世ではいつも感じていた。
でも今、リシュアはただ揺られるこの時間が嫌ではなかった。
⸻
別荘へ到着したのは、夕方頃だった。
湖の近くに建てられた古い屋敷で、白い壁には蔦が絡まっている。
屋敷はどこをみても綺麗に手入れされていた。
この場所は空気が澄んでいて、風が涼しい。
「わあ……」
思わず声が漏れた。
湖面が夕陽を映して、きらきらと揺れている。
その上を、小さな光たちが跳ねるように飛んでいた。
「気に入った?」
ミレイユが微笑む。
リシュアは小さく頷いた。
「…はい、とっても綺麗!」
と、その時だった。
サワッ
胸の奥が微かに引っかかった。
リシュアの笑顔が止まった。
「シア?」
ノアがすぐに異変に気づいた。
リシュアはゆっくり湖の方を見る。
風は優しく穏やかで、景色も綺麗で
…それなのに
——寂しい。
そんな感情が、一瞬だけ流れ込んできた。
「……どうしたの?」
リシュアはすぐには答えられなかった。
でも確かに感じた。
誰かが、ずっと待っているような…そんな気配を。
⸻
その夜。
別荘の廊下は静かだった。
遠くで虫の声が聞こえる。
リシュアは眠れず、窓辺に座っていた。
湖には月明かりが落ちている。
綺麗だった、けれど
昼間感じた“寂しさ”だけが、まだ胸に残っている。
すると不意に、窓の外を淡い光が横切った。
おそらく、風の精霊だろう。
ふわふわと漂いながら、まるで誘うみたいに湖の方へ飛んでいく。
「……こっちになにか、あるの?」
小さく呟く。
すると光は、少し先でくるりと回ってリシュアを待っていた。
リシュアはそっと立ち上がったその時。
「シア?」
背後から声がした。
振り返ると、ノアが眠そうな顔で立っていた。
「…また1人で行こうとしてる」
少し呆れたみたいに言う。
リシュアは困ったように笑った。
「起こしちゃった?」
「なんとなく気配したから」
ノアは窓の外を見る。
そして小さく息を吐いた。
「…精霊、呼んでるね」
淡い光は、静かに湖の方を漂っている。
ノアはしばらく黙っていたが、やがて観念したように言った。
「一人じゃ行かせないよ」
その言葉に、リシュアは少しだけ笑った。
⸻
夜の湖は静かだった。
月明かりが水面で白く道を作るように伸びている。
風は穏やかで、冷たくはない。
二人は湖畔をゆっくり歩いていた。
その時。
——ちゃぷん。
小さな水音がした。
リシュアが足を止める。
湖のほとり。
古い桟橋の先に、“誰か”が座っていた。
白い後ろ姿。
長い髪。
月を見上げるように、静かに座っている。
ノアが小さく息を呑む。
以前より、はっきり見える。
加護のせいなのか、
それともシアの側にいる時間が増えたからなのか。
亡霊は、ゆっくりこちらを振り返った。
若い女性だった。
けれどその瞳は、とても寂しそうだった。
リシュアの胸へ女性の感情が流れ込んでくる。
——帰ってくるのを待っているのに。
——会いたかっただけなのに。
——ずっと待っていたのに。
胸が締め付けられる。
でも同時に、それはとても優しい想いだった。
憎しみではなく愛情だった。
ただ、終われなかっただけ。
リシュアは静かに桟橋へ近づく。
ノアも隣にいる。
亡霊は何も言わずただ、悲しげな顔でこちらを見ていた。
「……待ってたんだよね」
その瞬間。
女性の瞳が揺れた。
月明かりの下で、雫が零れる。
リシュアは続けた。
「ずっと、帰ってくるって信じてたんだね」
「寂しかったよね」
亡霊は声もなく泣いていた。
その涙だけで、全部伝わってくる。
リシュアはそっと笑う。
「でもね」
「きっと、その人も帰りたかったと思うよ」
風が吹いた。
湖面が静かに揺れる。
するとそこには光が現れた。
その光は人の形を作り、亡霊の女性に手を伸ばす。
女性の肩が、小さく震えた。
「この人も…会いたかったんだね」
光は静かに女性を包む。
その瞬間、女性の表情が崩れる。
泣きたかったのを、ずっと堪えていたみたいに。
そして二つの光は一つになり輝いた。
リシュアはゆっくり手を伸ばして言った。
「ちゃんと、愛されてたんだね」
その言葉と同時に光は溶けていった。
風が優しく吹き抜ける。
月の光だけが湖面で揺れていた。
最後に彼女は、少しだけ笑った気がした。
——ありがとう。
そんな声が、確かに聞こえた。




