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#09 好きなのに



ランチの後、動物園へ行ったり広い公園を散歩したり、それなりに充実したデートを過ごした。


美術館で静かに過ごすどこかのふたりと違って、自分たちは子供の遠足みたいだなと思いながら過ごしたデートだったけど、航平くんは太陽みたいに明るくて楽しい人だった。

でも、どこか満たされなかった。

本当は甘いエクレアが食べたいのに、ダイエットを気にして、代わりに糖質オフのお菓子を食べた時のような満たされない気持ちによく似ていた。


地面に映し出された影が伸びて、日が暮れ始めた頃、私たちはまた、駅前のパンダのモニュメント前に来た。

上野を楽しんで帰る人達の群れで、昼間と変わらないくらい人が多くて圧倒された。

みんな満足そうだけどどこか名残惜しそうな顔をして駅へ入っていく。振り返った航平くんも同じような表情を浮かべていた。


「ヒナちゃん、また会ってくれる?」


夕日に照らされて光る純真なその瞳に、嘘はつけなかった。


「航平くん、ごめんね……」


私は少し俯き、ひと呼吸おいて続けた。


「今日は楽しかったんだけどね、やっぱり、元彼への気持ちが整理しきれてないってわかったの。こんな気持ちで会うのは、航平くんに悪いかなって。だからもう会わない方がいいと思うんだ……」


私の、正直な気持ちだった。航平くんは何か考えるように宙を仰いでから口を開いた。


「わかった。じゃあヒナちゃんの気が向いた時に連絡ちょうだいよ。待ってないけどさ、会えたらまた会おう」


その言葉はすごく曖昧で、すごく優しかった。


私も人の群れと同じ表情を浮かべて航平くんと別れ、駅へ入っていった。

満足だった。自分の気持ちをひた隠して会うよりも、こうして早めの段階でピリオドを打てたことに。でも名残惜しくもあった。明るい航平くんといると元気をもらえたから。


その帰りの電車の中で意外な人と遭遇した。


「ヒナちゃん?」


黒いスーツを着たビジネスマンに声をかけられた私は、ドア際に立ってぼんやり外を眺めていた目をその男に向けた。

一瞬、誰かわからず、怪訝な表情を浮かべてしまったが、すぐに思い出した。


「スバルさん!」


アユムの親友の泉スバルだった。


「よかった、思い出してくれて」


「ごめんなさい。ぼーっとしてて」


「おしゃれしちゃって。デートの帰り?」


その言葉には語弊があった。


「おしゃれじゃなくて、通常運転です」


“おしゃれ”なんて言われると特別感があって嫌だった。それに私は、いつでも気飾っている。だっていつどこで誰に会うかわからないし、可愛い服を着ていた方が日々のテンションは上がる。


「そういえばアユムがよく言ってたな。ヒナちゃんは近所のコンビニに行くにもめかしこんで行くって」


突然、アユムの名前が出て、それも私の知らないところで何気ないことまで友達に話していたなんて、面食らった。

そんな私の表情を読み取ってか、スバルさんの明るかった口調がわかりやすくしぼんだ。


「あ……悪い」


私は首を横に振った。


「私たちが別れたこと聞いたんですね、アユムに」


「いや……聞いたもなにも、ここだけの話なんだけどさ」


スバルさんはそう言って私に少し体を寄せた。


「あいつ、ヒナちゃんと別れたあと、めちゃくちゃ泣いてさ」


「え?」


思わず声が出てしまった。


「電話越しにすげー泣くからさ。だから飯誘ったら、『このメニュー、ヒナが好きだったな……』とか。夜にドライブ連れて行けば、『この夜景、ヒナが好きだったな……』とか。とにかく未練たらたらで。後悔してたよ。でも、“これでよかったんだ”とも言ってたけどな」


アユムの知らない一面に、私は言葉を失った。


「あ、ここだけの話な。アユムには言わないでくれよ」


私はコクンと頷いてから口を開いた。


「でも……もう吹っ切ったみたいに新しい女の人と楽しそうにデートしてますよ」


「あれ?ヒナちゃん知ってるの?」


「こないだ偶然、会いました。今日も、上野でバッタリ」


「えー。世間て狭いな。あの子ね、俺が紹介したの」


「え!?」


その一言に、“何してくれてるのよアンタ!”という怒気を含めた。

私のその表情を見るなり、スバルさんの視線が泳ぎ始めた。


「え…いや…その…見てられなかったからさ。新しい女あてがえば元気出るかなと思って……」


私は俯いた。私があまりにもがっかりした態度をとったからかスバルさんは焦った様子で言った。


「あれ?ヒナちゃん、あいつのことまだ好きなの……?でも結婚はできないって……え、俺、ヒナちゃんに殺される?」


「睨むだけにしておきます」


そう言って私は、休日の仕事帰りで、少し疲れていそうなスバルさんの横顔を睨んだ。




アユムが泣いていた。

駅からアパートまでの帰り道、そのことで私の頭はいっぱいだった。

それはエイプリルフールにつかれた嘘みたいな話だった。


3年半付き合っていたけど、アユムが泣いたところを、私は一度も見たことがない。

いっしょにタイタニックの映画や、可愛い犬が死ぬ映画を見ても、私たちの別れ話の時でさえも、アユムは泣いていなかった。

涙のひと粒でも欲しかったのに。

それなのに、別れたあと、ひとりで泣いていたなんて。

私のことを思い出しては感傷的になって後悔していたアユムは、大好きなスイーツを食べて気を紛らわしていた私よりも重症だったかもしれない。


「これでよかったんだ」というアユムの言葉はきっと、本心じゃない。もしかしたらそう思わないと耐えられなかったのかもしれない。

感情と理性が真逆で、少し可哀想に思えた。


「結婚を考えられないなら別れたい」アユムは私にそう告げて別れた。

結婚という言葉は甘くて重い。まるでドーナツみたいに。甘い裏には脂質と糖質がたっぷり詰まっていて、気持ちを重くさせる。

結婚もそうだ。甘い生活の裏で衝突し合うのに、一生好きでいられるかわからない。

相手を幸せにできるかも、自分が幸せになれるかもわからない。

それなのに、一生の約束を誓うなんて、やっぱり重い。


「好きなのに……」


誰もいない暗い通りで、ポツリと呟いた。




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