#57 帰り道
「ハンバーグ食べたいな~」
私のその一言でランチの店が決まった。
歩くガイドブックこと紗知の案内で〝ランデヴー〟という洋食屋さんへやって来た。
博物館からそう遠くなく、私たちの帰る方向にある店だった。
赤レンガ調の外壁で、イタリアの国旗が揺らめいている。パラソルが広がったテラス席もあって、ぱっと目を引く可愛らしい店だった。
レトロでカジュアルな店内は、気取らない昔ながらの洋食屋さんという雰囲気で安心感があった。
どんなおいしい料理が出てくるのか胸が弾んだがお昼時のお客さん混み合っていて、一時間待ちと聞いた時は心が折れた。
それでも店内に漂う美味しそうな香りに胃袋を奪われて待つことにした。
待って正解だった。
鉄板に乗ったハンバーグはソースとチーズがかかっていたけど、それに負けないくらい肉の旨みがしっかり感じられて感動した。思わず足をジタバタさせるとアユムが笑った。
私と同じものを注文した紗知も一口頬張ると、美味しさに驚くみたいに目を見開いていた。
「ブランド牛食いたい!」と騒いでいた潤くんは赤城牛のヒレステーキを食べてすっかりご満悦だった。
そんなところへアユムが「ここは俺が出すから」と静かに言い出したものだから、潤くんは眉を上げて少し驚いていた。
「は?」
「高速代もガソリン代もかかってるだろ。運転もしてもらってるしな。だから払わせてほしい」
ヒレ肉にスッとナイフを入れながらアユムはごく自然に申し出る。
「いや、いいって。気にすんなよ。俺たちが勝手に誘ったんだから。なぁ」
潤くんは豪快に笑いながら隣に座る紗知に投げかけた。
「うん。アユムくん、本当に気にしないで。潤くん、新車をひけらかしたいだけなんだから」
「人聞きの悪いこと言うなよ」
潤くんが苦笑する。
アユムは申し訳なさそうに笑った。
「いや、それでも俺の気が済まないよ」
潤くんは一瞬黙って照れくさそうに口を開いた。
「……じゃあ、ごちそうさま」
「ありがとう、アユムくん」
嬉しそうに笑う二人を見て、アユムもほっとしたような顔でステーキを口に運ぶ。
「じゃあアユムの奢りならデザートも食おっかなー。コーヒーも飲みたいからケーキセットにするか」
潤くんがメニューを開いてニヤリと笑った。
「潤くん図々しいよ」
紗知はそう言いながらちゃっかりメニューを覗いている。
「好きな物頼めよ。ヒナも遠慮しなくていいからな」
ふと優しい笑顔が向けられて、慌てて笑顔を返した。
アユムが当たり前のようにみんなへ気を配る姿を見ていると、私も何かお返しをした方がいいのかな……とちょっとした罪悪感が生まれた。
でもここで、私まで何か言い出すのは違う気がした。
ここはひとまずアユムが〝私たち〟の代表としてご馳走することにして私は大人しくしていよう。
紗知と次会う時に、デパ地下の何かおいしいお菓子でも買って「旅行の時はありがとう」と言って渡せばいい。それが自然だ。
そんな緻密な計算を頭の中でしながらハンバーグを食べていると、紗知が悲痛な声を上げた。
「あーあ。これで旅行も終わりかぁ。楽しかっただけに寂しいなぁ。日常に戻るんだ」
「明日からまた仕事だよ。だりーなー。朝イチから会議あるし。あれ誰得?」
潤くんからそんな言葉を聞くと急に商社マンに見えてくる。
アユムがふっと笑った。
「さぁな」
みんな、明日から仕事なんだ。
旅行の余韻に浸る間もなく真面目な顔を貼り付けて出勤する。つまんないなと思う反面、みんな同じ世界に住んでいて羨ましい。
明日も休みの私は会話に入れずにひたすらハンバーグを小さく切り分けて食べていた。
ケーキセットを堪能して、私たちはアユムより先に店を出ることにした。
ドアを抜ける前、ちらりとアユムを振り返る。
レジに立つ姿すら絵になって、黒のボッテガの財布もよく似合っていた。
「ごちそうさまでした!」
支払いを終えたアユムが店から出てくると、私と紗知と潤くんの声が綺麗に重なった。
アユムは柔らかく笑うと小さく頷いた。
「じゃあ帰るかー」という潤くんの言葉で車は発進した。
「ねぇ、時速20キロくらいでゆっくり走ってよ。まだ旅行終わらせたくない」
紗知が半べそをかきながら無茶振りをすると潤くんは「捕まるって」と苦笑した。
私も紗知と同じ気持ちだった。この時間を永遠に味わっていたかった。
だから、ハプニングで足止めを食らうことを願ったり、急に私たち以外の時間が止まってしまうとか、ファンタジーチックな妄想までしてしまった。それなのに何事もなく、車は高速に乗ってスピードを上げた。
ところが少し走ったところで状況は一変した。
「げっ、渋滞だ」
潤くんの落胆した声に、フロントガラスの方へ目をやると前の車がブレーキランプを灯していた。
追い越し車線へ出ても、少し進んではブレーキ、また少し進んではブレーキの繰り返しだった。
日曜日の午後三時過ぎ。
行楽地へ遊びに行った帰宅ラッシュに巻き込まれるちょっとしたハプニングに、私は密かに顔を緩ませた。
「やった~!渋滞バンザーイ!」
紗知が私の心の声を代弁するかのように弾んだ声で言うと潤くんがハハッと笑った。
「渋滞で喜ぶヤツ初めて見た」
「後ろにも約一名いるよ。ね、ヒナ」
ワクワクした気持ちで窓の外の渋滞を眺めていた私は、ぱっと車内に視線を向けた。
「渋滞のおかげでまだ旅行気分でいられるね」
ほらね、と紗知が笑う。
アユムが隣でくすりと笑った。
「渋滞がなくてもまだ旅行気分だろ。家に着くまでが旅行だ」
それもそうだという気にさせる。
「でも旅行の帰り道は寂しいの」
唇を尖らせて目で訴えた。
そんな私を見てアユムは目を細めて笑った。
「じゃあさ、次の旅行はどこ行くか決めようぜ」
バックミラー越しに潤くんと目が合った。
「え!また一緒に旅行に行けるの!?」
嬉しくて思わず助手席の背もたれに手をかけて前のめりになり、運転席を覗いた。
潤くんは肩越しに振り返り笑った。
「おう。行こうな。また俺が運転してやるよ」
ポンと頭に潤くんの手が乗る。
「あ、悪い。妹みたいでつい」
一瞬、不思議な気持ちが胸を通り過ぎた。
年の離れたお兄ちゃんがいたらこんな感じなのかなと思った。
「アユムくん、気をつけて。潤くんがヒナに手出し始めたよ」
紗知が面白がるように口元を緩める。
「八つ裂きだな」
アユムが冗談なのか本気なのかわからない顔で呟いた。
「いや、妹みたいって言っただろ」
潤くんが慌てて弁解する。
紗知はそんな潤くんを横目で睨みつけたけれど、口元には笑みが浮かんでいた。
「八つ裂きにしたあと、もう一回八つ裂きね」
「そ、それより旅行どこ行く?」
潤くんの声が少し上ずった。
「ディズニー行きたーい!」
私の呑気な声が車内に響いた。
「あーディズニー旅行もいいね!でも私は鎌倉も行ってみたいなー。小町通りで食べ歩き!」
紗知が後ろを少し振り向いたから私も少し身を乗り出した。
前の車は相変わらず、ブレーキランプを灯している。
「あっ、いいね食べ歩き!あとまた海にも行きたいなー。アユムはどこ行きたい?」
アユムへ顔を向けると、窓の外を眺めていた視線がこちらへ向いた。
「どこでもいいよ。でも鎌倉なら江ノ島まで行って海が見れるな」
「じゃあ鎌倉と江ノ島、有力候補だね。潤くんは行きたいとこある?」
紗知が、渋滞の運転で少し疲れが見える潤くんの横顔に問いかけた。
「俺は車走らせたいだけだからどこでもいいけど、今度旅行行くとしたら有給取って平日に行きてーな」
「あ、たしかに。道路もお店も休日より空いてそうだもんね」
「湘南方面の渋滞は運転好きでも覚悟いる」
そう言って潤くんは苦笑するとバックミラーを覗いた。
「アユム覚えてるかー?昔、二人で江ノ島行ったの」
「ああ。免許取りたての頃、二人で行ったな。渋滞にハマってひどい目にあったよな」
「え、なに?」
紗知は面白い話を期待するような目でアユムと潤くんを交互に見ている。
潤くんが観念したように口を開いた。
「……俺がトイレ行きたくなって」
「うん」
「……もう限界で途中で降りて」
「え、まさか」
「若気の至りってやつ」
潤くんは手を首の後ろに当てて恥ずかしそうに笑った。紗知は呆れている。
「もうなにしてるのよー」
そんな話をしているうちに、前方の車の列が少しずつ動き始めた。
さっきまでの煌々とついていた赤いブレーキランプが消えていく。
「お。流れてきたな」
潤くんが前を見ながらアクセルを踏む。
旅行の余韻に浸っていた時間が、あっという間に溶けていく。こうして少しずつ日常に戻るんだ。
現実と夢の境目なんて感じさせないくらい自然に、静かに。




