#56 ふたりのキューピー
「わぁ!ヒナ見て!おっきいクマ!」
「可愛い!紗知、写真撮ろ!アユム撮って!」
エントランスで出迎えてくれた大きなクマのぬいぐるみ。あまりの大きさに興奮して、私は紗知の手を引いてぬいぐるみに駆け寄った。
よく見るとクマの上には【IKAHO TOY ,DOLL&CAR MUSEUM】と書かれ、ゴールドで縁取られた黒い看板が掲げられていた。
フォトスポットなのかもしれない。
「俺も俺も!」
潤くんも入ろうとしたところをアユムに止められた。
「おまえはいい。撮るぞー」
にっこり笑ってポーズを決めると、シャッターが切られた。
こんなふうに紗知と二人で写真を撮るのは、結婚式の時を除いたら久しぶりで、少し照れくさい。
「アユムありがとう。あとで送ってね」
アユムのスマホに自分の写真が入っていることもなんだか恥ずかしくなる。
私の顔を拡大して見たりするのだろうか。
そんなことおくびにも出さずにアユムは「ああ」と小さく笑った。
館内へ入ると「潤くん、人数分のチケット買ってきて」と紗知が相変わらず潤くんをこき使い、潤くんも当たり前のように買いに行く。
その間、私はたくさんの展示物に目を丸くしていた。
アニメのキャラのフィギュアや、大集合したクマのぬいぐるみ、壁に飾られたオードリーヘップバーンの何枚ものブロマイド。
目が奪われるものばかりだった。視線を巡らすのが忙しい。
「これチケット。あとキューピー人形」
潤くんが戻ってきて、チケットと一緒に、手のひらよりも小さいのっぺらぼうのキューピー人形を手渡された。
「出口のあたりに絵付けコーナーがあるから自分たちで顔を書くんだって。入館した記念らしいぜ」
「へぇー。楽しみ!じゃあ行こ!」
先頭を切る紗知に続くように、私はアユムと手を繋いで歩き出した。
館内は迷路のように入り組んでいた。
私の心を弾ませたのは昔の街並を再現したレトロなコーナーで、アユムと歩いていると昭和にタイムスリップしたみたいだった。
見たことのない看板や駄菓子屋。昭和を知らない私たちでも楽しめたのだから、昭和を知る人にとっては、たまらない懐かしいエリアなのだろう。
様々なコーナーを見ながら二階へ上がると、とうとう潤くんが騒ぎ出した。
頭文字Dという漫画の展示コーナーに差し掛かったからだ。セットを見つけるや否や猛ダッシュ。
「おお!」だの「やべぇ!」だの「すげぇ!」だの語彙力に欠けた言葉ばかり発して、スマホ片手に大騒ぎしていた。
「紗知!写真撮って!写真!」と子供みたいに言って、白黒のツートンの車や、ド派手な黄色の車の前でポーズを決める姿はやっぱり、女の子たちが騒ぐ大手企業に勤める商社マンには見えなかった。
スポーツカーやクラシックカーが展示されたエリアでも潤くんは熱く騒いで、挙句の果てにはアユムに絡んでいた。
ホイールがどうだの、レスポンスがどうだの、ステアリングがどうだのと、肩を組んで語りつくしていた。
アユムは穏やかに相づちを打ちながら付き合っていた。
その足で屋外の小さな森の中へ出ると、そこは古き良き名作の映画のポスターが展示されたエリアだった。
大好きなタイタニックのポスターを見つけると、私は頭文字Dの潤くんさながらに騒いだ。
「アユム、写真撮って!この画角から!ちゃんとポスター全体写してね!私のことも綺麗に写してね!」と無理難題を押し付けて撮ってもらった一枚は完璧な出来だった。
思う存分楽しんで歩き疲れた頃、気づけば館内を一周していた。
順路通り一階の出口付近にたどり着き、キューピー人形の絵付けコーナーへと出た。
カフェの隣の明るく広々としたスペース。
混みあっていたけど、運良く四人向かい合って座れる席が空いた。
椅子に座ると、バッグの中からキューピー人形を取り出してじっと眺めた。こういうのは美的感覚が試される。
紗知と横浜に旅行へ行った時に訪れたカップヌーミュージアムで、自分だけのカップヌードルを作れる体験コーナーがあって参加したのだけど、カップに好きな絵を描くというコーナーで、自分には絵心がないことを痛感した。
何を書くか浮かばない私はピンクのペンを持ってひとしきり大きさが違うハートマークを書いて塗りつぶし、ローマ字で自分の名前を書いただけで終わったのだ。
その隣で紗知は、器用にすらすらと自分と私の顔を少女漫画風に描いていて、売り物みたいに可愛いカップヌードルを作り上げていた。
そんな自分からセンスの「セ」の字も感じない私は、ドキドキしながら黒いペンを握り、まずはキューピーの目を書いた。
窪んだ目の部分に色を載せるだけの簡単な作業のはずだった。それなのに、迷わず全部塗りつぶしたから、宇宙人のような大きな目になってしまった。
「ヒナのキューピー、宇宙人みたい」
向かいに座る紗知が覗き込んできて楽しそうに笑った。
「ひどい」
唇を尖らせて紗知の手元を覗くと、キューピーの目はほどいい大きさで、黒く塗った上に小さな白い丸が描かれていて、目に光が宿っているようだった。
なるほど、そう描くのか。白いペンを手に取って真似をした。
隣のアユムを見ると、眉間に皺を寄せ一生懸命に目を描いていた。
普段余裕のある大人がキューピー相手に本気になっている。
その姿が可愛くて、思わずふふっと笑いをこぼすと、アユムのペン先が止まった。
「ん?」
眉をピクリと上に上げ、ちらりと横目を向けられる。
「アユム、真剣だね」
アユムは苦笑してキューピーにまた視線を落とした。
「ああ。意外と夢中になるな、これ」
今度は鋭く目を細め、胴体の方へペン先を移動させた。
「アユムのキューピーにほくろ描いてやろうか」
アユムの向かいに座る潤くんが、作業をしながらいたずらっぽく笑う。
「自分のに描け」
アユムは淡々と言い返した。
私も息をつき自分のキューピーと向き合い、キューピーに命を吹き込んでいくようにペンを走らせる。
胴体の上半身はピンクにして、黒ペンでJILLと書こう。下半身は水色にして足元は白で決まりだ。
周りは賑やかなのに、私たちの間では、ペン立てにペンを戻すカツンという音と、ペンの色を探す時にペンとペンが擦れ合うジャラッとした音だけが響いている。
「……ねぇ、誰か喋ってよ。カニ食べてるんじゃないんだから」
そう言った紗知にちらりと目を向けたけど、紗知は一度も顔を上げずにペンを走らせていた。
「アユム、なんか喋れよ」
潤くんも芸術家みたいに真剣な面持ちだった。
話を振られたのに、アユムも顔を上げない。
「無理。……ヒナ」
急に会話のバトンが回ってきて焦った私は、ぽつりと呟いた。
「お腹空いた……」
ふと三人の視線を感じた。
次の瞬間、静かだった私たちの空間にどっと笑い声が広がった。
私はきょとんとした。
「もうやだ、ヒナってば。笑わせないでよ」
笑わせたつもりはないのに、紗知はいつまででも笑っている。
「まさかその言葉が出てくるとは思わなかったな。ヒナちゃん最高」
潤くんも堪えきれず口元に軽く手を当ててまだ笑っていた。
「たしかに腹減ったな」
アユムの優しい表情で胸はいっぱいになったけどお腹は満たされない。
「ヒナ、これ終わったらどっかでご飯食べようね」
紗知の子供をあやすような優しい口調に「うん」と笑顔で頷いた。
「でっきた~!見て見て!セクスィーキューピー!」
潤くんが弾んだ声を上げてキューピーを見せてきた。
真っさらだったキューピーが、白い花柄の青いビキニを着た、意外にも可愛らしい姿に変身を遂げていた。
「あー!私の真似したでしょ!ほらぁ!」
頭に怒りマークでも付けたような顔で、紗知も自分のキューピーを私たちにお披露目した。
白い花柄でピンクのビキニ姿のキューピー。頬も少しピンクがかっていて可愛い。
色違いのビキニでそっくりだったけど、紗知のキューピーのほうがどことなく丁寧でそつがなく、綺麗だった。
「真似してねーよ。マジで偶然だから。すごくね?夫婦でそっくり」
二つ並べると可愛さが増した。
「アユムは?おまえがビキニ描いてたら俺は引くぞ」
潤くんが笑う。
たしかにそれはアユムの柄じゃない。
どんな作品になっているのかドキドキしているとアユムが見せてきたのは黒のスーツ姿のキューピーだった。
ちゃんとネクタイも描かれていて、キリッとした眉やメガネまで。どことなく本人と似ていた。
「可愛い!アユムキューピーだ!」
思わずそんな言葉が口を突いて出た。
「ほんとだ、アユムくんみたい。上手だね」
「まぁ俺のキューピーのほうがビキニで可愛いけどな」
紗知が褒めるものだから、潤くんが拗ねた声を出した。
「ヒナのは?」
アユムに促され、出来栄えが恥ずかしかった私は恐る恐る見せた。
「可愛い!今日のヒナじゃん!ヒナキューピー」
そう言ったのは紗知だった。
目を輝かせて食いついてくれる。
「ヒナらしくて可愛いな」
アユムが愛おしそうに笑った。
今日の私をそのまま小さくしたようなキューピーを褒められると、自分を褒められてるみたいで嬉しくなった。
「じゃあそろそろ行くか」
潤くんが立ち上がり、私たちもつられるように立ち上がった。
「ねぇアユム、キューピー交換こしない?」
突拍子のない提案にアユムは不思議そうに私を見た。
「アユムの分身みたいなキューピーをそばに置いておきたいの。私の分身のキューピーもアユムのそばに置いてほしくて。だめ?」
ノーと言わせないよう、甘えたように上目遣いをしてみる。
「ああ、いいよ」
アユムはすんなりのってくれて、私に自分のキューピーを渡した。
手のひらの中で黒いスーツを着たキューピーが小さく笑った気がした。




