#47 モテ伝説
いつの間にか車は関越を走り、北上する。
土曜日の朝は交通量が多いせいで一般道のようにゆるゆると走っていたが、渋滞が緩和されると流れは一気に速くなった。
人には『丁寧に乗ってね』と言っていた割に、追い越し車線に出た潤くんは、前が開くたびに軽くアクセルを踏み込んで次々と大型トラックを追い抜いていった。
「潤」
アユムの低くて静かな声が呼ぶ。潤くんはバックミラー越しにアユムをちらりと見た。
「ん?」
「飛ばしすぎ。覆面に気をつけろよ」
腕を組み、足も組んで前を見据えるアユムは、まるで教習所の教官みたいに見える。
「はいはい」
潤くんは軽く返事をして、左にウインカーを出して走行車線に戻ると、速度を緩めていった。
「ねぇ、どこかサービスエリア寄ろうよ。トイレとかお土産とかさ」
紗知がはしゃいだ声で言って、潤くんと私たちを交互に見た。
「土産はまだ早いだろ」
潤くんが笑う。
「見るだけでも楽しいの。ね、ヒナ」
「う、うん」
突然、同意を求められて返事がもたついた。
「じゃあ高坂寄るか。あ、アユム。例のゲームでもしよーぜ」
潤くんがニヤリと笑った気がした。
「しない」
アユムは即答だった。
「なに?例のゲームって?」
紗知が訝しそうに首を傾げる後ろで、私も小首を傾げた。
「昔、俺とアユムと怜司くんでスノボ来た時とかにサービスエリア寄ってやってたゲームなんだけどさ。誰がより多くの女の子の連絡先を聞けるかってやつ」
「はあ!?」
紗知と私の声が重なった。
「アユム、女の子ナンパしてたの?」
ちょっと汚いものでも見るような目でアユムを見てしまった。
アユムは不服そうに息をついて、潤くんは悪びれもなく笑った。
「厳密に言うと女の子捕まえてたのは俺と怜司くん。アユムは放棄して喫煙所でタバコ吸ってた」
「何その遊び、最低」
紗知が白い目を向けた。
私の頭の中はほんのわずかな時間で飛び込んできた情報でいっぱいになっていた。
「アユム、タバコ吸ってたの?」
私の知っているアユムはタバコは吸わない。
以前四年近くも付き合って、アユムのことはわりと知っていると思っていたのに、思いがけず知る“知らないアユム”に心の奥がざわついた。
「大学生の頃な。怜司くんに無理やり教えられて。社会人になってやめたよ」
アユムは淡々と言った。
想像するとちょっとかっこいい。
さっきまで軽蔑の眼差しを向けてしまったけど、物憂げな顔でタバコを咥え、煙をくゆらせている姿を想像すると、少しだけ胸が高鳴った。
「怜司くんてほんとすごいんだぜ。一時間で十人の連絡先ゲットしてんの。俺はちなみに五人。でも二十歳の時で五人は上出来だよな」
潤くんは誇らしげに笑う。
結婚式の時に会った高校の友達たちが、潤くんを『ハイスペ』と言って盛り上がっていたけど、やっぱり私にはこのノリの軽さがハイスペ男子に見えない。
紗知が容赦なくぎろりと潤くんを睨んだ。
「誰も聞いてないから」
「あ、やべっ、怒らせた。今日やろーぜって言うのは冗談だよ」
潤くんはようやく危機を察したようだった。
それでも潤くんが笑っているところを見ると、二人の仲の良さが伺える。
「まぁ、私と出会う前のことだからいいけど。結婚しててもそんなことやってたら鉄拳くらわすからね」
紗知が白魚のような手をぎゅっと握りしめて見せつけ、拳にハァッなんて息を吐いた。
はっきり言ってそんな綺麗で神々しい拳に迫力はない。それでも潤くんはわざとらしく笑った。
「おーこわっ。あ、高坂着くぞー」
車は吸い込まれるように、サービスエリアへと続く道へ逸れていった。
まだ九時過ぎだというのに広い駐車場にはたくさんの車が停まっていた。そのうえ、空きを探す車がゆっくり進みながら列を作っている。
品川、足立、多摩、横浜、習志野、柏……
並ぶ車は県外ナンバーで溢れていた。
運良く一台の車が出ていったので、そこへ停めることができた。
潤くんは「俺この斜めの駐車枠が嫌いなんだよなー」と言いながらバックでするすると駐車した。
外へ出ると一足早い春の暖かい日差しが、私を照らした。
アウターを着るほどの寒さはなく、ニットのままでいると「ヒナちゃんの後ろ姿セクシーだな。アユム耐えられるか?」と、潤くんがくくっとからかうように笑い、それを聞いた紗知が「その服欲しい!まだ売ってる!?」と食らいつくような目で聞いてきた。
トイレから出ると行き交う人波を眺めながらきょろきょろ辺りを見渡した。
一緒に入ったはずの紗知の姿が見当たらない。
「ヒナ」
そう声をかけてきたのは人波の邪魔にならないよう端の方に立っていたアユムだった。
「アユム。紗知、もう出てきた?」
「ああ。潤と店の中に行ったよ」
「そうなんだ。じゃあ私たちも店内見よっか」
自然とアユムの手を握って歩き出そうとしたのにアユムは立ち止まった。
「ヒナ」
呼ばれて振り返ると、アユムは少し困ったように笑っていた。
「そういう服は家デートの時だけにしてくれ」
どこか甘く響く声だった。
なのに、新宿デートの一件以来、アユムの機嫌に少しだけ敏感になっている私は、顔色を伺ってしまう。
「……こういう服嫌い?怒ってる?」
「いや……」
アユムはそう言って視線を少し逸らした。
「触れたくなる気持ちを抑えるのに、必死」
それを聞いて安堵と嬉しい気持ちが込み上げた。
ふふっと笑みがこぼれて、アユムの腕にくっついた。
「そうされるとますます困るな」
小さく息をついたアユムを見上げた。
「なにが困るの?」
私は知っていて、わざと甘えた口調で聞いた。
アユムの口から聞きたい。ちょっと刺激的で、甘い言葉を。
でもアユムは私を見つめたまま口を割らない。
見かねた私は片手を口元に添えて小声で言った。
「キスしたり、イチャイチャしたくなるってこと?」
私の顔に確信犯みたいな笑みが浮かんでしまう。
アユムは片方の口端を上げて笑った。
「教えない」
アユムはそう言って私の唇を指先できゅっと摘んだ。
サービスエリアと言ったらグルメ。
みんなでシェアしようと紗知と一緒に、焼きたてのメロンパンと、揚げたての唐揚げを買って車に戻った。
潤くんはしきりに「絶対こぼすなよ!」と言っていたが一番先に本人がメロンパンをポロポロとこぼしていた。
「アユムくんみたいに綺麗に食べて!」と紗知に叱られている光景は、私とアユムには無い関係性を映していて、微笑ましくてクスクス笑ってしまった。
サービスエリアを後にすると車は再び高速道路を北へ走り出した。
車窓を流れていく景色は、高い建物なんてひとつもなくて田んぼや畑や緑が広がっている。
私の住む西東京市も都心と比べたらのどかだけど、目の前に広がっている大自然には負ける。
街の喧騒も好きだけど、鳥のさえずりしか聞こえてこないような自然も好きだ。
「ヒナさぁ、こないだ二階堂とバッタリ会ったんだってね?二階堂から電話来てさ、デート中に元カレの話してごめんって謝っておいてって言ってたよ」
唐突に紗知に話を振られ、それがちょっと苦い思い出になっている新宿デートの話で、窓の外の景色を見て穏やかになっていた顔がみるみるうちに歪んでいった。
「うん。新宿のスタバで、まさかの隣同士。びっくりしちゃった。元カレの話してきて、アユムと気まずくなったんだよ」
紗知と潤くんが盛大に笑った。
私の横でアユムも小さく笑っていた。
「それはたしかに気まずいよな」
潤くんが笑いながら言う。
「アユムくんのこと、彼氏が物静かな大人の男だったーって驚いてたよ。釣り合い取れてないけど大丈夫か?って心配してた」
二階堂、余計なお世話だ。
「二階堂ね、昔ヒナのこと好きだったんだよ。知らないでしょ?アユムくんごめんね、昔の話だから」
紗知が私に言いながらアユムを気にかけると、アユムは静かに笑った。
「ああ。いいよ」
余裕そうなアユムが憎たらしい。
ついこないだ会った男が昔私を好きだった、なんてちょっとしたニュースなのに。
もう少しヤキモキした態度を出して欲しかった。
二階堂はそこそこかっこいい。精悍な顔つきをしていて真面目で、学年の女子から人気があった。
それなのに、私の顔のパーツがひとつもニヤケない。だからわざと口元を緩ませた。
「二階堂が私を?知らなかった。ちょっと嬉しいかも。なーんて」
冗談っぽく言い、ちらっとアユムを見ると何も言わずに私を見ていた。
私は何食わぬ顔で、ゆっくりと逸らした。
「もうヒナったら涙ぐましいわね。アユムくんに嫉妬してもらいたいからって」
せっかくの演技が台無しだ。
私がむすっとした表情を浮かべると、それを見たアユムが安堵するように小さく息をついた。
「アユム、妬いたか?」
潤くんがバックミラー越しに尋ねる。
「ああ」
アユムが穏やかな笑みを浮かべながら照れもなく短く答えると、運転席と助手席からヒューヒューと冷やかしの野次が飛んだ。
仕掛けた私が恥ずかしくなって俯いた。
「でもヒナちゃん、モテたでしょ?」
潤くんの言葉に紗知が頷いた。
「モテた。ヒナ本人が気づいてないだけで」
「紗知はいっぱい告白されてたよね」
「え!紗知が!?どんな奴らから!?」
私の何気ない言葉に、潤くんの血相を変えた視線がバックミラー越しに覗き、車体が一瞬、ふらっと揺れた。
「ちょっと潤くん、危ないって」
紗知が慌てて咎めた。
「んー。先輩が多かった気がする。タメの男子達は紗知が大人っぽくて近寄りがたいって聞いたことあったなぁ」
「あぁ~」と男性陣二人が納得の声を上げた。
「私もそれ聞いたことある。まったく根性なしよね。逆にヒナは同級生の男子から人気あったの。天真爛漫で可愛くて」
うんうん、と男性陣二人が今度は頷いた。
「俺らも大学ん時はモテたよな~、なぁアユム!」
「覚えてない」
潤くんの言葉にアユムは窓の外を眺めながらぶっきらぼうに答えた。
「俺なんて新歓とか合コン行くたびに可愛い女の子が連絡先くれてさ!イテテテテ!」
紗知が潤くんの頬をつねった。
「その連絡先とやらはもう消してあるのよね?」
「消した消した消した!」
そんな二人のやりとりを横目で見てから、私はアユムの横顔を見つめた。
アユムは潤くんと紗知の戯れを見て、口元に笑みを浮かべていた。
「アユムの武勇伝は?」
知りたくないのに知りたい。
私の方を見たアユムは嘘偽りのない目で笑った。
「そんなのないよ」
「いや、ある!」
潤くんが即答した。
「普通にモテてただろ、おまえ。新歓行くと囲まれてたしファンクラブも二つあったし」
「ファンクラブ、二つ?」
私は思わず聞き返した。
“ファンクラブ”という異様な響きに加えて、二つというさらに異様な数字まで。
また知らないアユムが出てきて、めまいがしてきた。
「知らないな」
アユムは本当に知らなそうな顔をしている。
「いや、あったんだって。同じ学部の女子グループとサークルの女子グループの中に。ひとつは『アユム観察隊』とか言って、アユムのこと追いかけて観察してたんだぜ」
「へぇ」
アユムは自分のことなのに他人事のようで、興味も無さそうだった。
そんなアユムを見て、紗知が目を輝かせた。
「さすがアユムくんだね。自覚ないところがまた素敵」
無自覚。それなのに周りを夢中にさせる。
芸能人でもアイドルでもないのにファンクラブが二つ。でもアユムを見ていると妙に納得してしまう。
改めてアユムを見る。
脚を組みながら窓枠に軽く肘を乗せて頬杖をついていた。
座っていてもわかるスタイルの良さに、綺麗な横顔。艶のある黒髪は流れるようにセットされていて、メガネの間から見える漆黒の瞳は優しげだ。
『アユム観察隊』。ファンクラブを作った女の子たちの気持ちがよくわかる気がした。
ずっと見ていたくなる。瞬きですら見ていたい。
そんな人が、今は私の隣にいる。
不意にアユムがこちらを向き、目が合った。
アイドルのファンサービスみたいに、柔らかく微笑んだ。
春の陽気に包まれたみたいに心がほわっとする。
この特等席はもう、誰にも譲りたくない。




