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46/61

#46 出発



あっという間に、旅行へ行く日の朝が来た。


六時半起床。

昨夜、楽しみであまり眠れなかったわりには、予定通りに、それも朝が弱い私にしてはスムーズに起きられて順調な駆け出しである。

顔を洗って歯を磨いて。普段していることも、旅行の日だと思うと特別に感じる。

メイクも髪を巻くのもいつもより少し気合いが入る。


クローゼットから春らしい淡いブルーのジーンズを出すと、鏡の前で足を通した。

膝下に広がるフレアなデザインで、スニーカーでもさりげなく美脚効果を狙う。

今日着ていこうと、こないだ買った白のリブニットは、胸元に黒のデイジーがさりげなく刺繍されている。

ハイネックなのに、背中は少し開いていて、それをヘルシーに見せるかのように、リボンが垂れている。後ろ姿には程よい抜け感があった。


今日は朝から暖かくなると、テレビで言っていたから、アウターは黒のムートン風ジャケットを着ずに手に持っていく。車内では身軽でいたいし、ふとした瞬間、アユムの視線が背中に向いたら嬉しい。

バッグは靴の色と合わせた、COACHの白いキルティングのチェーンショルダーバッグ。

何年か前にアユムに買ってもらったもので、小ぶりで上品なデザインが気に入っている。


支度が終わると、旅行バッグの中身をチェックした。TOCCAのライラック色のバッグは可愛らしいデザインを少し壊すくらい荷物がぎっしり詰まっている。

たった一泊二日の旅行なのに、私はありとあらゆるものを持っていく。

ホテルのドライヤーの風量が弱かったら困るからと普段使っているドライヤーを持っていくし、ヘアアイロンも必須だ。

洗面セットと、大事なスキンケア用品一式も忘れてはならない。浴衣があるかもしれないけど、一応パジャマも持っていく。

それからコスメと翌日の服も。あと念の為、折り畳み傘まで詰め込んだ。

まるで駆け落ちか、夜逃げでもするみたいだ。


八時五分前。いつでも出発できるように肩にショルダーバッグをぶら下げる。ついでに鏡をチラリと見て前髪を整えた。

旅行バッグを持ってみると重い。

何か減らそうか考えながら荷物とにらめっこをしていると、アユムから『着いたよ』と電話がきた。

旅行バッグとアウターを持つと、玄関で新しい靴に足を通して部屋を出た。



予報通り、外は薄手のニットでも耐えられるくらい暖かかった。青い空に白くて薄い雲が散らばっているいい天気だ。

アパートの入口を出ると、前の通りの路肩に止まった白い車の助手席から、紗知が窓を開けて手を振っていた。

私は思わず笑顔になって車に駆け寄った。


「おはよ、ヒナ。相変わらず荷物多いね」


紗知とは何度か旅行へ行ったことがあり、その度に荷物の多さに呆れられていた。


「持って行く物がたくさんあるんだもん」


「おはよーヒナちゃん、久しぶり」


紗知の奥の運転席から潤くんが顔を覗かせた。

大人っぽい顔立ちに滲ませる少年みたいな笑顔。犬で例えるならゴールデンレトリバーみたいな人懐っこさがある。


「おはよ、潤くん。今日はよろしくお願いします」


「おう!」


頼もしいその声に重なるように、反対側のドアがバタンと閉まる音がした。アユムだった。


センター分けに垂れたすっきりとした前髪。

胸の部分に小さく赤いポニーの刺繍があしらわれたラルフローレンの黒の長袖のポロシャツと、濃紺のスリムなジーパン。

髪型までビシッと決まったいつものスーツ姿とは違うラフな姿なのに、様になっている。


「おはよ、ヒナ。荷物、トランクに乗せてやる」


「おはよ、アユム。ありがとう」


旅行バッグを手渡すと、アユムは苦笑した。


「重いな。一週間くらい泊まる気?」


「一週間だったらそのバッグじゃ足りないよ。アユムの荷物は?」


アユムは私のバッグを置いたその横のバッグに手を置いた。

シンプルな黒のコンパクトな旅行バッグ。よく見るとポーターのものだった。

私みたいにぎっしり詰まっている見栄えではなく余裕があった。持ち主みたいに。


「そんな少ない荷物で足りるの?」


「一泊二日ならこんなもんだろ」


そう言ってアユムは、バタン!と、トランクのドアを閉めた。

トランクの部分に飾られたVOLVOのロゴが朝の日差しを受けてきらりと輝く。

不意に、アユムが私の手を握った。


「ヒナ。会えて嬉しいよ」


「私も……」


なんだか照れてアユムの顔をまともに見れず、少し俯いた。


「おい、イチャついてんなよ、行くぞ」


甘いひと時を切り裂くように、運転席の開いた窓から潤くんの声が飛んできた。

私とアユムはクスッと笑い合って、後ろの座席に乗り込んだ。



初めてお目にかかる高級感のある白のレザーシートが、朝日に照らされて柔らかく光る。

弾力がありながらもふわっとした座り心地は長旅にも優しそうだった。


「車、買い換えた?前は違うのだったよね?」


すると紗知が後部座席を振り向いた。


「そうそう!三ヶ月前に納車されたばっかり。潤くんご自慢のSUV」


「だから新車の匂いがするんだ。この匂い好き」


目いっぱい鼻から吸い込む。

プラスチックとゴムと接着剤が混ざったような独特な匂いだけど、特別を感じる匂いだ。

バックミラー越しに潤くんが笑った。


「ヒナちゃん丁寧に乗ってね」


「え、緊張してきた……」


私が苦笑すると車内に笑い声がこぼれた。



車を走らせてすぐ、たまたま通りがかったスタバのドライブスルーで朝食とコーヒーを買った。

車内には、コーヒーの香りと共に、旅の高揚感や昔を彷彿とさせる温かい空気が満ち始めた。

懐かしいJPOPも小さな音量で流れていた。


「アームレスト下ろしていいから」という紗知の言葉を聞いて、アユムが座席の中央の背もたれを倒した。すると肘掛けみたいな、テーブルにもなりそうなものが現れた。格納式のドリンクホルダーもついている。

そこにスタバのカップを並べ、具材の違う四角い小さなサンドイッチがぎゅっと詰まったパックも置いた。

アユムとの境界線ができたみたいだったけど、便利でいい。

助手席にしか乗らないから使ったことがないだけで、アユムの車にもこんなのがあった気がする。

そんなことをぼんやり思いながらサンドイッチを一切れ摘んで食べていると、紗知が楽しそうに口を開いた。


「ねぇ、このメンバー久しぶりでテンション上がる!二人が寄り戻してくれて本っ当によかった!ね、潤くん?」


「それな。俺の言った通り。俺はまたより戻すって確信してただろ」


「なにそれ、今初めて聞いたんだけど」


紗知の声と視線が冷たくなった。


「あれ?そうだっけ?」


潤くんがとぼけたように笑うと、紗知はため息をついた。


「潤くんてほんといい加減なの。ヒナ、わかる?私の苦労」


二人のやり取りがおかしくて、私はクスクス笑った。

昔から二人はこんな感じだ。紗知の方が潤くんより歳下なのにお姉さんみたいな立ち位置にいる。


「アユム、お前からもなんか言ってやって」


「俺を巻き込むなよ」


潤を軽くあしらうようにアユムは呆れた口調で言ってコーヒーをひと口飲んだ。


「前回この四人で出かけたのって、いつどこだっけ?」


紗知が潤くんにサンドイッチを渡しながら誰にともなくそう言うと、潤くんが答えた。


「たしか去年の夏の前あたり。台場の海だった気がする」


「そうだそうだ、海浜公園行ったね!ヒナが行方不明になったよね」


紗知の言葉に潤くんとアユムが笑って、私はおもしろくなさそうに唇を尖らせた。


「トイレ行って帰る方向間違えただけだもん」


「遅いからアユムが電話して『そこから何が見える?』って聞いたら『海が見えるよ!』だもんな」


潤くんが思い出すようにケラケラ笑い出す。

つられるみたいに紗知とアユムも笑った。


「だって海しか見えなかったんだもん!」


「伊香保では迷子になるなよ」


そう言ったアユムの目は愛おしそうに私を見つめていた。

面白がってると思って小さく睨んだ目を向けたけど、それは見当ハズレで私の視線の方が迷子になった。


「石段街ではぐれて『石の階段が見えるよ!』って言ってるヒナちゃんしか想像できない、俺」


潤くんはまだからかうみたいに笑っている。


「もう迷子になんてならないもん」


むくれると、アユムが私の頬を人差し指で突っついた。


「そうしてくれ。あの時、見つけるの大変だったんだから」


そしてアユムはサンドイッチに手を伸ばした。


「また海も行きたいなー」


紗知が懐かしそうに笑った。


「ねぇ、結婚式の二次会で海で撮った写真ちらっと出たよね!嬉しかった!」


私の言葉に紗知がいち早く反応する。


「あーん、結婚式!すでに懐かしい!」


「二人とも来てくれてありがとな」


バックミラー越しに潤くんと目が合って私はニコッと笑った。

紗知が時折、後部座席を振り返る。


「そういえばあの日、アユムくん、たくさんナンパされた?私の友達や先輩が『メガネかけたインテリ系男子でかっこいい人がいて声かけたけど、空振りだった』って騒いでた」


「それアユム!ナンパされてたよ。紗知の友達軽すぎ」


思わず身を乗り出して答えると、隣でアユムの小さく笑う声が聞こえた。


「あ、インテリ男って言えば、俺の後輩が『可愛い女の子に声かけたらメガネかけたインテリ男に凄まれた』って言ってたけど、それアユムとヒナちゃんか!」


さりげなく流れた“可愛い女の子”という言葉に反応して一瞬、ふふっと笑って浮かれた。


「そうかもな」


アユムは短く返すと、飲んでいたコーヒーをドリンクホルダーに置いた。


「なんだよお前らモテモテじゃん。新郎新婦の俺らより目立ってたんじゃね?」


「そんなことないよ。潤くんかっこよかったし紗知なんて超綺麗だったよ」


潤くんの言葉に間髪入れずにそう言うと、紗知が喜びに顔をぐしゃりと歪めて振り向き、手を伸ばしてきた。


「あーん、ヒナ、ありがとー」


私も手を伸ばすと、紗知の手を握った。

紗知とこんなふうにゆっくり会うのはすごく久しぶりなのに、その温度は気づけば身体中に馴染んでいた。




本日より⁺.猫は夜にひっそり泣く⁺.の更新を

再開します。

今後はストックを作りながら執筆を進めていくため、更新は2~3日に1話程度を予定しています。

これまでより少しゆっくりなペースになりますが、

その分、一話一話を大切にお届けしていけたらと思っています。

ヒナとアユムの物語をこれからも温かく見守っていただけたら嬉しいです。

よろしくお願いいたしますꕤ︎︎。°⋆


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