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#41 頼れる人



「初めまして。藤宮 桜です」


ソファ席を荷物と一緒に陣取ってパフェを食べていた桜は、手に持っていたスプーンを置くと、大和なでしこのようにおっとり笑って、まだ椅子に座っていないアユムに早々と挨拶をした。


さっきの荒れ果てたメッセージからは想像できない、嵐の前の静けさみたいに大人しかった桜は、意外なほど上品だった。


「初めまして。成瀬 アユムです」


柔らかな笑顔でそう言いながらアユムは椅子に腰を下ろし、私も隣の椅子に座った。


「すみません、デート中に呼んでしまって」


「いえ、全然。気にしないで」


「ありがとうございます」


桜は普段の姿からは想像できない、おしとやかな姿で静かに笑った。


「アユムさんにはコーヒー、ヒナには苺のパフェ頼んでおいたから」


桜の前に置かれた半分ほどになったフルーツのパフェと、ソファに置かれたいくつもの紙袋が気になった。


「ひとりで来てたの?」


「うん。買い物で散財してタカノ入ってパフェ食べてたらヒナと話したくなって呼んだの」


「何かあったの?」


私が軽く首を傾げると、桜はメッキが剥がれたみたいに本来の桜の顔に戻って口元を歪めた。


「うん……旦那がまた元カノと会ってたの」


「元カノ?」


アユムが呟くように聞き返す。桜はまた、大和なでしこの顔に戻った。


「はい。ヒナには話したんですけど、少し前に旦那が私に隠れて元カノと食事に行っていて……」


「ああ……それでか」


そう言って、アユムは私をチラリと見た。何かを察した顔だった。

きっと、私が元カノの話に過敏だった理由を悟られた。私は素知らぬ顔をしてアユムからゆっくり視線を逸らした。


「え?」


と言ったのは桜で、アユムは「あ、いえ」と濁した。


「それで、前回も今回も元カノから強引に誘われて断れなかったみたいで。でもいくら強引でも、結婚してるのに元カノの誘いになんて乗ります?頭おかしいですよねっ」


桜は眉を寄せながらスプーンを握ると、怒りをパフェにぶつけるように勇ましくクリームをすくって食べた。

いつもの桜の仕草が垣間見えて、なんとなく安心した。


そこへ苺のパフェとコーヒーが運ばれてきた。

真っ赤な苺が、今日ばかりは桜の闘志の炎みたいに見えて食べにくい。


「アユムさんならどうですか?」


「理由はどうあれ、俺なら行かないと思います」


アユムはコーヒーを一口飲んだ。

その言葉は心強くて、口に運んだホイップクリームみたいに甘い後味を残しながら心にすっと溶けていく。


「ですよね!?ホイホイ行ってしまう男の心理ってどうなっているんでしょうか?」


「アユムは行かないんだから、わかるわけないじゃん」


私が呑気にパフェを食べながら横から口を挟むと桜はキッと目を細めて私を睨んだ。


「ヒナは黙ってて!」


私はむくれ、アユムはそれを見て小さく笑った。


「断れない人もいますし、未練があったり、昔の知り合いに会う感覚の人もいるでしょうね。あとは承認欲求が満たされてとか」


「承認欲求が満たされて?」


桜が怪訝そうに聞き返す。


「恋愛感情とは別に、自分がまだ好かれていたり魅力があることを喜んでるパターンです」


「ああ……なるほど」


「旦那さんはなんて?」


コーヒーを口に運びながらそう尋ねるアユムの横顔が頼もしい。私の友達の相談を親身になって聞いてくれている。

桜もすっかりアユムを頼りにしているみたいだった。ヒナと話したいから呼んだと言っていたのに私は蚊帳の外だ。

桜を見ると、視線をパフェに落として普段見ない難しそうな顔をしていた。


「強引で断れなくてってそれだけ。でももともとフットワークが軽い人だから、昔の知り合いに会う感覚なのかなぁ。それもそれで腹立つけど」


桜は心に溜まった不満を吐き出すように深く息を吐いた。


「承認欲求の件もありそう。優也ちょっと馬鹿なので」


「会う理由は人それぞれだと思うけど……結婚している以上、相手が嫌な気持ちになるかもしれないってことは考えてほしかったですよね」


「そうなんです、アユムさんよくお分かりで!」


桜は急に明るい顔になって何度も頷いた。そしてニヤリと笑った。


「私もアユムさんと食事行って、優也に見せつけてやろうかな」


「ア、アユムは桜の元カレじゃないじゃん」


私はちょっと焦りながら口を挟んだ。桜ならやりかねない。


「だからヒナは黙ってて!」


迫力ある顔に私はビクッとする。


「冗談はさておき、優也、そこなんですよ。会ったのも嫌だけど、それ以上に私が嫌がってるって分かってなかったのも腹立つんです」


「せめて向き合って欲しかった……かな」


「そうです。こっちはこんなに傷ついてるのに軽く流して……会わないでって言ったのにまた会って……」


「たぶん桜さんは謝って欲しいんじゃなくて、分かって欲しかったんですよね」


桜の怒りの奥にある本音を、アユムがそっと拾いあげた。

まるでヒューマンドラマだ。 私はパフェを食べるのも忘れて、アユムと桜の顔を交互に見ていた。


「はい……どうしたら分かってもらえるのかな」


「『会わないで』より『私を安心させて』の方が伝わると思いますよ」


「安心?」


「きっと桜さんが欲しいのは、元カノと会わない約束じゃなくて、自分が大事にされてるって思える安心感じゃないのかなと思って」


「あ……そうかも……」


桜が、はたと気がつく。人の気持ちを動かすアユムの洞察力はすごい。


「でもそれでもわかってもらえなかったらどうしよう……」


「その時はまた話聞きますよ。次は俺が困るくらい頼ってくれてもいいですし」


アユムが頬杖をついてにっこり笑うと、桜は、わぁ!と目を輝かせた。


「アユムー……」


私は不満げな声を上げて、スーツの裾を引っ張った。


「冗談だよ」


アユムは笑って軽く言ったけど、桜はすっかりその気らしい。


「私は冗談じゃないです。楽しみにしてます」


「ほらぁ……」


私の抗議も虚しく、桜は楽しそうに残りのパフェを突っついた。


アユムは優しい。否定しない。寄り添う。頼っていいと言う。

私の大切な友達を、私と同じ温度で大切そうに接してくれるアユムが好きだ。

だから桜があんな顔になるのもわかる気がするし、少し優越感もある。

でも私に向ける時と同じ優しい顔を向けて欲しくなかった。胸に小さな棘が刺さったような痛みが走った。



タカノフルーツパーラーを出ると「デパ地下で夕飯の買い物して帰るから、またね」と満足そうに帰っていった桜とは反対に、私の心はどこかすっきりしないままアユムとまた二人きりに戻った。


桜を見送るアユムの横顔を見る。

私に向ける時とよく似た眼差しに急に苛立ちを覚えて、心がぐちゃぐちゃに乱れた。

このまま隣にいたら考えなくてもいいことまで考えてしまいそうだった。


「どうした?」


気づいたアユムが、不思議そうに見てきた。


「……なんでもない」


そう言って、不自然に視線を逸らしたことをすぐに後悔した。何かあると言っているようなものかもしれない。


「なんでもないって顔じゃないけど」


案の定、気づかれてしまう。

でもぐちゃぐちゃした気持ちのまま、本音は言えなかった。


「ちょっと考え事してたの……」


「何を?」


「……このあとどうしようかなって」


「6時か……」


すんなりと腕時計を見るアユムを見て、うまく誤魔化せたことにほっとした。


「飯でも食べて帰るか?」


そういう気分ではなかった。


「……パフェ食べちゃったからお腹いっぱい」


えへへ……とぎこちなく笑う。

もっともらしい断る理由があってよかった。


「明日お互い仕事だから、もう帰ろうかな」


いつもなら名残惜しく帰ろうとしない私が、珍しくそう言った。アユムはさぞ驚いたと思う。


「じゃあ家まで送ってく」


「電車一本だし、20分くらいで着くから一人で帰れるよ」


「それなら車で送る」


「アユム今日、シャンパンたくさん飲んだでしょ」


「うちで、映画は?」


「帰るの遅くなっちゃうよ」


苦笑を浮かべながらことごとくかわすと、アユムは少し寂しそうな顔を浮かべた。


「本当に帰りたいんだな」


その表情に胸がチクリと痛む。


「うん。今日はもう帰るね。次会えるの楽しみにしてる」


いかにもそれらしい笑顔を、笑えていない顔の上に貼り付けた。


「……じゃあ最後に聞かせて」


アユムは寂しさを隠すみたいに口元に笑みを浮かべた。


「本当の考え事って、何?」


低く落ちた声が、賑わうグルメフロアの喧騒に紛れず耳に届いた。


「え?」


心臓が一拍遅れて跳ねて、貼り付けた笑顔が簡単に剥がれ落ちてしまう。


「ヒナの嘘ってすぐわかる」


アユムがじっと見つめてきて、私は露骨に視線を逸らして俯いた。


「……言えない?」


黙ってやり過ごそうと思ったけど、アユムの声がもの悲しげで、私はゆっくり視線を上げた。

そして返事をする代わりに弱々しくアユムを見つめる。言葉が出てこない。


「……じゃあ、何かあったら連絡して」


アユムは小さく開きかけた口を閉じて、何か言葉を飲み込んでからそう言うと、私の手を握った。


「ヒナが話したくなったら、聞くから」


その声も手の温もりも、陽だまりに触れたみたいに温かいのに、胸が締め付けられた。


「ありがとう」


私はなんとかそう言って笑った。

アユムは急変した天気に見舞われた時のような困った顔をして、仕方なく笑っているみたいだった。



改札の端で別れる時、アユムはなかなか手を離してくれなかった。「電車来るから」と言って半ば強引にほどいたのは私の方で、アユムは寂しさを隠しきれていない顔で「またな」と言った。

まるで子犬を捨てていくような罪悪感たっぷりの気分になりながら、私はアユムに背を向けてホームへ向かった。

糖度がまるでないこんなさっぱりした私に、アユムは戸惑っているかもしれない。

正直、自分でも戸惑っていた。私の友達にも優しいアユムを見て、嫉妬の入口に立つなんて。

やるせなさを感じながら発車間近の電車に飛び乗った。



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