#34 告白
お家デートは特別なものだと思う。
自分の部屋に彼を招くなら、可愛いルームウェアを着て、いつもと違う少し力の抜けた私をここぞとばかりに見せる。でも本当は少しも力なんて抜けていない。抜けてる風に見せているだけで、外でするデートのおしゃれと何ら変わりはない。
スッピン風メイクと同じで、実は結構手が込んでいる。
私はアユムの部屋でデートする時は、いつも計算され尽くしたコーディネートで出かけていた。
隣に並んで座った時に、アユムの少し高い目線から伺える、デコルテが綺麗に見えるトップスを選んだり、普段出さないうなじを出したり。
長時間座っていてもシワになりにくくリラックスもできるのに、座ると少しだけ素足が覗くミニ丈のニットワンピース。上は緩いのにボディラインが見えるタイトめのジーンズとか、その逆も。アユムは中々、そんな私の手の中で転がらなかったけど、少し手応えを感じる時もあった。
数学の計算は嫌いなのにそういう計算は好きだ。
だから今日もアユムをそそのかせるように、私は綿密な努力をして家を出た。
待ち合わせに少し早く着いてしまった私は、パルコのショーウィンドウに映る自分を確認していた。
冷たい風に煽られて乱れた前髪と、お家デートらしく高い位置で結ばれたポニーテールの後れ毛を、指先で整える。
さりげない色仕掛けとしてうなじを見せたくて結んだけど、アユムには見え見えだろうか。
結び目に付けた大きなリボンが若干、子供っぽくも見える。でも、淡色のリブニットワンピの上に、黒のムートン風ジャケットを合わせたコーディネートは、我ながら大人っぽくまとまっている。リラックス感のあるマーメイドシルエットは、優しいボディラインを描いてくれていた。
ふと口元に目がいって色味が抜けた唇にゲンナリする。リップ……とファーのバッグの中を漁っていると、背後から低い声が降ってきた。
「今日も可愛いな」
肩越しに振り向いて見上げると、少し体を倒して私の顔を覗き込むアユムと目が合った。すぐ近くにあったアユムの顔に心臓が飛び跳ねる。
「ごめん、待った?」
アユムは距離が近いまま、穏やかな笑みを浮かべた。私は昔から、その顔に弱い。一瞬返す言葉が見つからず、無言で首を横にブルブルと振った。
クスッと笑ったアユムを見て、私はアユムの方に体を向けて照れ笑った。
「えっと……今来たところ」
「最近、早いな。前は遅かったのに」
そう言ったアユムは、私みたいに頑張っておしゃれしてきた感じはないのに、隣に並ぶと少し敗北感を抱いてしまいそうなくらい、大人っぽくて洗練されていた。埃一つ付いていない黒のダブルのチェスターコートがよく似合っている。中には第一ボタンが空いた黒いシャツ。パンツと靴も黒なのにちっとも重たく見えない。
「アユムとのデート、待ちきれなくて」
「へぇ。てことは前はそうでもなかった?」
アユムはレンズの奥の目を少し意地悪そうに細めた。
「そ、そういう意味じゃなくて」
私は慌てて両手を振った。
「一度アユムを失ったせいか、前よりもアユムのことを大切に思えてて……少しでも長く一緒にいたいなって。そしたら早くお家を出てきちゃった」
言っていて恥ずかしくなり私はゆっくり俯いた。出会い頭に素直な本音を漏らすなんて、相当浮かれている。
雑踏の音に紛れて、アユムがふっと息を吐いて笑う声が聞こえた。
「まいったな……」
顔を上げると、アユムは片手で緩く口元を抑えていた。
「……ちょっとからかうつもりで言ったのにそんな可愛いこと言われるなんて、調子狂う」
静かに照れているアユムは、ゲームの世界で滅多にお目にかかれないレアキャラみたいで、ちょっと得した気分になった。肌に当たる風は冷たいのに、心はひと足早く来た春みたいに温かかった。
ほかほかした心のまま、私たちは手を繋いでデパ地下へ向かった。おいしそうな惣菜屋が軒を連ねていて、何を食べようか本気で悩みながら見て回っていると「ヒナは何するにもいつも全力だな」とアユムにクスクス笑われた。「私、何した?」と聞くと「全力で俺から逃げて、かと思えば全力で甘えて、この前は全力で誘惑してきた。今は全力で飯悩んでる」と言われて、私は全力で恥ずかしくなった。
デパ地下を二周くらいして、生ハムとモッツァレラのサラダと、海老とアボカドのサンドイッチにした。デザートに、見栄えの可愛いイチゴタルトも。アユムはローストビーフ丼とだし巻き玉子を買っていた。
買い物が終わると真っ直ぐアユムのアパートへ向かった。歩きながら「映画、何見る?」とか「私の見たい映画はね」とか「アユムのローストビーフ丼、少しちょうだいね」などと、途切れることなく喋っていたのに、アユムのアパートが近づくにつれ、気づいたら私の口数は減っていた。あんなに行きたがっていたのに、いざ来てみると妙に緊張してしまう。
アパートの入口でアユムが肩越しに振り向いた。
「どうした?」
「え?」
「急に大人しくなったから。緊張か?」
アユムは面白そうに笑った。
私の胸の内なんてバレバレだ。
「俺とヒナしかいないんだから緊張することないだろ」
それが緊張の要因なのに、気がついていないアユムは、オートロックを解除して小さく笑った。
「今更なに固まってんだよ。ほら行くぞ」
隔てられていた木目調の扉が開き、アユムが進む。私は少し緩む顔を俯かせて、のこのこ後について行った。
玄関の扉の前まで来ると、アユムはカードキーで鍵を開けて私を招き入れた。
鍵をかけた音が響くと、今度はガサッとビニール袋が揺れる音がした。背中にアユムの温もりを感じたと思ったら、顔の下にアユムの腕が回される。アユムの手に持たれている惣菜の入った袋が私の体に少し当たりながら頼りなく揺れていた。
「ずっとこうしたかった……」
耳のすぐ側でアユムの声が落ちた。
近すぎて、胸のうるさい鼓動がアユムに聞こえてしまうのではないかとハラハラして、ますますドキドキした。
「会いたかった」
抱きしめている腕にわずかな力が入る。
静かに紡がれた言葉なのに熱がこもってて熱い。
「私も、会いたかったよ」
ゆっくり肩越しに振り向いて見上げると、アユムと目が合った。さっきまでとは違う、余裕がなさそうで、少し困ったみたいに目を細めている。
アユムの指先が私の顎を優しく掴んで、少し引き寄せると、アユムの顔が近づいて静かに唇が落ちてきた。
私はそっと目を閉じてアユムの温度だけを感じた。優しく触れるだけだったキスは啄むキスに変わっていき、少しずつその温度は上がっていく。
アユムが少し加速して、私から「んっ……」と鼻から抜ける吐息が漏れると、アユムはハッとしたように唇を離した。
「……ごめん」
そう短く言って、私に回していた腕までをほどいた。
私はアユムと向き合うと、アユムのコートを掴んでアユムを見上げた。
「どうして謝るの?私、嫌じゃないよ?」
重なる視線から先に目を逸らしたのはアユムだった。私は、両手に袋を持ったままのアユムの無防備な体をそっと抱きしめた。
「もっとして欲しいしもっと先に進みたい……」
アユムは黙っていた。
私は時々感じていた心の距離を埋めたくて、隙間がないくらい今度はぎゅっと抱きしめた。
それに答えてくれるみたいに、アユムの腕が私の背中と頭に回ってぎゅっと抱きしめられた。
「そういうこと、あんまり言わないで」
アユムの声は切羽詰まっていた。
「ヒナにそう言われると理性飛ぶから……」
アユムの鼓動に包まれて返事ができないでいると、アユムは小さく息をついた。
「……前みたいな曖昧な付き合い、もう嫌なんだよ」
その一言で、距離を取っていたアユムの気持ちが見えた気がした。
前に付き合っていた頃の私たちは、触れ合うだけ触れ合って、大事なことからは目を逸らしていたのかもしれない。まるで、開けてはいけないパンドラの箱を扱うみたいに。
「近くにいたはずなのにちゃんと向き合ってなかっただろ、俺たち……」
私がのらりくらりかわして散々逃げていたせいなのに、アユムは自分の責任でもあるみたいに言った。
「今度はちゃんと向き合って、同じ方向を見ていきたい」
アユムの決意みたいな言葉が、私の胸にもしっとり落ちていく。
その言葉の余韻に浸りたいのにアユムは次の言葉を口にした。
「だからヒナ……」
ゆっくりと体が離されて、アユムの優しい眼差しが私に目いっぱいに注がれた。
「もう一度、今度はちゃんと付き合ってくれる?」
思いがけない言葉に、呼吸が止まりそうだった。
アユムに別れを告げられてから心が空っぽになって、後悔もして、またいつか寄りが戻るかもしれないと淡い期待もした。
再会は苦くて何度も泣いて、甘えれば甘えるほど距離はまた近づいたけど、名前のない関係は気持ちがすっきりしなくて。
それが今、はっきりとした言葉になって私に向けられている。恋人に戻れる一歩手前。
嬉しくて胸がいっぱいで、アユムの顔をまともに見ることもできない。
「そういう言葉もなく距離縮めるのも嫌でさ……玄関でこのタイミングじゃなかったかもしれないけど。ちゃんと言っておきたくて」
アユムは照れ隠しみたいに小さく笑った。
そして黙ったままぼんやりしている私の頬を指先で軽くひと撫でした。
「ヒナ……返事は?YES?それともNO?」
私は少しハッとしてアユムを見上げた。
それから世界中の幸せを寄せ集めたみたいな笑顔を浮かべた。
「またアユムの彼女になりたい。それで、将来のことたくさん話したい」
アユムが何か言う前に、私はふふっと笑ってアユムに抱きついてアユムを見上げた。
「ねぇ、アユム。お腹空いた。早くランチしよう?」
アユムは何か言いたそうな顔をしたけど静かに笑った。
「そうだな」
私は脱ぎにくいショートブーツに手をかけた。
「ローストビーフ丼楽しみだな~」
「俺のだろ」
「だし巻き玉子もおいしそうだったね」
「それも俺のな」
「恋人同士になったんだからシェアくらいするでしょ」
「そうじゃなくても勝手に食べるだろ、ヒナは」
図星をつかれて私は誤魔化すように笑う。
笑顔でそんなやり取りをしながら、私たちはリビングへ入った。




