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#03 惨めな想い



東口のロータリーへ出ると、雨はさっきよりも強まっていた。空に居座る雨雲が、ゴロゴロと低い唸り声を上げている。


その雨の中、見たことのある黒いセダンの車が静かにロータリーへ入ってきた。

街灯に照らされた運転席が、チラリと見えた。

やっぱり、アユムだった。

私は思わず駆け寄って、停車した車の助手席のドアを開けた。


「ごめんね、アユム。ありがとう」


そう言って乗り込んだ車内には、懐かしいムスクの香りがほのかに漂っていた。


アユムは右腕をハンドルに伸ばし、左手で頬杖をついていた。

そんな何気ない仕草さえも、やけにかっこよく見えてしまう。


「……行くぞ」


そう一言だけ言って、アユムは車を発進させた。


「はい、これ。お詫びのコーヒー」


自販機で買った缶コーヒーを手渡した。

一瞬、指先が少し触れ合ったのを、私は大袈裟に感じてしまった。


「サンキュ」


アユムは何も感じていなさそうだった。

その余裕にすら、胸をときめかせた。

でも、そんなこと思ってるなんて気づかれたくなくて、運転するアユムの横顔を軽く睨んだ。


「ねえ、雨だし、私は酔ってるんだから、安全運転で送って行ってよね」


私の偉そうな口ぶりに、アユムは鼻で笑った。


「おまえ、相変わらずだな」


緩んだ口元を見られたくなくて、私は窓の外を見た。

雨に濡れた景色が流れていく。時折、真っ暗な空にピカッと稲妻が走る。

数秒後に大きな雷が鳴り、少し怯えてしまう。大きい音は苦手だ。


フロントガラスには、打ち付ける雨が水玉模様を作り出す。それをワイパーが無機質な音を立ててさらっていく。

車内にはその規則的な音と、雷雨の音が鳴っていた。


ふと、運転するアユムの横顔を見た。

昼間とは違う、ラフな髪にグレーの上下のスウェット。

上にはネイビーのブルゾンを羽織っていて、力の抜けた格好なのに、なぜかちゃんとして見えるのがアユムらしかった。

3年半付き合っていてもお泊まりはしたことがなかったから、こんなアユムを見るのは初めてな気がして、少し胸が高鳴った。


「アユム、まだ寝てなくてよかった……」


「ああ。帰ったの少し遅かったから。シャワー終わって寝ようとしたとこにヒナから電話がきて驚いた」


「アユムの番号、消してなかったの……。ごめんね」


「……俺も。ヒナの番号、まだ残ってる」


声を出して喜びたかった。でもぐっと我慢をして冷静に言った。


「そうなんだ。ねぇ、初デート、楽しかった?」


聞きたくないのに、聞かずにはいられなかった。


「ん?ああ、楽しかったよ」


アユムは前を見たまま、わずかに笑みを浮かべて答えた。さっきまでの楽しい時間を思い出しているかのようで、胸が痛んだ。


「じゃあ……好きになる?」


ならないで…という懇願に近い気持ちを視線に込めたけど、アユムはチラリともこちらを見ない。


「さあな。ヒナには関係ないだろ」


軽く言われて、私は目を伏せた。


「……誰かに恋したらやだよ」


お酒は心を麻痺させてはくれなかったけど、背中を押してくれた。

シラフでは絶対言えないようなことを私は言ってのけた。


アユムはまた鼻で笑った。


「おまえ、どんだけ飲んだんだよ」


「こんなこと言っちゃうくらいたくさんだよ…」


「飲みすぎだ」


説教じみた声音が懐かしかった。


信号待ち、ふと、私は寒気を感じて両腕をさすった。

お腹が見えたピンクのショート丈のインナーと薄手のカーディガンは、10月半ばの夜中には適していないみたいだった。


「寒い……」


何気なくポツリ呟いた言葉は、雨の音にかき消されたかと思った。

アユムのシートベルトを外す音が聞こえ、膝の上にアユムのブルゾンが落ちてきた。


「そんな薄着してると風邪ひくぞ」


私はニヤケそうな顔を必死に押し隠しながらブルゾンを手に取った。


「ありがとう……」


カーディガンの上から羽織ると、アユムの温もりが冷えた体に伝わり、アユムに抱きしめられているみたいに心地よかった。

信号が青になり、車が静かに動き出す。


「ねぇ、アユム……私、帰りたくない」


動いたのは車だけではなく、私の心もだった。

思わずそんなことを口走っていた。


「はぁ?なんだよそれ」


アユムは困ったような口調だった。


「雷、怖い……ひとりでいたくない」


それは、私の本音でもあり口実でもあった。


「子供みたいだな」


ふっと笑ったアユムは、口実に気づいていないようだった。


「……今日くらいアユムといっしょにいたいよ」


酔っていることをいいことに、私の心は開放的になっていく。


「だって、1日で2回も会えたんだよ?別れたのに、不思議な偶然じゃない?」


「昼間は偶然、夜は意図的だろ」


「……わざとじゃないもん」


私は子供のように唇を尖らせた。


「ひとりでいたくない…。アユムといたいの。アユムの部屋、行きたい……」


肘掛に置かれたアユムの腕のスウェット生地を摘んで、キュッと引っ張ってみた。


「ダメ」


即答だった。

それと同時にまた信号に引っかかり、車が止まる。

アユムはなにか言いたそうに私を見てきた。

思わず、可愛らしく上目遣いをして気を引いたのに、ぴしゃりと窘められた。


「男の部屋行きたいなんて、軽々しく言うな」


「アユムだから言ってるだけだよ。べつにいいじゃない……」


私が目を伏せて食い下がると、アユムは黙った。

雨の音と一緒に沈黙が流れ、信号が青に変わった。


「俺たち、別れただろ」


私は顔を上げて、運転するアユムの横顔を見つめた。前を見据える真剣な眼差しは、どこか冷たくも見えた。


「ヒナとはもうヨリを戻す気はない。だからもう俺に甘えるな」


真っ二つに引き裂かれたはずの私の心が、さらに粉々に砕け散った瞬間だった。


「……なにそれ。アユム、ひどい…」


私の振り絞るかのような声は、アユムの低い声に一蹴された。


「ひどくない。当然のことだろ」


「……わかった」


全然分かっていないような口ぶりは、アユムにもそう伝わってしまっただろう。

アユムの腕から指を離し、すっと手を引っ込めた。


それから少しして、雨の中に私のアパートが見えた。車は入口の前で停車した。


「ほら、着いたぞ」


アユムの声が静かに胸に落ちる。

私はお礼を言おうと思って小さく開いた口を閉じた。


「……アユムなんて大っ嫌い」


独り言のように呟いて、外へ飛び出した。

ドアをバタンと閉めて、振り返りもせず、お礼も言わず、私はただひたすら、こぼれ落ちそうになる涙をこらえながら部屋まで走った。


部屋の鍵を開け、玄関のドアを感情のままに強く閉めた。

ドアを背に項垂れる。その体は少しずつ下がり、うずくまった。

アユムの車が走り去っていく、低いエンジン音を背中で聞いた。

外ではまだ雷が鳴り響いている。

嗚咽を押し殺して、私は静かに泣いた。

恥ずかしくて、惨めで、残酷な夜だった。


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