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#29 また会いたくて



めくるめく一日を過ごした翌日は、日曜日でバイトがなかったから、余韻にどっぷりと浸るみたいに過ごした。


アユムに言われた“愛してる”がまだ耳の奥に残っているし、夜景の中で交わした触れるだけのキスの感触も鮮明に蘇る。

繋いだ指先の温度までも思い出してしまい、一人でいるのに四六時中、胸が高鳴ってしまった。


魔法にかけられたみたいに変わった自分の気持ちも思っていたよりずっと本物で、紗知と香織さんの幸せそうな顔を思い出すと、羨ましいという気持ちが膨らんでいった。


その二人の言葉や、“私の幸せを叶えたい”と言ってくれたアユムの優しさ。私の心を揺るがすものが披露宴にはたくさん散りばめられていた。


“ヒナが笑顔でいてくれるだけで幸せ”と言ってくれたアユムの言葉を思い出すたびに、私でもアユムを幸せにできるのかもしれないと思えて、不安も解けていった。

タクシーの運転手さんの言葉も、頭にゆっくり巡った。


心強い味方ができて弱い自分を認めてくれて愛してくれる。強くなれる。世界が変わる。


そんなふうに言っていた。

それが本当なら素晴らしいことだ。

自分がコンプレックスに思う部分を受け入れて愛してくれる。自分さえも愛せない部分を他人が愛してくれるなんて、素敵なことだ。そんな優しさに触れたならきっと強くなれるし、強くならなきゃいけないような気もする。そんな自分の変化した世界を、見てみたいと思った。


そんなことを考えていたら、何も手につかないまま一日が終わろうとしていた。

いつの間にか、冬の暖かい日差しは消えていて、窓の外は薄暗い。布団に溶けるみたいに寝転がっていた私は重い体を起こしてカーテンを閉めた。



翌朝、ソファの端に置かれたアユムのマフラーに気がついた。


結婚式の日の帰り、アユムはタクシーでアパートまで送ってくれて、別れ際、「またな」と言って私の頭を軽くポンポンと叩いた。

またっていつだろう。すぐにでも会いたい。

そう思いながら部屋へ帰ると、案の定、アユムが恋しくてすぐ会いたくなった。


素直に、会いたいと言って会えばいい。

きっと、今の熱量は二人とも同じだからアユムは笑って会ってくれる。

それなのに、どうしてか少し恥ずかしい。

もしかしたら会いたいのは私だけかもしれない、なんて、くだらないことまで浮かんできた。


何かいい口実でもないかなと思っていたけど、マフラーが早くも次へ繋いでくれそうで胸が踊った。

私はスマホを手に取った。


『マフラー返したいから今夜会える?20時に池袋の服部珈琲舎で』


簡単にメッセージを送ると、すぐに返事が来た。


『会えるよ。じゃあ今夜』


今この瞬間、アユムもスマホを握りしめていると思うと、スマホからアユムの温もりを感じるようだった。


浮かれた気分のままメイクをしていると、午後から同じシフトの桜に「ブランチしながら結婚式の話聞かせて!」と誘われた。

あの日のことを誰かに無意味に自慢したい気分だった私は、二つ返事でOKした。

でも桜には、ただ自慢するんじゃなくてちゃんと話したい。そんなふうにも思った。


職場の近くの喫茶店で待ち合わせをした。

店内に入ると奥深いコーヒーの香りが鼻腔をくすぐった。コーヒーの香りはほぼ毎日嗅いでいるけど、店によって違うからたまに違うカフェを訪れるのは楽しい。


「ヒナ、こっち!」


奥のソファ席に座る桜が、私を見て手を挙げた。

早く話したい。そう思うと、自然と歩く足が早くなる。


「おはよ、桜」


私は手に持っている紙袋をガサガサ鳴らしながらソファへ腰を下ろした。


「おはよ。ごめんね突然。たまにはモーニングでもしながらゆっくり話したいなぁって思って。ヒナの分のパンケーキプレートも頼んでおいた。って、なにその袋」


桜の視線が紙袋に向く。


「結婚式の日にアユムに借りたマフラー。バイト終わったら返しに行こうと思ってて」


「へぇ~。なにか進展でもあったわけ?教えなさいよ」


桜が、顔を前に突き出してニンマリと笑う。

いざ話すとなると少し恥ずかしくなって、私はメニューを見るふりをして、ペラッとしたメニュー表で顔を隠した。


「アユムに“愛してる”って言われた……」


「は!?マジ?」


ニヤケそうになる顔を整えるようにしてからメニュー表を下げた。

すると目の前にホットコーヒーがそっと置かれた。

店員が去っていくのを横目で確認してから口を開いた。


「うん……。“愛してる。それ以外ないよ”って」


言葉を思い出しただけで心が熱くなるのと同時に、コーヒーカップを包み込んだ両手にじんわりと熱がいきわたる。


桜は目を丸くしながら笑った。


「愛してるって言葉にこんなに重みを感じたの初めてかも……」


「え?」


「なんか積み重ねって言うかさ。ヒナの元彼って別れてたのに行動で示してくれてたでしょ。 だから、愛してるが軽くないなって」


ああ、それが嬉しさの根源かもしれない。

アユムの努力のお陰で軽くないと思えるから嬉しいんだ。


「で?他には?」


桜は興味津々みたいな顔で聞いてきた。


「私の幸せを叶えてあげたいって」


「ヒナの幸せって?」


「毎日可愛い服着て、おいしいもの食べて、ふかふかのベッドで寝ること」


「それって地味に大変よね」


「でしょ?でもアユムは、そのくらい叶えてあげられるよって。貯金もしてるって」


「大人~!」


桜の目が輝いた。


「でね。アユムの幸せを聞いたら、ヒナが毎日笑顔でいてくれることだって」


「なにそれ、優しい……」


今度は目を細めてうっとりした。


「うん。それなら私にもできそうな気がするって思えた」


「じゃあ結婚する気持ちにコマは進められた?」


「うん。桜もだけど、結婚する友達見てたら幸せそうで羨ましくなって、怖い気持ちが少し消えたの」


「結婚式っていうイベントがあってよかったね。あと私がいて」


桜は熱々のコーヒーをひと口すすりながら得意そうに笑った。


ちょうどそのタイミングで、桜が注文しておいてくれたパンケーキプレートが運ばれてきたけど、私は食べるより結婚式の話をしたくて仕方なかった。


アユムがたくさん逆ナンされていたことを話すと桜は「あの見た目だからね。女が放っておかないよ」と悟るような目で言っていた。

それでいて、私がナンパされて、アユムが嫉妬した話には、「ふーん」と興味なさそうにパンケーキを突っついていたから短めに切り上げて、私もパンケーキを口に運んだ。


「あ……キスもしたんだ」


ふと思い出してそうこぼすと、桜の目の色がまた興味に変わった。さっきから百面相みたいでおもしろい。


「え!なにそれ!詳しく教えなさいよ」


タクシーの中で夜景を見ながら、唇がそっと重なるだけのキスをしたことを話すと、桜は、パンケーキの上で溶けてる小さなバターみたいに、表情を柔らかくとろけさせた。


「結婚もいいけど、恋愛もいいなぁ」


そんなことを言いながら、桜は付け合せのサラダをシャキシャキ言わせながら食べていた。


「アユムに会うの楽しみだな……」


うっかり、心の声がそのまま出てしまった。

桜は眉を寄せた。


「ねぇ。結局、元彼なの?今彼なの?」


「距離を置いてる今彼、かなぁ……」


「距離置いてるならマフラーなんてポストにでも入れてくればいいのに」


「ダメだよ、だって、」


私が言い終わる前に、桜はからかうみたいに笑って口を挟んだ。


「フレッドペリーのだから?」


「違う。バーバリーのだから」


少しむっとして、私は唇を尖らせた。桜はプッと吹き出して笑った。


そのあとは、桜が旦那とデートをした話を延々と聞かされた。SNSで人気のワッフル屋さんへ行ったとか新作の映画を見たとか旦那が他の女に見惚れてて喧嘩したとか。気づくと仕事が始まる30分前で、慌てて店を出た。


いつも通りの日常が、何事もなかったみたいに流れていく。

結婚式なんて幻だったとでもいうみたいに、19時まできっちり仕事をこなし、慌ただしく電車に乗った。池袋へ向かう車内で、ようやく少しだけ息をつけた。ドア付近に立って、暗闇の窓にぼんやり映る自分を眺めると、乱れた前髪を直した。リップもさっと塗り直す。

アユムと会ったら何を話そうかな。どんなふうに笑って、どんな言葉でアユムを癒そうかな。

そのみずみずしい気持ちは、付き合いはじめの頃に戻ったみたいで、心が浮き立った。


待ち合わせ十分前。店の近くまで来ると、歩道に面した大きな窓からオレンジ色のライトに照らされた店内がよく見えた。

その窓側の席にすでにアユムは座っていた。

いつかの記憶が蘇る。ほんの数ヶ月前、あの時もアユムに返すジャケットの入った紙袋を持って、私は窓側席に座るアユムを眺めていた。


店の中に入ると店員が愛想良く挨拶した。

私は一目散にアユムの座る席へ向かった。


「アユム」


名前を呼ぶと、アユムはスマホから目を離し、顔を上げて私に視線を向けた。すると腕時計を見た。


「早いな」


アユムの少し驚いた顔がおもしろい。


「早くアユムに会いたくて」


私が、ふふっと笑いながら椅子を引いて腰を下ろすと、店員が注文を取りに来た。

「ブレンドコーヒーお願いします」と言うと静かに去っていった。


「マフラー、ごめんね。ありがとう」


紙袋を差し出すと、アユムはスッと受け取った。


「まだ持ってても良かったのに」


「持ってたらアユムと会えないじゃん……」


言ってて恥ずかしくなって、誤魔化すみたいに笑って視線を落とした。


「そういうこと、不意打ちで言うなよ」


アユムは照れくさそうに低く呟いて、テーブルの上で頬杖をつく。


「そんな口実がなくても、俺は会いたいよ」


そう言ったアユムは、あまりにも眩しくて直視できなかった。砂糖を頭から浴びせられたみたいに甘い。


「嬉しい……」


私はやっぱり、誤魔化すみたいに笑って、それだけしか言えなかった。


「そうだ。これ……」


アユムはそう言ってスーツの内ポケットから白い封筒を取り出すと、私に差し出してきた。


「なに?」


手に取って不思議そうに見る私に、アユムは穏やかに笑った。


「開けてみて」


ゆっくり開けてみる。

チラリと見えた光沢。それは写真みたいで、指先で引っ張って出してみた。


「あ、こないだの結婚式の写真だ」


新郎新婦と私とアユムが楽しそうに写っている。

紗知と私が話している何気ないツーショット写真もあった。

一瞬でその日のことを思い出して幸せな気持ちが押し寄せた。


「潤のいとこが撮ってすぐ現像してくれたみたいでさ。今日、仕事の合間に潤とちょっと会って、その時にヒナの分も渡されたんだ。すぐ渡せてよかった」


思わず顔を綻ばせながら見てしまう。本当に綺麗で幸せそうで羨ましい。

写真を封筒に戻してバッグにしまった。

するとコーヒーが運ばれてきて、目の前に静かに置かれた。


「紗知、今頃、結婚生活楽しんでるかな」


「昨日は朝から大喧嘩したらしい。潤はそれでも、“幸せだ”って鼻の下伸ばしてたけど」


そう言ってアユムはコーヒーを一口飲んだ。


「そういう幸せっていいね。私もアユムとそうなりたいなぁ」


ぼんやりぼやくと、アユムは懐かしむように目を細めてクスッと笑った。


「前にここへ来た時と全然違うな」


「ん?ジャケット返した時?」


「うん。あの時のヒナ、すぐ逃げる猫みたいだった」


「そういえば猫みたいって言われたね。覚えてる」


「惑わせるだけ惑わせて、全然捕まらなかったから。悩まされたよ」


結婚から逃げていた頃の私は、たしかに猫みたいだったかもしれない。

コーヒーを静かにすすりながらそう思っているとアユムの言葉が続いた。


「でも今は自分から寄ってきてくれる」


私はちょっと照れながら、ふと思い返す。


「でもアユムも猫みたいだったよ。私がいなくても平気そうだったから。猫ってそういうところあるでしょ」


「……そうだな。でも全然、平気じゃなかった」


アユムはその時を思い出しているみたいに遠くを眺めた。


「平気なフリするしかなかった」


アユムの纏っていた余裕が、ぽろぽろ剥がれていく気がした。初めて見る顔だった。


「大人すぎるよ……アユムの弱い部分も見たいのに」


アユムは少し驚いた顔をしてから、冗談めかして軽く笑った。


「ヒナからそんな言葉が出るなんて意外だな。どこでそんなこと教わった?」


「からかわないでよね。こっちは大真面目なんだから。恋愛の基本でしょっ」


むっと唇を尖らせてみたけど、今までその基本は無視していたかもしれないと気がついた。

アユムの弱いところなんて考えたことすらなかった。アユムと四年一緒にいて、私はアユムの何を見ていたんだろう。


「わるいわるい。でもヒナの前では大人でいたいんだよ。……まぁ、そういられない時もあるけどな」


アユムは誤魔化すみたいに視線を落としてコーヒーを飲んだ。


「じゃあ、お互い、少しずつだね」


コーヒーカップの縁に唇をくっつけながらそう言って、私は話をうまく収めようとした。


「ああ、そうだな」


アユムは目を伏せたまま、口元だけで静かに笑った。その穏やかな仕草に全神経が向いて、見惚れてしまう。甘い金縛りにあったみたいだった。


仕事でくたびれていそうなアユムを癒そうと思ったのに、私が癒された。心地いい二人の時間はふっと流れた沈黙さえも優しくて柔らかかった。



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