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#28 甘い帰り道



二次会は静かに進んでいった。

途中、プロジェクターを使って、大きな白い壁に主役の二人の写真が映し出されると会場の空気がそちらへ向いた。

ゆっくり切り替わっていく写真の中に、私とアユムとダブルデートで海へ行った時の写真も混じっていた。青い海をバックに笑っている私たちの写真が、白い壁いっぱいに映る。

思いがけず嬉しくなって隣に座るアユムの腕をバシバシ叩きながら喜ぶと、「あれ、俺が送ったやつ」とアユムが小さく笑って教えてくれた。アユムが消さずに取っておいてくれたことも密かに嬉しかった。


時間はあっという間に流れ、幹事と新郎新婦が名残惜しそうに締めの挨拶を始めた。

「今日はありがとうございましたー!」と潤くんがマイクを通して言うと、拍手が起こり、「お幸せにー!」という声も所々で上がった。


お開きになってもまだお酒を飲む人、喋る人、写真を撮る人、と会場はまだ賑やかだったけど、私はアユムと帰ることにした。

私とアユムも三次会へ誘われたけど、何となく断った。三次会ともなれば新郎新婦そっちのけで騒いで軽い空気になるような気がして、私は今の幸せな余韻のまま帰りたかった。


それなのに、私がお手洗いから出てくると、ロビーの柱に寄りかかって待っていたアユムの周りに、女の人達が三人また群がっていた。


幸せな余韻が一瞬で吹き飛んだ。


私とはタイプがまるで違う、美意識が東京タワーくらい高そうで、男を落とすのも上手そうな大人の女の人達。ヨレている私と違って、もう夜なのに隙のないヘアメイクは、疲れなんて知らなそうで、ちょっと怖い。

きっと、別の披露宴や二次会帰りなんだろう。ロビーには、正装した人たちがまだ大勢行き交っていた。


今日は逆ナン祭りか?

それとも、全人類の女の人たちがアユムを捕食しようと躍起になる日なのか?


少し遠目から眺めていると、姿勢の綺麗な少し背の高い女の人が、アユムの腕に手を添えた。

そのまま唇を耳元に近づけたのを見て、私はハッとする。

でもすぐ離れた姿を見ると、きっと、「飲みに行きませんか?」とか「素敵ですね」とか、そういう言葉を甘く巧みに囁いたんだ。今日一番の色っぽい上級テクニックじゃないか。


私は慌ててアユムに駆け寄ると、思いきって腕にぎゅっとしがみついた。

前の私なら、遠くから見てヤキモキしているだけだったかもしれない。でも“愛してる”なんて言われたら、少しくらい強気にもなる。

“私のだから取らないで!”と女の人達に目で訴えることもできた。

「ヒナの目って可愛いね」と前に紗知に言われたことがあるから、迫力には欠けるかもしれないけど。


女の人が私を怪訝そうに見ながら何か言いたそうに口を開きかけた時、私はアユムの顔を見上げて素早く口を開いた。


「アユム、帰ろ?」


アユムは少し驚いた顔をしながらも、ふっと笑って「ああ、大丈夫だよ」と返事した。

すると私がしがみついていた腕がするりと外されそのままそっと肩を抱き寄せられた。


「すみません、彼女いるので」


大人の余裕を散りばめたようなその笑顔に、女の人はみんな、弱いと思う。

突然の密着技、彼女呼び、そしてスマートな拒否。こんなの惚れ直すに決まってる。

それは私だけじゃなくて、声をかけてきた女の人たちも、うっとりしていた。

アユムは私の肩を抱いたままその場を後にした。


「耳元で囁かれてたね。なんて言われたの?」


アユムの横顔にそう聞くと、アユムはチラッと私を見てすぐに視線を前に向けた。


「ああ、“飲みに行きませんか”って」


「行きたくなった?」


「ならない」


即答で嬉しくなる。


「あの人たち、アユムにメロメロって感じだった」


そんな人が彼氏だなんて、ちょっと優越感を感じてしまう。


「そう? 飲みに行ければ誰でもいいんだろ」


うわ。無自覚だ。本気でわかっていなさそうな顔をしている。


「それより、昼間は遠目から見てたのに、今は自分から奪いに来るんだな」


「まあね」


私は得意げに笑った。

そんなやり取りをしながら、私たちは煌びやかなエントランスを通り抜けた。


外へ出ると空気がキンと冷たくて、薄手のドレスにウールのロングコートを着ただけの格好では寒かった。

「タクシー呼んでくるからここで待ってて」と言って、アユムはスタッフの方へ向かって行った。


エントランスの自動ドアの端でポツンと立ちながら小さく息を吐くと、白い息が揺れて消えた。

ホテルの中から正装した人達が出てきては、みんなどこかに歩いていく。


「あれ?お姉さん一人?」


「やべー、かわいい。結婚式の帰り?俺たちと飲み直さない?」


エントランスの中から出てきたスーツ姿の若い男の人二人が、酔っているのかだらしなく顔を緩ませながら話しかけてきた。

黙って俯くと、二人は馴れ馴れしく距離を詰めてきた。


「つれなくされると燃えるなー。いーじゃん行こうよ」


不意に手を捕まれ、怖くなった。


「やだ、離してください!」


一歩下がって振りほどこうとしてみたけど、強い力でほどけない。


「うわ、声まで可愛いじゃん」


もう一人の男の人がいやらしく笑った瞬間、男の人の手首が掴まれた。


「その手、離してもらっていいですか?」


冷たく低い声が割って入る。アユムだった。

普段より鋭い目で、男の人たちを見ていた。


「その子、俺と一緒だから」


冷静な顔で低く吐き捨てると、アユムの手に力が込められたのか、手首を掴まれている男の人の顔が少し歪み、小さく舌打ちをして手を離した。

するとアユムの手が私の肩に触れ、自分の後ろにさりげなく私を隠した。この守られている感じが、震えるくらい寒いのに、胸の奥だけ温かくなる。


「なんだよ彼氏いんのかよ」


「行こうぜ。すいませんっしたー」


男の人たちが去っていくと、夜の静けさが戻った。掴まれた手首が痛くて、片方の手を当てた。


「大丈夫?」


アユムの、さっきまでとは違う優しい声。


「うん、ありがとう。助けてくれたアユムかっこよかったよ」


私がそう言うと、アユムは一瞬照れくさそうにして、乱れかけている前髪を軽くかきあげた。


「ほんと、俺がいてよかった」


アユムはそこで初めて気が抜けたみたいに、小さく息を吐いた。


「……でも今日の俺、ずっと余裕ないな」


「そんなアユムもかっこよくて好きだよ」


にっこり笑ってアユムを見つめると、アユムは視線を逸らして小さく息を漏らした。


「そう言われると別の意味で余裕なくなる」


そう言ってアユムは、自分の首に巻いていた黒いマフラーを外して、私の冷えた首元に優しい手つきで巻いてくれた。

柔らかい。きっとカシミヤだ。


「別の意味って?」


ちょっと色んなことを期待しながら聞いてみた。


「……なんでもない」


アユムは困ったみたいに小さく笑った。

でもその目は、何かを堪えているみたいだった。


少しして、目の前にタクシーが滑り込み、二人で乗り込んだ。

運転手に行き先を聞かれて、てっきり、ホテルに一番近い最寄り駅までかと思ったら、アユムは私のアパートの住所を口にした。

「心配だから送らせて」。そう言ったアユムの頬に思わずキスしたくなったけど、我慢してニコッと笑った。


シートに深く座った途端、どっと眠気が押し寄せた。私はゆっくり目を閉じながらアユムの肩にもたれかかった。


「ヒナ……疲れた?」


低い声が、心地いい。


「うん……嫉妬疲れ」


アユムのふっと笑う声が聞こえた。


「俺も」


アユムも私にもたれかかってきた。

頭に、アユムの重みを感じる。


スイーツビュッフェへ行ったあとの、満たされた重みと似ている。幸せでちょっと動きたくない、あの感じ。

そんな風に思っていたら、膝の上に置かれた手に、アユムの手がそっと重なった。眠気がどこかへ飛んでしまう。


「……今日は、ヒナの気持ちが聞けて嬉しかった」


アユムの指が、重なった手の上をなぞるように動くと、そのまま恋人繋ぎみたいに、ぎゅっと指を絡められた。

顔が緩みっぱなしで、もう上げられない。


「うん……」


そう返事するのが精一杯だった。


「離れる理由が減ったな」


「うん……」


「帰るのが名残り惜しいな」


「うん……」


「じゃあ、結婚して」


「……え!?」


唐突な言葉に目を丸くしながら体を起こすと、体勢を少し崩したアユムは、不機嫌そうに顔を歪めた。


「そこは“うん”じゃないんだな?」


「……今のって、プロポーズ?」


声がほんの少し上ずった。まだ繋がれている手の指先が急にドクドク言いだす。


「だったらどうする?」


アユムは座り直して足を組んだ。私を見るその顔は面白がっていた。


「もっとロマンチックなのがいい……」


しっとりとそう言ってから、アユムに顔を近づけてからかうみたいに笑った。


「なーんて。結婚はまだ保留中だけどね」


するとアユムは呆れたように目を細めて、私の唇を指先できゅっと摘んだ。


前を向くと、バックミラー越しに運転手さんと目が合った。丸眼鏡をかけた年配の女の人で、黒い髪に白髪が入り混じっている。くっきりとした二重の目を柔らかく細めて気さくに笑ってくれた。


「結婚式帰りですか?お兄さんもお姉さんもビシッと決まってるから」


「はい。友達の式で。すごく感動しました」


「いいよね~、結婚式って。夢があって。私なんてもう結婚して随分経つんだけど、また挙げたいもん。結婚自体、良いものだしね」


さらっと出てきた結婚の良さを物語る言葉に、意識が向いた。


「そうなんですね……結婚ってどんな感じですか?」


思わずそんな言葉が口から突いて出た。


「改めてそう聞かれると、どう答えていいかわかんないけど……」


運転手さんの顔は見えないけど、少し照れたような穏やかな声は、幸せの中にいる人のものだった。


「心強い味方ができるって言うのかなぁ。自分の弱いところとか辛い過去とか、そういうの全部まとめて認めてくれたり愛してくれたりしてさぁ。強くなれるよ。世界が変わるね」


その言葉は、何気ない帰り道で転がっていた綺麗な宝石みたいだった。私の心を強く動かした。


偶然もらった言葉に満たされていると、運転手さんはバックミラー越しにふふっと静かに笑って、それ以上何も言わなかった。


アユムを見ると、何かを思うみたいに目を伏せていた。繋がれた手の指先にそっと力を入れて合図する。ふっとアユムの目線が私に向けられて、口元に優しい笑みが浮かんだ。


高速に乗ったタクシーがスピードを上げた。

すると窓の外に東京の夜景が広がった。

前にもアユムと見たことがある景色だけど、何度見ても圧巻だ。立ち並ぶ高層ビルが真っ暗な背景に煌めいて、私の目を奪う。


「綺麗……」


窓に張り付いて独り言みたいに呟いた。


「この夜景をまた見せたかった」


背後から低い声が落ちてきて肩越しに小さく振り向くと、アユムが身を寄せて、同じ景色を眺めていた。

近い。首筋につけられた香水がふわりと甘く香る。耳の下から顎先にかけての綺麗なフェイスラインとわずかに浮き出た喉仏は、間近で見ると妙に色っぽかった。


夜景よりもアユムを見ていたくなって、窓の外に目を返せずにいると、それに気づいたアユムの視線が落ちてきた。そのままゆっくり、アユムの顔が近づいてきて、私は目を閉じた。唇に感じた柔らかい感触と鼻先を掠めたウイスキーの匂いに、思考がふわりと蕩けた。


唇と唇が重なるだけの短いキス。目を開けると、アユムが優しく笑っていた。

恥ずかしくて私は窓の外に目を向けた。夜の街が終わりを知らないように光っていた。



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