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#27 前進した夜



披露宴が終わると、その余韻を感じながら二次会へ。披露宴会場の近くにあるシティホテルのラウンジがそのまま貸し切られていた。


ホテル最上階のスカイラウンジ。

照明が少し暗く、都内が一望できる大きな窓からは、すっかり暗くなった空の下で煌めく夜景が静かに瞬いていた。

ソファ席とバーカウンターが大人の寛ぎを感じさせるように配置され、披露宴ほど固くないけど上質な雰囲気があった。


新郎新婦の挨拶と乾杯が終わって、会場の緊張が薄くなると、あちこちのテーブルで賑わいを見せながら、グラスを交わす音がし始めた。


「紗知、本当に綺麗だね。旦那もイケメンだし、美男美女!羨ましい」


私の向かいに座る千里が、少し離れたソファ席に座る紗知を遠目に眺めながら、シャンパンを口に運んだ。


「二次会の場所もおしゃれだし、こりゃ勝ち組ってやつだね」


心美が少し悔しそうに笑い、ソファの背もたれにどっかりと沈んだ。勢いがあって、隣の私まで沈みそうだった。


「いいなぁ。私もハイスペな彼氏が欲しい。でもさっちゃんみたいに綺麗じゃないから無理か」


千里の隣で凛花が羨ましそうに紗知を見つめてから、目を伏せた。


「諦めるな諦めるな。ヒナがいるから」


千里が凛花に言った言葉に、私は思わず反応する。


「え?」


「ヒナは綺麗じゃなくて可愛い。それなのにハイスペ彼氏がいるでしょ」


「でもヒナもヒナで超可愛いもん。1年の頃、クラスの男子の間で“彼女にしたい女子ナンバーワン”だったよね」


千里の言葉に、凛花がふわりと柔らかく笑って答えると、埃をかぶっていた記憶が蘇った。

でも私が引っかかったのはそれじゃなかった。


「アユム、ハイスペック?」


「はぁ?」


3人の呆れた声が揃った。


「あの品性漂う長身イケメンイケボ彼氏を、ハイスペって呼ばずになんて呼ぶのよ」


「おまけに外資系なんて響き的にはハイスペよ」


「ヒナ、宝の持ち腐れだね」


千里と心美が親切に教えてくれて、凛花にいたっては鈍感な私を軽くなじってくれた。


アユムがハイスペックかどうかなんてあまり考えたことなかったけど、よく考えてみればその枠の人間かもしれない。

なんで私、捕まえられたんだろう?

そんな疑問が今更浮かんだ。


「ねぇ、彼氏紹介してよ。二次会来てないの?」


千里の言葉に、迷ってしまう。


「行くって言ってたけど……今、距離置いてるからなぁ。紹介するのもどうかと思う…」


紹介したくないわけではない。むしろしたい。

でも今の中途半端な関係を人に見せるのは違う気がした。


「あ、いた!あの人じゃない?バーカウンターにいる人!」


心美が後ろを振り返り、声を上げた。

人が行き交う間から、バーのカウンターで友達数人とお酒を飲みながら喋っているアユムを見つけた。


「ヒナの彼氏!アユムさん!」


突然、心美が大きな声で名前を呼んだから、私は目を丸くした。グラスを軽く傾けながらアユムがこちらを振り向いた。


「ちょっと、やめてよ」


そう言って、手招きし始めた心美を必死に制止していると、視界の端で、アユムがこちらに歩いてくるのが見えた。


「ヒナ」


ソファのすぐ近くまで来たアユムは、ネクタイが外され、ワイシャツのボタンもひとつ開いていて、披露宴の時よりも肩の力が抜けていた。

手には丸氷とお酒が入った背の低いグラスを持っていた。ウイスキーのロック。ここへきて、度数の強いお酒を飲むなんて、大人っぽくてかっこいい。

私は慌てて立ち上がった。


「ア、アユム!ごめんね急に呼んで。みんなが紹介して欲しいって……高校の頃の友達なの」


私が言い終わると同時に、三人は身を乗り出しながら、


「初めましてー!」


と、自分史上最高みたいな可愛らしい笑顔を貼りつけて声を揃えた。

アユムはクスッと笑った。


「成瀬アユムです。よろしく」


三人の顔が、純粋な女子高生みたいに柔らかく崩れた。


「あの、座ってお話聞かせてください!」


心美が促すと、千里と凛花もそれを願うかのように激しく頷いた。


「え、でもアユム戻らないと……」


「ああ、いいよ」


そう言うとアユムは、ソファの端の空いたスペースに腰を下ろした。

私も大人しく隣に座り直すと、さっきの披露宴の時よりアユムと距離が近くて落ち着かない。


「ヒナに結婚待たされてるって本当ですか!?」


心美が不躾に口を開いた。

もっとオブラートに包んだ聞き方をして欲しかった。


「本当だよ」


アユムがニコリと微笑み、短い返事を返しただけなのに、三人は顔を見合せて手で口を押さえたり小さく悶えたりしていた。

私もアユムの言動にはいちいち照れるけど、彼女たちほどではない。


「なんですかその余裕、大人すぎません?」


千里が突っ込むと、アユムは小さく息をついた。


「そう見えてるだけで、好きな相手には結構余裕ないよ」


私の隣に座る心美が、ニヤニヤしながら肘で突っついてきた。


「待たせてる側なのに、ヒナめちゃくちゃ愛されてるじゃん」


私は恥ずかしくなって、テーブルに置かれていたシャンパングラスに手を伸ばした。一口飲んで俯いた。


「アユムさん、もてもてなのにヒナ一筋なんですね」


「逆ナンされてるの今日何度か見ましたよ~」


千里と凛花がからかうように笑うと、アユムは「ああ……」と思い出したように笑い、


「ヒナで頭いっぱいだから」


と、チラリと私に目を向けて、血色のいい整った唇から殺し文句をサラリとこぼした。


「ひゃー!もうダメだ。いい男すぎて耐えられない!誰か私を担架で運んで!」


心美がふざけたことを言って、ソファの背もたれに倒れ込んだ。


「ヒナ、こんな素敵な人待たせて何してるの?」


凛花が真面目な顔で聞いてくる。


「待たせてるつもりはなくて……結婚っていろいろ怖いんだもん」


「あんたねぇ、」と心美が呆れて口を挟んだ。


「なに子供みたいなこと言ってんの。アユムさんのこと信じて飛び込みなさいよ」


「そうよ。怖いって逃げてたら一生結婚できないよ?相手を信じなきゃダメ」


学生の頃から穏やかだった凛花まで、説教じみていた。


“アユムを信じる”。私は最近ようやく気づけたことなのに、彼女たちは最初からそれを知っているみたいだった。


「ほんとほんと。こんな誠実そうな人、千年に一人の逸材なんだから」


千里が大袈裟に頷いた。


「ヒナと違って、みんな大人だな」


ふっと笑ったアユムが、私だけに聞こえるみたいにそう言ってきた。むっと唇を尖らせた。


「でもまぁ、俺が待ちたいだけだから」


みんなに向けたアユムの一言で、尖っていた空気がヤスリをかけたみたいに丸くなった。


「かっこよすぎ……」


「やば……」


千里と心美がポーッとなりながら、心の声を漏らすみたいに口にした。


「アユムさん、ヒナのどんなところが好きなんですか?」


凛花が聞くと、アユムは一瞬考えるように宙を見てから答えた。


「素直で可愛くて、少しわがままなところかな」


3人の顔が私に向いて、ニマニマ笑っている。


“少しわがままなところ”。あれだけ振り回しておいて、少しなんだ。アユムから見えている私は、思っていたよりずっと甘いらしい。


「ヒナはアユムさんのどんなところが好きなの~?」


心美が酔っぱらいみたいになって、茶化すように私の顔を覗いてきた。


「えっと……、一緒にいて自然体でいられるところとか、優しくて大人なところとか、包容力があるところとか、でも嫉妬もしてくれるところとか……」


「おーおーおー、たくさんでてくるねぇ」


心美の言葉にハッとして言葉が止まった。


「へぇ。そんなにあるとは知らなかったな」


アユムは少し嬉しそうに微笑みながら、グラスに口をつけた。カラン、とグラスの中で氷の滑る音がした。

アユムの視線に気づいて、私は恥ずかしくて目を逸らした。


千里がシャンパンをぐっと飲み干し、勢いのまま身を乗り出した。


「千里の質問ターイム!してもいいですか?」


突然、司会者みたいに仕切り始めた。酔っていそうでヒヤヒヤする。


「好きなだけどうぞ」


アユムは目を細めて笑った。


「どっちから告白して付き合ったんですか?」


「俺から」


「なんて告白したんですか?」


「全部受け止めるから付き合ってください……だったかな」


「付き合ってどのくらいですか?」


「もう四年くらい」


「喧嘩します?」


「するよ。たまにね」


「どっちから折れますか?」


「俺からかな。ヒナは意地っ張りだから」


「そんなヒナに手、焼いてませんか?」


「まぁ、少しは。でもそこが可愛くて」


千里の質問にアユムは淡々と、でも柔らかい雰囲気で答えていたかと思ったら、突然甘い言葉を混ぜてきて、私の身体はじわっと熱くなった。

それは千里も同じだったみたいで、額に手を当てた。


「ああもう気絶しそう。凛花、バトンタッチ」


千里は隣に座る凛花の肩に手を置いた。


「えーっと……最初にヒナのこと“この子いいな”って思った瞬間は?」


「最初か……小さなことにも無邪気に笑うところを見た時だったかな」


「ヒナのどこに惚れたんですか?」


「明るくて元気で、あとは危なっかしくて目が離せないところ」


「今でもちゃんとヒナのこと好きですか?」


「好きだよ」


「じゃあ、ヒナのこと愛していますか?」


不意にアユムの答えが止まった。

耳を塞ぎたくなるくらいテンポが良かった質問コーナーに、ふっと沈黙が落ちた。

派手に鳴り始めた私の心臓の音をかき消すくらい、周りの笑い声がやたら大きく響いている。


「凛花、その質問重いよ……」


心美が沈黙を和らげるように言うと、凛花は慌てて両手を振った。


「え、あっ……ごめんなさい。えっと、どうしよう……」


「いや……そうきたかと思ってさ」


アユムは困ったように笑って軽く前髪をかき上げた。


「まだ一度もヒナに言ったことないけど……」


ゆっくりと紡がれる言葉の正体を想像して、私は息を呑んだ。膝の上に置かれた手に思わず力が入る。

早く言って欲しい。みんなの前で。私だけに向けて。逸る気持ちを抑えながら、アユムと視線が重なった。もう逸らしたくなかった。

周りの音が遠くなって、視界にはアユムしかいない。アユムは、微かに笑った。


「愛してる。それ以外ないよ」


公開処刑ならぬ公開告白は、体を流れる血液を沸騰させるみたいに熱くてとろけそうだった。

私は急に恥ずかしくなって、ゆっくり俯いた。


“愛してる”。その言葉の意味はまだちゃんと分からない。でも“好き”よりも“大好き“よりもずっと深くて重いものだ。アユムが私にしてきてくれたすべてのことを表した言葉だと思う。私への想いは、生ぬるい気持ちじゃないってこと。


嬉しさが全部、ふにゃりと緩められた顔に出てしまう。でもふと、グラスを持つアユムの手元に目がいった。


そんな私をよそに、千里たちは悲鳴を堪えるみたいに両手で口を押さえて、足をバタバタさせ騒いでいた。


アユムは、ウイスキーを一口飲んで恥ずかしそうに笑った。


「……照れるな」


そんなアユム見て、三人はまだ騒いでいる。

私はアユムのスーツの裾をそっと引っ張った。


「ねぇ、アユム……」


「ん?」


「今の言葉、酔った勢い……?その気持ち、明日には忘れちゃう?」


アユムを見つめると、アユムの視線が一瞬、宙を彷徨ってまたすぐ重なった。気のせいか、いつもの余裕が少しだけ崩れているみたいに見えた。


「バカ。酔ってない。本心だよ」


心地のいい甘い口調と甘い眼差し。

いい雰囲気……と思ったら、


「ちょっとちょっと、お邪魔してごめんなさい。でも何、今の!ヒナあざとい!」


千里が野次を飛ばしてきて、私は大真面目な顔で首を傾げた。


「え?なにが?」


「服引っ張って上目遣いして、甘い声でそのセリフ言っちゃうの、あざとくて可愛すぎるわよ」


千里の責めるような言葉に、ちょっと嬉しくなった。

たまに意識してアユムの前で可愛こぶる時はあるけど、今のは完全に無意識でやっていたことだった。


「え、そんなだった?」


「絶対アユムさん、ドキッとしてたよね~」


凛花がそう言うとアユムは、額に手を当てて、ハァ…と小さく息を漏らした。


「そういうとこなんだよ……ヒナは」


「私にはできない。そんな可愛らしいこと」


心美が「無理無理」と首を横に振っている横で、私は、


「アユム、私にドキッとしたの?嬉しい!」


アユムの腕に両手を回して体をピタッとくっつけると顔を近づけた。


でもすぐに、おっとと……これもあざといのかな?と思って少し体勢を直して千里たちを見ると、案の定、白い目で見られていた。


「あざと可愛いわね……」


「ヒナ、無邪気すぎるよ」


千里と凛花が呆れ笑う。少し、羨ましそうな顔にも見えた。

“そういうの自然にできていいな~”と言っているみたいだった。


アユムを見ると、困ったみたいに笑っていた。

呆れてるんじゃなくて愛おしいというような、そんな甘い視線だった。

不意に、ポンポンと頭を軽く撫でられた。


「ひゃー!もう見てらんない!羨ましすぎる!」


まずは心美が悲鳴みたいな声を上げてソファにもたれ込み、次に千里が眉を寄せた。


「ねぇ誰かこの空間にお砂糖撒いた?甘いんですけど」


「あーもうっ。こんなの目の前で見せられたら恋したくなる……」


最後に凛花が、胸を押さえて呟いた。

視線を感じて隣を見ると、ソファに沈んでいたはずの心美が私をジトッと見ていた。


「ヒナ、いつまでくっついてるのよ」


そう言われて、アユムの腕に回したままだった手に気づいた。私はパッと離した。


「なーんてね。紗知のとこ行ってこよ。なんか私たち、お邪魔みたいだから」


ニヤニヤ笑いながら立ち上がる心美につられるように、千里と凛花も立ち上がった。


「そうだね。あっちもあっちで心臓持たなそうだけど」


「アユムさん、お話聞かせてくださってありがとうございました」


三人が離れていくと、私たちの小さな空間だけが急に静かになった。

今日の主役は紗知なのに、自分にスポットライトが当たっているみたいな気がして体が火照る。

でもその一方では、大きなケーキに体ごと飛び込んで、その甘さに溺れかけているみたいな幸福感もあった。

“愛してる”なんて言われたせいで、隣にいるアユムを妙に意識してしまう。


「喋りすぎたかな」


アユムはそう言って、グラスをゆっくり傾けた。

私は、「ううん……」と言いながら首を横に振った。


「……いろいろ嬉しかった」


感情が高まってそれ以上何も言えずにいると、アユムの指先が私の頬をいたずらっぽく触った。


「ヒナ。あの時の返事、聞かせて?」


「え?」


「忘れた?披露宴の時に、司会に遮られた言葉」


覚えてる。耳の奥に鮮明に残ってる。

『俺との将来も少しは怖くなくなった?』というアユムの問いかけ。

司会者の進行が邪魔をして言いそびれてしまった私の言葉を、アユムは聞きたくてうずうずしているみたいで、私をじっと見つめてきた。


「すごく気になってる」


熱っぽい視線にやられそうだった。

私は少し目を逸らして、上唇と下唇をきゅっと合わせてから静かに口を開いた。


「……覚えてるよ。アユムとの将来、前より怖くなくなったからちゃんと前向きに考えるねって言おうとした」


ゆっくり、アユムに視線を向ける。

アユムの表情が和らいで、緩んだ口元から安堵するような吐息が漏れた。


「その言葉が聞けてよかった」


まるで努力が報われたみたいに柔らかく笑う顔に、胸がきゅぅっと締め付けられた。

アユムは残りのウイスキーを飲み干した。


「じゃあその小さな前進に乾杯するか。もう一杯付き合って」


私はにっこり笑って頷いた。

立ち上がると、二人でバーカウンターへ向かって歩き出した。



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