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#25 優しいものさし



賑やかな余興が終わって、淡いピンクのカラードレスに着替えた紗知が、黒のタキシードを着た潤くんと再び現れた。

美女と野獣のムードたっぷりの音楽が二人の再入場を彩った。


二人の手は長いライターのような点火器に添えられている。薄暗い照明の中、夫婦の共同作業みたいにひとつひとつテーブルを回り、キャンドルに火を灯していく。

ふわっと揺れる炎の灯りが、強くてでも儚くて、これからの二人の未来を表しているみたいで、眩しかった。その中で、私とアユムは目を合わせて小さく笑いあった。幻想的だった。


「ただいまよりメインキャンドルの点火でございます」


司会が少し落ち着いたトーンで締めに入った。


高砂席のメインキャンドルにも明かりが灯ると、音楽も盛り上がりをみせた。

会場がキャンドルの光でいっぱいになる。

それを眺める新郎新婦は何を思うのだろうか。


「それでは皆さま、しばしご歓談ください」


照明がふわりと明るく戻った。

魔法がとけて現実に引き戻される感じがした。


メイン料理を食べ終えて高砂席を見ると、新郎新婦の二人がこちらに向かって手を振っていた。

私がそれに気がつくと、来て来て!と手招きに変わった。私は思わず笑顔になって、アユムの手を引いた。


「アユム、二人のとこ行こう」


するとアユムは何も言わず立ち上がった。



紗知と間近で向き合うと、紗知の綺麗さがきわだった。ベアトップのピンクのドレスは胸元に繊細なレースがあしらわれていて、惜しげも無く出された肌は照明に反射し、ほのかにきらめいている。


「紗知、潤くん、おめでとう!紗知、すっごく綺麗!潤くんもかっこいい!」


「ありがとうヒナ~!ヒナも綺麗だよ」


「ヒナちゃん、可愛いドレス似合ってるじゃん」


主役の二人の言葉に、えへへ……と照れ笑っていると、潤くんが私とアユムを交互に見ながら、申し訳なさそうに口を開いた。


「あのさ、席、ごめんな。二人、隣同士にして」


「そうそう、ごめんね。でもこの日をきっかけに二人がまた寄り戻してくれたらいいよねって潤くんと話してて……って、気まづかったよね、ごめん」


紗知が申し訳なさそうな顔をしたけど、華やかなドレスにそんな顔は似合ってなくて、こちらが申し訳なくなった。


「全然、平気だよ。実はね、ヨリを戻したわけではないんだけど……えっと……」


私はそこまで言うと、その先の言葉が見つからず、バトンを渡すかのようにアユムを見上げた。

言葉に迷う私とは違って、アユムは落ち着いた様子で口を開いた。


「少し前から、また距離が縮まっててさ。そんなに心配しなくて大丈夫」


「え!なにそれ!ヒナ、ほんとに!?」


紗知が嬉しそうに声を上げて目を輝かせながら、興奮気味に潤くんの腕をバンバン叩いた。


「あ、でもね、デートしたりとか、そういう感じではなくて」


私は顔の前で両手を振って、視線を泳がせた。


「私がアユムに甘えて、アユムが助けてくれたりとか、そんな感じなの……」


「いい関係じゃん」


潤くんの言葉に、紗知が、うんうんと頷いた。


「それでね、アユムは変わらず結婚願望があって、私はやっぱり怖がってて。でも、もう一度、今度はちゃんと考えてみようかなって。アユムに今待ってもらってる状態なの」


ねっ?とアユムに問いかけると、アユムは答える代わりに静かに笑って頷いた。


すると潤くんが、くくっと笑った。


「男と女、逆だな」


「え?」


「いや、わりと男が結婚怖がって、女が待つだろ。うちはそうだったからさ。紗知が結婚したくて俺はビビってて。たしか怜司くんのとこも」


「そうなんだ……」


女性としての何かが欠落しているみたいで、ちょっと恥ずかしくなって俯いた。


「ヒナはこう見えて、男っぽいとこがあるんだよ。サバサバしてて小さいことは気にしなかったり。俺は何度もそこに助けられてきた」


アユムの優しい声に、顔を上げた。

その言葉も気持ちも温かくて、自分のズレた感覚を愛でたくなった。

潤くんがからかって口笛を吹いた。

それだけでは足りず言葉でアユムを煽る。


「ごちそうさんです!」


思わず、どちらが新郎かわからなくなる。


すると紗知が、柔らかい笑顔で口を開いた。


「ヒナ。私、すっごく幸せ」


いっしょに大好きなアーティストのコンサートへ行った時も、いっしょにおいしいスイーツを頬張って恋バナをしていた時も、紗知はそう言っていたけど、その時とは比べ物にならないくらい幸せそうな声だった。


「今、この瞬間だけじゃないよ。好きな人と一緒に生きていくこれからの事を考えると、すごく幸せなの。怖がらないで、ヒナにも味わって欲しい」


マウントでも、押しつけでも、結婚ハイの人がこぼすノロケでもなかった。真面目に、私に伝えようとしていた。

同い年の彼女の言葉は、誰の話よりも現実味があって、熱いコーヒーに溶ける砂糖みたいに、心にすっと溶けていった。

大好きな友達の幸せそうな顔と、一歩踏み出す勇気をくれる言葉を前にして、視界がほんの少し滲んだ。


四人で写真を撮ってもらって、私とアユムはテーブルへ戻った。


席へつくとタイミングを見計らったかのようにデザートが運ばれてきた。

白いプレートには、ハートの形をした小さなケーキが三つ、信号機みたいに並べられていて、周りには色とりどりのフルーツが飾られていた。

スタッフが静かに置いた瞬間、思わず「わぁ、可愛い!」と声が出た。

ひと口で食べられてしまいそうな上品なそのケーキは、真っ赤なラズベリーのムースと、チョコレートケーキと、チーズケーキみたいだった。


テーブルには、まだ私たち二人しか戻っていなかった。賑やかなのも良かったけど、これはこれで心地いい。

幸せそうな二人を見ながら、おいしいデザートを食べて、昼間からシャンパンに酔って、アユムにドキドキして。いつもの日常とかけ離れた、非現実的な空間に足元がふわりと浮く感覚がした。


「紗知、幸せそうだったね。私もああなれたらいいのに……」


雰囲気に呑まれたみたいに、ぽろっと本音がこぼれてしまった。


「舞台は整ってるのにな。臆病者の誰かさんが逃げてるだけで」


アユムは小さく笑って、ちらりと私を見る。

痛いところをつかれた私は、シャンパングラスを手にしたままプイッと顔を背けた。


そのままグラスを口元に当て、小さく喉を鳴らして飲む。「あんまり飲みすぎるなよ」というアユムの言葉を無視して、大きく息をついて俯いた。


「幸せになりたい……誰かと一緒に」


独り言みたいに、ぽつりと呟く。


「……誰と?」


低い声が落ちてきた。顔をあげるとアユムがこちらを見ていた。静かに鋭く細められた目には、隠しきれていない感情が見えた気がした。


「……アユムとに決まってるじゃん」


答えると、アユムの目がふっと柔らかい雰囲気を帯びて、安心するみたいに小さく笑った。


「この前、夜遅く電話もらった日から、どうすればヒナが俺の気持ちを信じてくれるのか、ずっと考えてた。それでこの言葉だけはちゃんと伝えたくて」


アユムは私の方にゆっくり身体を向け、私を真っ直ぐ見つめた。


「ヒナの幸せを叶えてあげたい」


胸の奥が、閃光みたいに弾けた。

そんな言葉、ずるいと思った。


「アユム、私の幸せなんだか知ってる?」


知らないでしょ、と言うみたいにもったいぶるように聞くと、アユムは見透かしたように笑った。


「毎日可愛い服着て、おいしいもの食べて、ふかふかのベッドで寝ること、だろ?」


「……なんで知ってるの?」


「前にそう言ってたから」


些細なことすぎて、覚えていない。

きっと、ありふれた日常の中で交わされた会話のほんのちょっとした一部分だ。

そんなことを覚えていてくれてたなんて、私はどうしようもないくらい嬉しかった。


「覚えててくれたんだ……」


「当たり前だろ」


それは当たり前じゃない。

特別だって、私は知ってる。


「俺はヒナを幸せにできるって自負してるよ」


アユムは私を安心させるみたいに言った。


私の幸せはスケールが小さい。

でも、そんな小さな幸せでさえ、自分で叶えるのはまだ難しい。衣食住を守るのって、思っているよりずっと大変だ。

自分だけでも精一杯なのに、たとえ好きな人でもその人の生活までを背負うなんて、考えただけでも倒れそうだ。

それなのにアユムは簡単そうに、できると言い切ったも同然で。頼もしい、と思った。


「私、お金かかるよ?カフェ行っておいしいパンケーキやパフェとかいっぱい食べたいし。ショッピングもいっぱいしたいし、美容院もちゃんと行きたい。ルームウェアはジェラピケがいいし。あとね、アユムと毎年、旅行にも行きたい」


「そのくらいなら叶えてあげられるし、ちゃんと貯金もしてるよ」


アユムは息を吐くみたいにさらりと言った。

その愛の大きさに愕然とした。

私はアユムのためにも自分のためにも、貯金なんてしたことない。


「俺のこと、信じる気になった?」


少しからかうみたいに聞かれた。

私は胸がいっぱいで何も言えなかった。アユムを直視することもできずに、私はただ小さく頷いた。


「よかった」


アユムは安堵したようにぽつり呟いた。


「じゃあ……アユムの幸せはなに?」


アユムの腕をキュッと引っ張ると、視線が絡んだ。


「ずっと聞きたかったの。でも怖くて聞けなかった……私が叶えられることじゃないかもって思って……。でもやっぱり聞きたい」


アユムはテーブルの縁に肘をついて指の背を頬に当てたまま、私から目を離さず言った。


「俺の幸せは、ヒナが毎日、笑顔でいてくれること」


その言葉を聞いた瞬間、キスされたみたいに心の緊張が解れた。


「え?そんなこと?そんなことでいいの?」


思わず身を乗り出して聞くと、アユムは近い距離で静かに私を見ていた。


「アユムの幸せって、なんかもっとこう……いっしょにニュースを見て小難しい話したいとか、一人で静かに本読む時間が至福とか、そういうのかと思ってた」


「ヒナが笑ってくれてたら、それだけでいいよ」


いつかおばあちゃんが言っていたことを思い出した。


『アユムくんが持ってる幸せのものさしは、もしかしたらヒナちゃんが1歩を踏み出しやすくなる優しいものさしかもしれないわ』


いつも笑顔でいることは意外と難しいことかもしれない。

それでも、幸せの形が優しく見えて、私にもできるかもしれないと思えた。一歩、踏み出せそうだった。


「笑顔なら得意だよ、ほら!」


首を傾げながらにっこり笑って、両手の人差し指で左右の口角を上げて見せた。

その仕草は子供っぽかったかなと思ったけど、アユムもつられるように笑って目を細めた。


「毎日その笑顔が見られたら、幸せだな」


胸の奥にぴったり張り付いていた結婚への不安や恐れが、ゆっくり溶けていく気がした。


ふっと高砂席を見る。私の真似をするみたいに、左右の口角を指で持ち上げながら二人がこっちを見ていた。


それが可笑しくて、思わずアユムに、あっち見て、と言うように小さく高砂席を指さした。

私の真似をする二人に、アユムも笑っていた。

仲が良さそうな沙知と潤くんを見て、結婚の怖さが遠のいていく。追いかけてくる結婚に、前は怯えて逃げていたけど、今は立ち止まってみたくなった。



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