#19 背けたい気持ち
アユムのベッドで目を覚ました。
一夜を過ごしてしまった。そんなこと、付き合っている時にはなかったのに。
付き合って一年目あたりからアユムと体の関係はあったのに、アユムは頑なにお泊まりデートだけはしてくれなかった。
あまり踏み込むと帰らせたくなくなるから、とか、仕事も忙しいから、とか言って。
そのストイックな感じが、ほいほい泊まらせる男よりも遥かに魅力的だったけど。
少し起き上がると、擦れたシーツが小さく音を立てた。
木製のブラインドで閉じられた部屋は薄暗い。
サイドテーブルのデジタル時計は朝の6時を刻んでいた。
隣を見ると、アユムはまだ眠っていた。
寝顔でさえまともに見れなくて、私は目を逸らした。でも体に残る余韻が、昨夜のできごとを思い出させる。
何度も重ねた唇。名前を囁かれた耳元。強く抱きしめられた身体……。どのシーンを思い出しても胸の奥が、甘く疼く。
私は、小さく息をついた。
正しかったのかどうか、その気持ちの輪郭はまだぼんやりとしていた。
ただ、このまま、目覚めたアユムと朝を迎えることが、何かの“答え”になってしまいそうで怖かった。
私はそっとベッドを出ると、服を着て、アユムの部屋を出た。昨夜、落とした荷物を拾い集めて。
アパートを出ると、朝の冷えた空気が火照った身体を冷やしてくれた。
お腹が空いたからカフェへ入ろうと思ったけど、罪悪感という分厚いコートを着たままではおいしいサンドイッチは食べれないと思って、足がそのまま駅に向いた。
その途中でアユムから電話があった。
気まずさとは裏腹に、それでも声が聞きたくなったけど、出ないと決めてスマホを眺めていたら、長い振動の末に電話は切れた。
程なくして、ホームで電車を待っていたら、またアユムからの着信でスマホが震えた。
寒さで私の手も震えていた。
やっぱり声が聞きたくて、画面の上で親指が躊躇う。脳裏にアユムの顔がチラつく。
気づいたら私は通話ボタンを押していた。
「……もしもし?アユム?」
「ヒナ、今どこ」
目覚めてすぐ電話をくれたのだろか、どことなくいつもより低いこえだった。
「駅のホームだよ。ごめんね、逃げるみたいに帰って」
「どうした?」
私が俯いて言葉を探していると、アユムは躊躇うように言葉を続けた。
「……昨夜のこと、嫌だった?」
「嫌じゃないよ。幸せだった。でもまた急に怖くなっちゃったの……」
アユムは小さく息をついただけで何も言わなかった。
アユムの幸せって何?
そう聞きたくて一瞬口を開いたけど、すぐに閉じた。
知るのが怖くなった。きっと私には叶えてあげられない。
「そうだ、紗知と潤くんの結婚式、アユムも、行くよね?もう、来月だね。早いね。そこでまた会おう?結婚式で再会ってなんだかロマンチックだよね」
アユムの声を聞きたかったのに、私はひとりで一方的に喋っていた。
「どんなドレス着ていこうかな~。アユムはどんなドレスが好き?大人っぽい感じ?」
「ヒナ……」
アユムの声に口をつぐんだ。
「まだ終わってない関係って言ったけど、こんな中途半端な関係いつまでも続けられない。待ってるから、ちゃんと答えを出してくれ」
シロップを入れないカフェラテを飲んだみたいだった。甘さのあとに、苦味が追いかけてくる。
わかっていたことだけど、アユムに切り出されると息がうまくできなくなった。
「うん……じゃあ、またね」
曖昧に返事をすれば、そのままぼやけて消えてしまうと思った。
「ヒナ。ちゃんと考えてくれ」
アユムの想いが、胸に流れ込んでくるみたいだった。ドアを閉めても隙間から入りこんでくる。
溺れそうだった。
「わかってるよ……」
少しうんざりしたように答えると、アユムは静かに言った。
「わかってないから、今そうやって誤魔化そうとしてるんだろ」
一瞬、空気がヒリッとした。
ちゃんと向き合おうとするアユムと、曖昧にして逃げようとする自分の差が見えた気がした。
「もう、うるさいなぁ……」
ぽつりと呟いた。
「それで済ませるな。答えが出るまで甘えてくるなよ。じゃあな」
アユムが切る前に、私は慌てて通話を切った。
きっと今頃アユムは、「まったく……」って呆れている気がした。
“答えがでるまで甘えてくるな”。
昨夜のアユムと比べたら、まるで別人みたいだった。それでもやっぱり、嫌いにはなれなかった。




