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18/45

#18 答えのないまま



カップ越しに伝わる熱は、まだ温かかった。

カウチソファに座り、紙袋からコーヒーを出すと、少し距離を開けて座るアユムに手渡した。


久しぶりのアユムの部屋に、ドキドキしていた。

コンクリートが打ちっぱなしの無機質な壁と、モノトーンでまとめられたインテリアは落ち着いていて、アユムのイメージによく合っている。

壁際のデスクにはパソコンが置かれていて、家でも頭を使っているアユムが容易に想像できた。


カウチソファと小さな丸テーブル、テレビボードがバランスよく置かれていて、無駄なものがない空間は実際の間取りより広く感じられる。

壁の仕切りの向こうに見える、乱れのないベッドと難しそうな本が並ぶ本棚も、やっぱりアユムらしかった。


「アユム、元気そうでよかった」


そう言って、キャラメルマキアートをひと口飲むと、キャラメルの甘さが口いっぱいに広がった。


「ずっと待ってるって言ったけど、ヒナからの連絡、待ちくたびれてた」


甘いドリンクに甘い言葉。

甘党の私でさえたっぷり甘い。普通の人なら、胃もたれするかもしれない。

私は悪い気持ちはあるのに、口元が緩んだ。


「ごめん……でもちゃんと来たよ」


ニコッと笑ってみせると、アユムも柔らかい笑みを浮かべた。


「電話してくれって言ったんだけどな。ヒナは買い物?」


「うん。あれからね、私なりにちゃんと考えてたの。そしたら煮詰まっちゃって……だから気分転換に買い物に来たの……」


私は冷えた手を温めるように、カップを両手で包みながら、目を伏せて、ひと呼吸置いてから続けた。


「そしたらアユムに会いたくなっちゃって……ごめん」


ぎこちない沈黙が落ちる。

その間を埋めるように、アユムが口を開いた。


「どんな買い物した?」


てっきり、結婚の話のことを突っ込まれると思っていた私は、意外な言葉に少し驚きながら、笑顔で答える。


「マフラーだよ」


カップをテーブルに置いて、紙袋からマフラーを取り出し、アユムに見せた。


「カシミヤでね、ラインストーンがついててね、可愛いの」


首に巻いて、ふふっと笑う。


「似合うかな?」


「似合ってる。可愛いよ」


照れもなく真っ直ぐ向けられた優しい視線と言葉に、思わず照れてしまう。

夏場のアイスクリームみたいに、体が溶けてしまいそうだった。

やっぱり、買い物をしてアユムに褒められるまでが癒しのセットだと思った。


「ありがとう……」


照れた顔を隠すように俯いて、マフラーを外した。膝の上に乗せたマフラーを無意識にキュッと握った。


「アユム……私、アユムを失うの、やっぱりやだよ」


「それなら……」


というアユムの言葉を、私は遮った。


「結婚は怖いままなんだけど、アユムが他の人と結婚して幸せになるのはもっと怖くて嫌なの」


その先のことはまだわからない。

でも、それは正直な気持ちだった。


「“俺と人生を選びたい”わけじゃなくて、“誰にも渡したくないだけ”なんだな。それ、単なるキープだろ」


思いがけない言葉に、私は慌ててアユムに視線を向けた。


「違うよ、そうじゃない」


「俺じゃなくてもいいってことだよな」


「違うってば。アユムじゃないと嫌なの。好きだから、失いたくない」


「好きなら一緒に進むはずだろ。結婚してつなぎとめたらいい」


その場で足踏みをするのが精一杯な私を引っ張るみたいに、アユムは結婚に誘おうとする。

気持ちをわかってもらえなくて、私は少し苛立った。


「アユムは、私を結婚で縛りたいだけでしょ。結婚すれば世間からの見方も変わるし、自分の負担も減るもんね」


言ってから少しだけ後悔した。でも少なからず、そんなよこしまな気持ちもある気がした。


「それなら、もっとしっかりしてる人を探してるよ。自分の価値を上げてくれそうな」


アユムは足を組んでソファに軽く寄りかかった。


アユムの言葉に少しムッとなったけど、たしかにそうだ。結婚に利用されるほどのスペックは、そもそも私にはない気がした。

むしろ今、必死にしがみつかなきゃいけないのはなんの取り柄もない、私のほうかもしれない。

そう思ってしまった自分が、嫌だった。


「俺は自分の都合で結婚したいわけじゃなくて、ヒナとずっと一緒にいたいから、結婚したいんだよ」


言葉で、抱きしめられた気がした。

でも私は、スルリと逃げた。


「……私もアユムを大事にしたいけど、わかんないよ。ずっと好きでいられるかもわからないし、お互い、傷つけ合うかもしれないし……怖いの」


「ようやく聞けたな。ヒナの不安」


「え?」


「ワガママだけは言うのに、大事なところは隠すから、どうしたらいいかわからなかった」


図星をつかれて少し恥ずかしくなった。


「3年8ヶ月も続いたんだから、そんな簡単に終わらないだろ」


「え?3年半じゃなかったっけ?」


「相変わらず適当だな。友達の期間も入れたら4年だよ」


4年もあれば、赤ちゃんは喋れるようになるし、歩けるようにもなる。

大学生は充実したキャンパスライフを送って、96歳のお婆さんは100歳を迎える。


人生長い目で見た4年は短いけど、フォーカスを当てれば4年という月日は長く濃密だ。


そんな長い時間、アユムといたんだ。


「それに、嫌い合って別れたわけじゃないしな」


「うん……」


自然と口元がほころぶ。

“アユムのことが大好き!”とプラカードを持って歩いてるみたいに、現在進行形で大好きだ。


でも、どこかでブレーキをかけている自分もいた。一歩踏み出したら、そのまま未来が決まってしまいそうで怖かった。


「でもさ……一生、一緒なんだよ。傷つけあって、それでも好きでいられるのかな?」


「それでも一緒にいたいって、思えるかどうかだろ」


それは不透明すぎて、私にはまだ掴めない気持ちだった。何も答えられず俯くと、キャラメルマキアートをひと口飲んだ。

甘みと一緒にエスプレッソの苦味が流れ込んできて、今の気持ちとどこか似ていた。


「傷つくのが怖いのはわかる。でもそれはヒナだけじゃないだろ。俺だって怖い」


アユムは神経質そうな指つきでメガネのブリッジを上げた。


「それでも一緒にいたいから、進みたいんだよ」


その言葉は、水面に一滴の雫が落ちて広がるみたいに、私の心にじんわり響いた。


「すれ違ったり傷つけあったりしても、ちゃんと向き合えばいい」


嘘発見器がぴくりとも反応しなさそうな真面目な気持ちが眩しかった。


「ヒナは怖いからやめる?」


「……わかんない」


「まだそれか……」


アユムは小さく息を吐いて笑った。

心変わりできない私のことを、子供に手を焼くような目で見るけど、そんな簡単に気持ちは変わるわけない。


結婚した世の中の人達は、どんな気持ちをきっかけに、相手の何がよくて結婚を決めたのだろうか。

ただ、好きだから、一緒にいたいから。素敵だから。たったそれだけの無防備な気持だと溺れてしまいそうだった。


「アユムはどうして私と結婚したいの?」


「……放っておけないから。俺がいないと心配で。守ってあげたくて」


「そっか……」


聞かなきゃよかった。きゅんとしてしまった。守られたい欲に刺さってしまった。


気持ちを落ち着かせるようにキャラメルマキアートをまたひと口飲んだけど、ミルクのまろやかさが舌の上に残ってすこし重かった。


「アユム……私、もう少し一人で考てみるね」


そう言って私は、荷物とスタバのカップを持って立ち上がる。


部屋を出ようとした時、ふいに背中から腕が回された。アユムの温もりがじんわりと伝わってくる。後ろから抱きしめられていると気づくのに、数秒もかからなかった。

思わず足が止まって、心臓が変な音を立てた。


「アユム……?」


「……もう、手離したくない」


肩越しに振り返ると、腕を強く引かれて、唇が重なった。

驚いて息が止まる。

離れた方がいいのに、できなかった。拒むなんてしたくなかった。

その拍子に、手に持っていた荷物が床に落ちて、静かな部屋に音を立てた。

アユムの背中に回した指先が、真っさらなシャツをギュッと掴む。

求めるように重なる唇は優しくて、もう何も考えられないくらい、頭も胸の奥もとろけそうだった。

アユムの唇が首筋に滑り落ちると、私は小さく吐息をこぼした。

いつも余裕のあるアユムが、こんなふうに崩れているのを、私は初めて見た気がした。



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