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#13 甘い罠



メッセージのやり取りを毎日しながら、2回目のデートを迎えた。

その日は夕方に六本木の駅前で待ち合わせをして、須藤さんは予約をしてあるという、夜景が綺麗なイタリアンのお店に連れて行ってくれた。


気合を入れて選んだ、スタイルが良く見えるアイボリーのコートを店先で脱いでボーイさんに渡すと、下に着ていたミニ丈のニットワンピースが、あらわになる。


数日前に今日のために買った服だった。

落ち着いたグレーのAラインのニットワンピース。

フェザー素材の白い襟がついて上品なデザインではあるものの、洗練されたこの空間ではカジュアルすぎるんじゃないか不安になった。

すると、ふっと微笑む須藤さんの顔がその不安を和らげてくれた。

少し背伸びをしたくて履いてきたパンプスのヒールをコツコツさせながら、案内された席に着く。

横並びで座るテーブル席の向こうには、大きなガラス越しに都会の夜景が広がっていた。


こういうレストランはアユムに何度か連れて来てもらったことがあって免疫はあるはずなのに、胸がうるさいみたいに、ドクンドクンと鳴っていた。

吊り橋効果というものなのか、それが須藤さんの恋愛テクニックなのか、須藤さんの微笑みは、薬にも毒にもなった。


「幸せだなぁ。ヒナちゃんとこうしていられるの。時間が止まってくれたらいいのにな」


その言葉は、まるで甘い香りのする蜜のようだった。吸ってしまったら、もうその蜜なしでは生きていけそうにない。

私は甘い香りをふわりとかわすみたいに言った。


「ずるいですね、そういうの」


ちょっとつれない顔をしたけど、須藤さんは素知らぬ顔でにっこり笑った。


「ん?本当のことだよ」


甘い声が、二人の間に落ちた。


「本当に、お付き合いされている方、いらっしゃらないんですか?」


メッセージでそう言っていた。


「いたらこんなことしてないよ。僕は彼女を大切にするタイプだからね」


細部まで作り込まれた、食品サンプルみたいに綺麗な言葉だなと思った。

綺麗すぎて、少し疑ってしまう。

でも、ワイングラスを傾ける須藤さんの横顔は、アユムを忘れるくらいかっこよく見えたから、そんなことどうでもよくなった。


「この後はけやき坂と毛利庭園を歩こうか。今の時期はイルミネーションが綺麗だから」


私はにっこり笑って頷いたけど、食事をしていると、肘と肘が触れ合って、ちょっとビクッとしてしまった。


須藤さんを見ると、なんとも思っていなさそうに私に微笑んでから、ワインをゆっくり飲んでいた。その姿はやけに色っぽくて、映画のワンシーンみたいだった。





「わぁ、綺麗!」


ゴールドの光を放って煌びやかに息をするイルミネーションを見て、私は思わずそんな声が出た。


都会の中のオアシスと言われている毛利庭園の冬の夜の顔は、池の周りに飾られた小さな電球がライトアップされたロマンティックな空間になっていた。


「けやき坂のイルミネーションも綺麗でしたけど、ここも素敵ですね」


来る途中で見た青白いイルミネーションも、ダイヤモンドみたいで息を飲むほど綺麗だった。

光る東京タワーも見えて、幻想的だった。


「あ、ここからも東京タワーが見える」


無邪気に楽しむ私の手を、須藤さんが優しく握った。驚く顔で見つめる私の顔がおかしかったのか、須藤さんは小さく笑った。


「行こうか」


それだけ言って歩き出す。須藤さんの手は冷たくて、アユムの温かい手を思い出してしまった。


少し歩いてから、池の前の通り沿いのベンチへ腰を下ろした。

レストランの時よりも近い距離で、私の胸は本格的に壊れそうだった。このうるさい鼓動が聞こえてしまうんじゃないかと心配になった。

人の気配が途切れた時、ふいに、須藤さんの手が私の肩をそっと包み込み、静かに引き寄せた。思ってもみない展開に、緊張と高鳴る胸のせいで上手く息ができない。


ゆっくりと須藤さんの顔が、私の顔に近づいてくる。私はギュッと目を瞑って、唇が触れ合うか触れ合わないかの瀬戸際で、顔を下に逸らした。


「……ごめんなさい…そういうことはまだ……」


震えた声で言うと、須藤さんは肩から手を離し、大きなため息をついた。


「なんだよ。つまんねー女」


「え?」


おそるおそる、須藤さんに目を向けると、須藤さんは吐き捨てるように言った。


「ナンパしたらほいほいデート来て、高い飯も奢らせといて、キスはなしかよ。だりー」


顔つきも声音も、まるで別人が憑依したかのようだった。


「須藤さん……?」


豹変した姿に、頭も心もついていかない。

さっきまでの柔らかい雰囲気の大人っぽい彼はどこにいったのだろう。

絶望した目で須藤さんを見ていると、須藤さんは冷めた目で私を見た。


「そんな目で見るなよ。ちょっと可愛くて軽そうだったから、ヤレるかなと思って声掛けただけだよ」


あまりのショックに、言葉が出てこない。

そんなふうに見られていたなんて。


そんなことにも気づかずにときめいて、アユムのことを忘れようとしていた自分が、急に情けなくなった。

みすぼらしくて、惨めで、伏せた目の視界が潤み始めた。膝の上で握りしめた両手に力が入る。


“男なんて優しくして、することしたらポイッて簡単に女を捨てられるんだから。鼻をかんだティッシュみたいに”。

そう言っていた桜の言葉を思い出し、急にゾッとした。


「あーまじ損した。時間の無駄だったー」


一段と低い声が、私の胸を容赦なく刺す。


「そんな……ひどい……」


私はもう泣いていた。涙をぽろぽろこぼしながら、静かにしゃくりあげた。


やっぱり、偽物のブランドバッグみたいなものだった。本物のブランドバッグはこんなふうに人を傷つけたりしない。


「は?元彼といる気分で楽しかったろ。じゃあな」


須藤さんは、もう用無しだと言うように私を置いて行ってしまった。

光の中、小さくなっていく背中は氷のような冷気を帯びていて、私はすがることも追いかけることもしなかった。


バッグからスマホを出すと、震える手で迷わず電話をかけた。

長いコール音。プツッと音がして繋がったと同時に、声を出した。


「アユム、助けて……!」


涙声でそう言うと、アユムは怪訝そうな声で言った。


「は?……どうした」


「今…六本木の毛利庭園にいて…男の人に騙されて……ひどいこといっぱい言われて……。もうやだ……」


子どものように泣きじゃくる。うまく言葉にならない。


「お願い今すぐ来て……アユムに会いたい……」


電話の向こうからアユムのため息が聞こえた。


「もう甘えるなって、言っただろ」


「やだ……来てくれなきゃやだ……ずっと待ってる……」


そう言うと、私は、一方的に通話を切った。


ずるい。

結婚は拒んで、傷ついたらアユムに戻るなんて。


でももう、ずるくてもいい。

どう思われたっていい。


お皿から落ちたケーキみたいに、心がぐちゃっと崩れたのだから。涙が止まらない。

静かに光るイルミネーションの輝きが、涙でにじんで揺れていた。



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