第8話 お天気さま
種まきの日は、晴れだった。
台地の村の畑に、朝から人が出ていた。
大人も、子どもも、お年寄りも。
みんなで横一列に並んで、麦の種をまいていく。
私も、ロイくんに教わって、少しだけまいた。
「聖女さま、へたくそ」
「ご、ごめんなさい」
「そこ、固まりすぎ。ばらばらにまかないと、芽がけんかする」
「芽が、けんか」
「するんだって。ばあちゃんが言ってた」
ロイくんに怒られながら、一列ぶんをまき終えた。
腰が痛い。
畑仕事が、こんなに大変だなんて知らなかった。
顔を上げると、少し離れた畑で、ユリウス様が種をまいていた。
外套を脱いで、シャツの袖をまくっている。
腕の動きに迷いがない。
まいた種が、きれいに散らばっていく。
「辺境伯さま、うまいでしょ」
ロイくんが、得意げに言った。
「毎年、手伝いに来てくれるんだ。種がなくなってからは、まく物もなかったけど」
「毎年……」
私は、腰をさすりながらユリウス様の背中を見た。
辺境伯が、自分で畑に出て、種をまく。
王都では、考えられないことだった。
ユリウス様が、こちらに気づいた。
私と目が合う。
怖い顔のまま、軽く手を上げた。
私も、手を振り返した。
ロイくんが、私とユリウス様を交互に見て、首をかしげた。
「聖女さまと辺境伯さまって、なかよし?」
「えっ」
「いっつも一緒にいるじゃん」
「そ、それは、空の報告があるので」
「ふうん」
ロイくんは、よくわからないという顔をした。
次の日も、晴れだった。
そして、三日目。
朝の空の報告で、私はユリウス様に言った。
「今夜です」
「わかった」
ユリウス様は、いつものように紙に書いた。
『今夜・雨』
その二文字を、じっと見つめてから、胸のポケットにしまった。
昼になっても、空は晴れていた。
雲一つない。
北の山の上にも、雲は見えない。
館の前を通る村の人たちが、ちらちらと空を見上げていく。
その顔が、だんだん不安そうになっていく。
私は、塔に上った。
北の山の、さらに向こう。
目をこらすと、地平線のあたりに、灰色の線が見えた。
来ている。
予想より、少しだけ遅い。
「間に合わせます」
私はひざをついて、手を組んだ。
雲を、ほんの少しだけ、急がせる。
重い北の雲。
でも、最初の夜よりは、手応えが軽かった。
この土地の空に、私が慣れてきたのかもしれない。
夕方。
北の山に、雲がかかった。
日が沈むころ、その雲が、ゆっくりと西に回り始めた。
夜。
ぽつ。
塔の窓に、しずくが一つ当たった。
ぽつ、ぽつ。
さあ。
しとしとと、やさしい雨が降り始めた。
「……降った」
私は、窓に額をくっつけた。
ガラスが冷たい。
でも、ちっとも気にならなかった。
「降ったな」
すぐ後ろから、声がした。
ユリウス様が、塔の部屋の入り口に立っていた。
今夜も、ずっといたのだ。
「降りました」
私は振り向いて、笑った。
ユリウス様は、私の顔を見て、それから窓の外の雨を見た。
「あなたは、すごいな」
小さな声だった。
私は、言葉が出なかった。
すごい、なんて。
王都で、一度も言われたことがなかった。
「す、すごくないです。雲が来るのを、少し急がせただけで」
「それを、すごいと言うんだ」
ユリウス様は、窓辺に来て、私の隣に立った。
二人で、雨を見た。
肩が、もう少しで触れそうな距離だった。
十日後。
台地の畑に、緑の芽が並んだ。
一面の、やわらかい緑だった。
三年ぶりに、芽が枯れなかった。
その日、村の集会所に、私とユリウス様が呼ばれた。
入り口をくぐると、ゲルトさんが立っていた。
白いひげのおじいさんは、私の前まで来ると、帽子を取った。
そして、深く、深く頭を下げた。
「聖女さま。すまなかった」
「ゲ、ゲルトさん」
「天気がわかるもんか、なんて言った。たまたまだ、なんて言った。わしが間違ってた」
ゲルトさんの肩が、震えていた。
「三年、畑が死んでいくのを見てた。もう、何も信じられなくなってた。だから、あんたのことも信じられなかった」
「……」
「芽が出た。あんたが言ったとおりに、雨が降って、芽が出た」
ゲルトさんは、顔を上げた。
しわだらけの目が、赤かった。
「ありがとう。村を、助けてくれて」
私は、首を横に振った。
「種をまいたのは、村の皆さんです。私は、空の具合を伝えただけです」
「その空の具合が、わしらには、ずっとわからなかったんだ」
ゲルトさんは、大きな手で、私の手を握った。
土の匂いがした。
そのとき。
「お天気さまだ!」
ロイくんが、集会所の真ん中で叫んだ。
「聖女さまは、お天気さまだ! 空のことは、なんでもわかるんだ!」
「お天気さま」
「お天気さま、だってよ」
「いい名前じゃねえか」
村の人たちが、笑いながら口々に言った。
お天気さま。
天気係、と呼ばれていた私に、新しい名前がついた。
同じ天気の名前なのに。
こんなに、うれしいなんて。
帰りの馬車で、ユリウス様がぽつりと言った。
「お天気さま、か」
「からかわないでください」
「からかっていない」
ユリウス様は、窓の外を見たまま言った。
「いい名前だと思った。ただ」
「ただ?」
「……いや。なんでもない」
ユリウス様は、それきり黙ってしまった。
何を言いかけたのだろう。
窓に映ったユリウス様の顔が、ほんの少しだけ、すねているように見えたのは、きっと気のせいだ。
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