第5話 毎朝六時の空の報告
「本日の空を、お伝えします」
朝の六時。
館の二階の廊下の窓辺で、私は背すじを伸ばした。
目の前には、ユリウス様。
紙とペンを持って、怖い顔で立っている。
「頼む」
「今日は、午前中は晴れです。お昼過ぎから、北の山に雲がかかります。でも、雨にはなりません。風は北西から、少し強めです。洗濯物は、お昼までに取りこんだほうがいいです」
ユリウス様のペンが、さらさらと動く。
『午前・晴れ。昼から雲。雨なし。北西の風・強め。洗濯は昼まで』
「以上です」
「わかった」
ユリウス様は、紙を丁寧にたたんで、胸のポケットにしまった。
それから、少し黙った。
「……明日は」
「明日も、晴れです」
「そうか」
ユリウス様は、満足そうにうなずいて、去っていった。
これが、毎朝くり返されている。
晴れた日から、今日で五日目だ。
最初の日、私は六時に廊下に出た。
すると、ユリウス様がもう窓辺に立っていた。
二日目、私は五時五十分に出た。
ユリウス様が、もう立っていた。
三日目、五時四十分。
やっぱり、立っていた。
「あの、ユリウス様は、何時からここに?」
聞いてみたら、ユリウス様は窓の外を見ながら答えた。
「たまたまだ」
たまたま、三日続けて、私より先にいるらしい。
「たまたま、ではございませんよ」
その日の昼。
洗濯物を取りこみながら、アンネさんが言った。
「旦那様は、五時半から廊下でお待ちです」
「五時半!?」
「ティア様が初めて空の報告をなさった次の日から、毎朝です」
アンネさんは、シーツをばさりと振った。
「四時半に起きて、身支度を整えて、髪を三回なでつけて、五時半に廊下へ。それから、ティア様のお部屋の扉が開くまで、ずっと窓の外をご覧になっています」
「髪を、三回」
「三回です。私、数えましたので」
アンネさんは、なぜか誇らしげだった。
私は、洗濯ばさみを持ったまま固まった。
五時半から。
私の報告を聞くために。
それだけ、天気が大事なのだ。
この三年、ユリウス様はずっと空がわからなくて困っていた。
だから、少しでも早く知りたいのだ。
「ユリウス様は、本当に領地のことを考えていらっしゃるんですね」
私が言うと、アンネさんは手を止めた。
それから、ものすごく深いため息をついた。
「……ティア様」
「はい」
「いえ。なんでもございません」
アンネさんは、何か言いたそうな顔で、シーツをたたんだ。
たたみ方が、少し乱暴だった。
次の日の朝。
私は、五時半に廊下へ出てみた。
いた。
窓辺に、ユリウス様が立っていた。
髪が、きっちりなでつけてある。
ユリウス様は、私を見て、少しだけ目を見開いた。
「……早いな」
「ユリウス様こそ」
「たまたまだ」
まだ、たまたまらしい。
「あの、明日から、報告の時間を五時半にしましょうか」
「なぜだ」
「ユリウス様が、お待ちになっているので」
「待っていない」
「でも、アンネさんが」
ユリウス様の眉間のしわが、一本増えた。
「アンネは、話を盛る」
「三回なでつけるって」
「二回だ」
言ってから、ユリウス様は、はっとした顔をした。
それから、ゆっくりと顔をそむけた。
耳が、真っ赤だった。
「……六時でいい。あなたは、寝ていてくれ」
「はい」
私は、笑いをこらえながら答えた。
二回は、なでつけているのだ。
それから、空の報告をした。
今日も、晴れ。
午後から少し風が出る。
いつものようにペンを走らせたあと、ユリウス様は、胸のポケットではなく、脇に抱えていた包みを差し出した。
「これを」
「なんでしょう」
「開けてくれ」
包みを開ける。
中から出てきたのは、ノートだった。
濃い青の、革の表紙。
角が金具で補強されていて、紙はしっかり厚い。
表紙の右下に、小さな雲の形が型押しされていた。
「あなたの天気の記録は、紙が薄くなっていた」
ユリウス様は、ぶっきらぼうに言った。
「この土地の記録を、これにつけてくれ。北の湿気でも、紙が波打たない」
私は、表紙の雲をそっと指でなぞった。
王都で使っていたノートは、大聖堂の倉庫の余りだった。
自分で糸をかがって、表紙を貼り直して使っていた。
こんなにきれいなノートを、記録のために。
「……いいんですか」
「あなたの記録だ。いいものに書いてほしい」
「ありがとうございます。大事にします」
ノートを胸に抱きしめる。
ユリウス様は、また顔をそむけた。
「町の文房具屋が、それしか置いていなかった。たまたまだ」
今日は、たまたまが多い日だった。
その夜、私は部屋で新しいノートを開いた。
一ページ目に、ペンを置く。
『グレイフォード領 天気の記録 一冊目』
書いてから、少し考えた。
それから、その下に小さく書き足した。
『朝の空の報告・毎朝六時(ユリウス様は五時半から)』
書いて、一人で笑ってしまった。
それから、ふと思った。
ユリウス様は、四時半に起きているのだ。
私の報告を、毎朝聞くためだけに。
天気が大事だから。
領地が大事だから。
……本当に、それだけなのだろうか。
そこまで考えて、私は首を振った。
天気係の私に、それ以外の理由なんてあるはずがない。
ノートの雲の型押しを、指でなぞる。
寝る前に、もう一度だけ、なぞった。
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