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婚約破棄された聖女ですが、私の祈りは「天気」に効くだけです。……え、辺境では大事なんですか?  作者: 雫 くずし


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第34話 白い朝

それからの九日間は、あっという間だった。


谷の村の人たちが、荷車を引いて、丘の上へ上ってきた。


鍋と、毛布と、子どもと、鶏。


館の大納屋は、人でいっぱいになった。

教会にも、騎士団の宿舎にも。


牛は、大きな牛小屋に、まとめて入れた。


アンネさんは、毎日、台所で大鍋をかき回していた。


「七日分のスープですよ、七日分!」


そう言いながら、なぜか楽しそうだった。


私は、毎晩、塔で雲を集める練習をした。


一晩目は、村一つ分。

三晩目は、村二つ分。


五晩目には、館の丘と、そのまわりの畑まで覆えるようになった。


それ以上は、広げられなかった。


雲の端を広げようとすると、真ん中が薄くなる。


「ここまでです」


六晩目の夜、私はユリウス様に言った。


「丘の上と、そのまわり。それが、私のふたの大きさです」


「十分だ」


ユリウス様は、すぐに言った。


「人は、全員、その中にいる」


全員。


ほとんど全員、だった。


ひとつだけ、まだ下りてきていない村があった。


東の谷のいちばん奥。

峠の上のハーゼ村。


五十年前に消えて、生き残った人たちが建て直した村だった。


「ハーゼの村長から、手紙が来た」


ユリウス様が、紙を見せてくれた。


『寝たきりのばあさまが一人おる。動かせるようになるまで、待ってくれ。寒波の一日目の朝には、必ず下りる』


「一日目の朝」


「迎えの騎士を、五人出す。荷車も、そりも」


ユリウス様は、窓の外の峠を見ていた。


祖父様の帳面の、三日目の行を、思い出しているのかもしれなかった。


そして、十日目の朝。


私は、いつもの廊下に出た。


窓の外は、真っ青だった。


雲ひとつない。


風もない。


冬の朝とは思えないくらい、きれいな空だった。


「おはようございます」


「おはよう」


ユリウス様の声は、固かった。


「本日の空を、お伝えします」


私は、窓ガラスに手を当てた。


冷たかった。


ガラスの内側に、白い花のような霜が、びっしりと張りついていた。


「今日は、晴れです。雲は、ありません。風も、ありません」


「ああ」


「だから、いちばん危ない日です」


私は言った。


「昼のうちに、地面の温かさが全部、空へ抜けていきます。日が沈んだら、一気に冷えます。今夜から、七日間です」


ユリウス様は、紙に書いていた。


ペンを持つ手が、少し白くなっていた。


「以上です」


「ああ」


「それから」


私は、窓から目を離して、ユリウス様を見た。


報告のあとの、もう一つ。


この九日間、毎朝、何か言おうとして、うまく言えなかった。


でも、今日は、言うことが決まっていた。


「七日後の朝も、ここで、報告します」


ユリウス様は、ペンを止めた。


「必ず、します。だから、ユリウス様も、ここにいてください」


ユリウス様は、少しの間、何も言わなかった。


それから、紙に一行書いて、私に見せた。


『七日後の朝。ここで』


「約束だ」


ユリウス様の耳は、真っ赤だった。


今日は、本当に寒かったから、そのせいかもしれない。


でも、たぶん、それだけではなかった。


ハーゼ村からは、昼前に、騎士が一人だけ戻ってきた。


「ばあさまの熱が下がらず、明日の朝まで待ってほしいと。残りの四人は、村に残って手伝っております」


「明日の朝」


ユリウス様は、峠のほうを見た。


青空の下で、峠の上の小さな家々から、煙が細く上っていた。


まだ、煙は上がっている。


大丈夫。


私は、そう自分に言い聞かせた。


夕方。


日が、北の山の向こうに沈んだ。


その瞬間、空気が変わった。


塔の窓を開けると、息が真っ白になった。


肌が、ちりちりと痛かった。


北の山の向こうから、白い風が来ていた。


目には見えない。

音もしない。


ただ、冷たさだけが、山を越えて、谷へ流れこんでくる。


「始めます」


私は、手袋をはめた手を組んだ。


南の谷間に、この十日でためておいた霧がある。


それを、丘の上へ。


集めて、ふくらませて、広げる。


館の丘と、そのまわりの畑と、大納屋と、教会と、騎士団の宿舎。


全部の上に、灰色のふたを、そっとかぶせる。


夜中まで、祈り続けた。


隣には、ユリウス様がいた。


何も言わずに、ずっといた。


明け方、塔の窓から見下ろすと、丘のまわりだけ、地面が黒かった。


その外側は、一面、真っ白だった。


木の枝まで、凍って、光っていた。


「できた」


私は、つぶやいた。


ふたは、ちゃんとかかっていた。


一日目の夜を、越えた。


ハーゼ村の人たちは、朝のうちに下りてくるはずだった。


私は、峠のほうを見た。


それから、もう一度、見た。


峠の上の、小さな家々。


昨日の夕方には、細い煙が、何本も上っていた。


今朝は。


一本も、上っていなかった。


ユリウス様が、私の後ろで、息を止めたのがわかった。


祖父様の帳面の、三日目の行。


『東の谷のハーゼ村より、煙上がらず』


まだ、二日目の朝だった。

お読みいただき、ありがとうございます。

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