第33話 雲の毛布
次の日の朝、館の広間には、二十人近い人が集まっていた。
騎士団長のオスカーさん。
各村の村長さんたち。
それから、西の台地からゲルトさん。
ユリウス様は、広間の真ん中に立って、祖父様の帳面を読み上げた。
百十二人、のところで、誰かが息をのんだ。
「十日後に、同じ寒波が来る」
ユリウス様は言った。
「谷の村の者は、全員、館の大納屋と、教会と、騎士団の宿舎に移ってもらう。七日分の薪と食べ物は、領地の蔵から出す」
広間が、ざわついた。
「全員、ですか」
東の谷の、モルン村の村長さんが手を挙げた。
白いひげの、背の高いおじいさんだった。
「家畜はどうなります。牛小屋を空けたら、牛が死にます」
「人が先だ」
「家を離れたら、誰が火の番をするんです。屋根に雪が積もったら、家がつぶれる」
「家は建て直せる」
「旦那様」
モルン村の村長さんは、首を横に振った。
「わしらは、生まれた家で冬を越すのが当たり前で育ちました。天気の聖女様の予報が当たるのは知っとります。でも、まだ空は、こんなに青い」
村長さんは、窓の外を指さした。
雲ひとつない、冬の青空だった。
「この空の下で、家を捨てろと言われても、村の者は動きません」
ほかの村長さんたちも、何人か、黙ってうなずいていた。
ユリウス様が、口を開きかけた。
私は、その前に一歩、前に出た。
「見せます」
広間の目が、全部、私に集まった。
足が、少し震えた。
「今夜、モルン村の上に、雲を置きます。明日の朝、村の中と外で、霜の降り方を比べてください」
「雲を、置く?」
「ふたをするんです。雲があると、夜の冷えこみが、ずっと弱くなります。それが、本当にできるかどうか、皆さんの目で確かめてください」
それから、私は付け足した。
「もしできなかったら、そのときは、私の力では足りないということです。だったら、なおさら、逃げてください」
モルン村の村長さんは、長い間、私を見ていた。
それから、ゆっくりうなずいた。
「明日の朝、見に行きます」
その夜、私は塔に上った。
北の山の空気は、乾いていた。
雲の種になるような湿り気が、ほとんどない。
私は、南の谷間に残っている、薄い霧を探した。
それを、少しずつ、少しずつ、東の谷へ寄せていく。
モルン村の上に集めて、ふくらませる。
広げる。
薄い布を、そっとかけるように。
祈りながら、何度も確かめた。
端が、めくれていないか。
風に、流されていないか。
夜中を過ぎたころ、肩に重いものがかかった。
黒い外套だった。
「ユリウス様」
「交代はできないが、隣にはいられる」
ユリウス様は、私の横に座った。
窓の外の、東の谷を見ていた。
暗くて、雲が見えるはずはないのに。
じっと、見ていた。
明け方。
私は、ユリウス様の馬の後ろに乗って、モルン村へ下りた。
村の入り口に、村長さんたちが集まっていた。
みんな、黙って地面を見ていた。
村の外の畑は、真っ白だった。
草の一本一本に、霜が針のように立っていた。
村の中に入ると。
地面は、黒かった。
霜が、ほとんどなかった。
屋根の上にも、井戸のふちにも。
見上げると、モルン村の上にだけ、灰色の雲が、ぽっかりと浮かんでいた。
「……本当に、ふたを、しとる」
モルン村の村長さんが、つぶやいた。
それから、私の前に来て、深く頭を下げた。
「疑って、すみませんでした」
「いえ、あの、顔を上げてください」
「でも、聖女様」
村長さんは、顔を上げて、まっすぐ私を見た。
「わかりました。だからこそ、わしらは逃げます」
「え?」
「一つの村に、一晩で、聖女様がこれだけ汗をかいておられる。谷の村は、七つあります。七日七晩です。全部の村に、全部の夜、ふたをかけるのは、無理でしょう」
私は、何も言えなかった。
そのとおりだった。
「だから、集まります。集まったところに、ふたをかけてくだされば、それでいい」
村長さんは、ほかの村長さんたちを振り返った。
みんな、うなずいていた。
「明日から、引っ越しの支度を始めます」
帰り道、馬の上で、私はずっと黙っていた。
ユリウス様も、黙っていた。
館の門が見えたころ、ユリウス様が言った。
「村長たちを動かしたのは、あなただ」
「でも、私、言い負かされました」
「負けてはいない。あなたの力が本物だとわかったから、あの人たちは、あなたの力の届く場所に集まると決めた」
ユリウス様は、前を向いたまま言った。
「私が十回命令するより、効いた」
館に着いて、馬を下りたとき。
ユリウス様が、懐から何かを出した。
小さな包みだった。
「これを」
開けると、手袋が入っていた。
灰色の、厚い毛糸の手袋。
指先だけ、出るようになっている。
「祈るとき、手を組むだろう。普通の手袋だと、組みにくいと思って」
「……いつ、これを」
「十日前に頼んだ」
十日前。
まだ、山に帽子がかぶる前だった。
「昨日の夜、塔で、あなたの指が真っ白になっていた。間に合わせるべきだった」
ユリウス様は、そう言って、私から目をそらした。
耳当てをしているのに、耳の先が赤かった。
「寒いですもんね、今朝」
私が言うと、ユリウス様は、なぜか少しだけ肩を落とした。
部屋に戻って、手袋をはめてみた。
ぴったりだった。
指の長さまで、ぴったりだった。
いつ、私の手の大きさなんて測ったのだろう。
ノートを開いて、書いた。
『寒波まで、あと九日。モルン村の上に雲のふた。霜、ほとんどなし』
その下に。
『手袋をもらった。ぴったり』
ペンを置いてから、もう一度、手袋の指先を見た。
指が、ちゃんと動いた。
これなら、七晩でも、祈れる。
お読みいただき、ありがとうございます。
続きが気になったら、ブックマークと、下の☆☆☆☆☆から評価をいただけると、とても励みになります。
毎日更新しています。




