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婚約破棄された聖女ですが、私の祈りは「天気」に効くだけです。……え、辺境では大事なんですか?  作者: 雫 くずし


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第3話 雨の日の塔

「あんたが、王都から来た聖女さま?」


朝ごはんの後、廊下で呼び止められた。


振り向くと、男の子が立っていた。

十歳くらいだろうか。

泥だらけの長靴をはいて、頭から雨のしずくを垂らしている。


「はい。ティアです」


「おれ、ロイ。西の台地の村から来た」


ロイくんは、私の顔をじろじろ見た。


「なんだ。もっと光ってるのかと思った」


「光らないんです、私」


「聖女なのに?」


「天気の聖女なので」


ロイくんは、口をへの字に曲げた。


「天気なんか、どうにかなんの?」


正直な子だった。

王都の大人たちと同じことを言っているのに、なぜか全然いやな感じがしない。


「ロイ。失礼だぞ」


後ろから低い声がした。

ユリウス様だった。

今日も、顔が怖い。


「ロイは、毎週、村の麦の様子を知らせに来てくれる」


「今週も、だめだった」


ロイくんは、ポケットから何かを出した。

小さな麦の芽だった。

茶色くしおれて、根がからからに乾いている。


「雨が降らないから、みんな枯れる。こっちはこんなに降ってるのに」


ロイくんは、窓の外の雨をにらんだ。


館のある丘には、昨日の夜から雨が降り続いている。

けれど西の台地には、一滴も降っていないのだ。


私は、しおれた芽を手のひらに受け取った。

軽かった。


「ロイくん」


「なに」


「明後日、村の空を見ていてください」


「なんで」


「たぶん、雨が降ります」


ロイくんは、疑うような目で私を見た。

それから、ユリウス様を見上げた。


ユリウス様は、黙ってうなずいた。


「……わかった。見とく」


ロイくんは、雨の中を走って帰っていった。


館には、物見の塔がある。


石の螺旋階段を、百段くらい上る。

いちばん上は、四方に窓のある小さな部屋だった。


私は窓に顔を近づけた。


雨は、まだ降っている。

でも、雲を見るにはちょうどいい。


北の山には、灰色の雲がべったりと張りついていた。

その雲が、ゆっくりと東の谷のほうへ流れていく。

谷の上で雲が重くなって、そこで雨を落としている。


思ったとおりだった。


私はノートを開いて、雲の形と動きを書き写した。

時間。風の向き。雲の高さ。

王都の空とは、全然違う。


北の雲は、重い。

王都の雲が綿だとしたら、ここの雲は濡れた毛布だ。


「押せるかな……」


少しだけ、不安になった。


王都では、雲を動かすのは簡単だった。

指先で綿をつまむくらいの力で済んだ。

でも、この雲は。


「ティア殿」


声がして、私は飛び上がった。


ユリウス様が、階段の出口に立っていた。

両手に、湯気の立つカップを持っている。


「アンネが、持っていけと」


「あ、ありがとうございます」


カップを受け取る。

温かいミルクに、はちみつが入っていた。


ユリウス様は、私の隣に立って、窓の外を見た。


「どうだ」


「重いです。王都の雲より、ずっと」


「動かせないか」


「動かせます」


私は、すぐに答えた。


「ただ、一度にはできません。少しずつです。今夜から祈り始めて、明後日の朝に、やっと晴れるくらいです」


「十分だ」


ユリウス様は、それだけ言った。


それから、しばらく二人とも黙って雨を見ていた。


不思議と、気まずくなかった。


夜になった。


雨は、まだ降っている。


私は塔の部屋で、窓に向かってひざをついた。


両手を組む。

目を閉じる。


頭の中に、北の山と、東の谷と、西の台地を思い浮かべる。

雲の端に、そっと手を伸ばすように祈る。


――少しだけ、西へ。


重い。


指先で、濡れた毛布を押しているみたいだった。

ちっとも動かない。


――少しだけ。お願い。少しだけでいいから。


石の床から、冷たさがひざに上ってくる。

吐く息が白い。

祈りに集中しようとするほど、指先がかじかんでいく。


そのとき、肩に何かがふわりとかかった。


重くて、温かい。


目を開けると、黒い外套だった。


振り向くと、ユリウス様が立っていた。

シャツ一枚で。


「ユ、ユリウス様、外套が」


「寒いだろう」


「ユリウス様のほうが寒いです!」


「私は、この土地に慣れている」


ユリウス様は、私の後ろの壁にもたれて、腕を組んだ。

そのまま、動かない。


「……あの、もしかして、ずっとそこに?」


「言っただろう。あなたが祈る時間には、私も起きていると」


本当に、起きているつもりだったのだ。


私は、外套のえりをぎゅっと握った。

ユリウス様の匂いがした。

煙と、雨と、少しだけ石けんの匂い。


顔が、急に熱くなった。


「祈りの邪魔なら、出ていく」


「じゃ、邪魔じゃないです」


声が裏返った。


ユリウス様は、何も言わなかった。

ただ、少しだけ目をそらした。


私は、慌てて窓に向き直った。

手を組み直す。


不思議だった。

さっきまでかじかんでいた指先が、温かい。


――少しだけ、西へ。


もう一度祈る。


ずず、と。

手応えがあった。


ほんのわずか。

本当に、髪の毛一本分くらい。

でも、雲の端が、西へ動いた。


「動いた」


思わず声に出した。


「本当か」


「はい。ほんの少しですけど」


私は振り向いて、笑った。


「明後日、晴れます」


ユリウス様は、私の顔を見て、一瞬だけ固まった。

それから、ゆっくりとうなずいた。


「そうか」


声が、いつもより少しだけ柔らかかった。


その夜、私は明け方まで祈った。


ユリウス様は、ずっと壁にもたれて起きていた。

シャツ一枚で、一度も「寒い」と言わなかった。


部屋に戻って、布団に入ってから、私は気がついた。


外套を、返し忘れていた。


椅子の背にかかった黒い外套を見る。

肩にかけてもらったときの重さと温かさが、まだ残っている気がした。


「……返さなきゃ」


そう言いながら、私はしばらく、その外套から目が離せなかった。


窓の外では、雨の音が、少しだけ弱くなっていた。

お読みいただき、ありがとうございます。


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