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婚約破棄された聖女ですが、私の祈りは「天気」に効くだけです。……え、辺境では大事なんですか?  作者: 雫 くずし


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第2話 物置じゃない部屋

「こちらが、ティア様のお部屋でございます」


侍女頭のアンネさんが、扉を開けた。


私は、入り口で立ち止まった。


広い。

大聖堂で使っていた部屋の、三倍はある。

大きな窓が二つあって、白いカーテンがかかっている。

ベッドには、ふかふかの羽毛布団。

暖炉には、もう火が入っていた。


「あの」


「はい」


「物置は、どこでしょうか」


アンネさんは、きょとんとした顔をした。


「物置に、何かご用でも?」


「いえ、私の部屋は物置かなと思っていたので」


「まあ」


アンネさんは、両手で口を押さえた。

それから、ものすごく怖い顔になった。

ユリウス様とは種類の違う怖さだった。


「王都では、どんなお部屋にいらしたんです?」


「普通の部屋です。窓は一つでしたけど」


「窓は」


「北向きでした」


「北向き」


アンネさんは、低い声でくり返した。


「ティア様。ここは南向きです。冬でも日が入ります。旦那様が、そうしろとおっしゃいました」


「ユリウス様が?」


「三年前からです」


アンネさんは、窓のカーテンを開けた。


「三年前、旦那様は王都に手紙を出されました。天気の聖女様を、一人でいいからこちらに来ていただけないかと」


「三年前……」


「お返事は、ありませんでした。毎年出して、毎年お返事がなくて。それでも旦那様は、毎年この部屋を掃除させておいででした」


私は、何も言えなかった。


三年前。

私は王都で、建国祭の日を晴れにしていた。

そんな手紙が来ていたなんて、誰も教えてくれなかった。


「さあ、お夕食です。旦那様がお待ちですよ」


アンネさんは、私の肩をぽんと叩いた。


食堂は、思っていたより小さかった。


長いテーブルではなく、六人がけくらいの丸いテーブル。

そこに、ユリウス様が一人で座っていた。


怖い顔で。


「座ってくれ」


「は、はい」


向かいの席に座る。

目の前に、湯気の立つスープが置かれた。

芋と、玉ねぎと、少しのベーコン。


「質素ですまない」


ユリウス様が言った。


「この三年、領地の麦がほとんど取れていない。館でも、食べる物を減らしている」


「いえ、すごくおいしそうです」


本当だった。

王都の大聖堂の食事は、量だけは多かったけれど、いつも冷めていた。

このスープは、温かい。


一口飲む。

体の真ん中が、ほうっと温まった。


「おいしいです」


ユリウス様は、何も言わずにうなずいた。

怖い顔のままだった。

でも、少しだけ肩の力が抜けたように見えた。


食事が終わると、ユリウス様は大きな地図をテーブルに広げた。


「領地の地図だ」


真ん中に、この館のある丘。

東には、川の流れる深い谷。

西には、平らな台地。

北には、大きな山がそびえている。


「東の谷は、雨が降りすぎる」


ユリウス様は、太い指で谷をなぞった。


「この三年、春から秋まで、ほとんど毎日雨だ。川があふれて、畑が水に浸かる。麦が根から腐る」


「はい」


「西の台地は、逆だ。雨が降らない。地面がひび割れて、芽が出ても枯れる」


「馬車から見ました」


私は地図をのぞきこんだ。


北の山。

東の谷。

西の台地。


頭の中で、雲が動き出した。


「たぶん、この山です」


「山?」


「北から来た雲が、この山にぶつかるんです。それで、山の東側にばかり流れていく。だから東の谷に雨が集まって、西の台地には届かない」


ユリウス様の眉が、ぴくりと動いた。


「三年前から急にひどくなったのは、たぶん風です。王都の記録では、三年前から北風の向きが少し東にずれています。そのせいで、雲がますます東へ寄るようになって」


「ずれている、とは」


「冬の風の記録を十年分並べると、三年前から角度が違うんです。それで雲の通り道が変わって、東の谷の上で雲が止まって、雨が全部そこで落ちちゃうんです。だから雲を少しだけ西へ押してあげれば、谷の雨が減って、台地に雨が届くはずで、押すのは朝の風が弱い時間がいちばんよくて、それから――」


そこまで言って、私ははっと口を閉じた。


まただ。

また、早口になっていた。


王都では、ここで必ず誰かがため息をついた。

「その話は、もういい」と言われた。


私は、おそるおそるユリウス様の顔を見た。


ユリウス様は、怖い顔のまま、私をじっと見ていた。


「……すみません。天気の話になると、つい」


「なぜ止める」


「え?」


「続けてくれ」


ユリウス様は、地図の上に紙とペンを置いた。


「朝の風が弱い時間が、いちばんいい。その先を聞きたい」


私は、ぽかんと口を開けた。


そんなことを言われたのは、生まれて初めてだった。


「えっと、その、朝の風が弱い時間に、雲の端を少しずつ押すんです。一度に全部は動かせないので、毎朝少しずつ」


ユリウス様は、私の言葉を紙に書き取っていく。

字が大きくて、角ばっていた。


「毎朝、か」


「毎朝です。一日でも休むと、雲がまた東に戻っちゃうので」


「わかった」


ユリウス様はペンを置いた。


「では、あなたが祈る時間には、私も起きていよう」


「えっ、ユリウス様が起きる必要は」


「ある」


短い答えだった。

理由は言わなかった。


ユリウス様は、ふいっと地図に目を落とした。

その耳が、暖炉の火のせいか、少し赤く見えた。


アンネさんが、部屋の隅で口を押さえて肩を震わせていた。

笑っているように見えたのは、気のせいだろうか。


部屋に戻ると、窓の外で音がした。


ぽつ、ぽつ。


雨だ。


予想どおり、雨が降り始めていた。

今夜から明日いっぱいは、止まない雨だ。


私はふかふかの布団に入って、天井を見上げた。


続けてくれ、と言われた。

早口の話を、最後まで聞いてもらえた。


胸のあたりが、くすぐったかった。


「……明後日は、絶対に晴れにします」


雨の音を聞きながら、私は小さくつぶやいた。


明日は、塔に上って雲を見よう。

この土地の空を、ちゃんと知らなければいけない。

お読みいただき、ありがとうございます。


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毎日更新しています。

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