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婚約破棄された聖女ですが、私の祈りは「天気」に効くだけです。……え、辺境では大事なんですか?  作者: 雫 くずし


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第1話 天気係の婚約者は、もういらないそうです

「ティア。君との婚約を、破棄する」


朝のお祈りが終わった直後だった。


大聖堂の広間には、まだ香の煙が残っている。

王太子アルベルト殿下は、その煙を手で払いながら言った。


「……破棄、ですか?」


「そうだ。それから、君には今日で聖女をやめてもらう。正確には、追放だ」


殿下の隣で、金色の髪の女の人がにっこり笑った。

先月この大聖堂に来た、光の聖女セレスティーナ様だ。


殿下の手が、セレスティーナ様の腰に回っていた。


それを見て、全部わかった。


大聖堂の聖女の中から一人、王太子の婚約者を選ぶ。

この国の、昔からの決まりだ。

五年前、選ばれたのが私だった。


選ばれた日から、殿下は一度も、うれしそうな顔をしなかった。


「新しい婚約者は、セレスティーナだ」


「ごめんなさいね、ティアさん。でも、仕方ないの」


セレスティーナ様は、白い指を一本立てた。


「聖女というのは、人を癒やすものでしょう? 私は一日に百人の傷を治せるわ。あなたは何ができるのだったかしら」


「天気を、少しだけ動かせます」


「そう。それよ」


周りに並んだ神官たちが、くすっと笑った。


私の力は、地味だ。

祈ると、その日と次の日の天気が、少しだけ変わる。

雲を寄せて雨を降らせたり、雲をどけて晴れにしたり。

風を弱くしたりもできる。


ただし、嵐を消すほどの力はない。

空を全部入れ替えるような派手なこともできない。


だから王都では、私はこう呼ばれていた。


「天気係」


「建国祭の日を晴れにする。陛下の狩りの日を晴れにする。それだけでしょう?」


セレスティーナ様は、首をかしげた。


「晴れの日なんて、待っていれば来るわ」


「待っていれば、来ますけど」


私は、つい口をはさんでしまった。


「王都の西の貯水池は、毎朝、私が少しずつ雨を足しているので、あの量なんです。それから南の麦畑は、三日に一度の小雨で――」


「ティア」


殿下が、うんざりした顔で私の言葉を切った。


「天気の話になると、君は本当に早口になるな」


広間に、また笑いが起きた。

私は口を閉じた。顔が熱い。


天気の話になると止まらなくなるのは、私の悪い癖だ。

わかっている。

わかっているけれど、悔しかった。


「大聖堂の予算には限りがある」


殿下は、紙を一枚ひらひらと振った。


「聖女の部屋も、聖女の給金もだ。役に立たない者に払い続ける余裕はない。セレスティーナがいれば、それで足りる」


「足りるわよ。だって私、天気なんかより、ずっと大事なことができるもの」


セレスティーナ様が、殿下の腕に手を添えた。

殿下の顔がゆるむ。


ああ、と思った。

これはもう、決まっていることなのだ。

私が何を言っても変わらない。


「行き先は、北の辺境だ」


殿下は紙を神官長に渡した。


「グレイフォード辺境伯の領地に、聖女を一人よこせと言われていた。ちょうどいい。あそこなら、天気くらいしか話すことがないだろう」


また笑い声。


グレイフォード領。

地図で見たことがある。王都から馬車で十日。

国のいちばん北の端で、冬は長く、夏は短い。


それから、ここ三年は――


「三年、ひどい凶作が続いている土地ですよね」


思わず言うと、殿下は眉をひそめた。


「よく知っているな」


「天気の記録を、毎日読んでいるので」


「そういうところだ、ティア」


殿下は大きくため息をついた。


「誰も、そんなものは読まない」


出発は、その日の午後だった。


荷物は、鞄が一つ。

着替えと、祈りの本と、十年分の天気の記録をつけたノートが五冊。

ノートが重くて、鞄の持ち手がきしんだ。


見送りは、誰もいなかった。


大聖堂の裏口から、古い馬車に乗る。

御者のおじいさんが、気の毒そうに私を見た。


「お嬢ちゃん、本当に北へ行くのかい。あそこは、ひどいよ」


「はい。追放なので」


「追放って、そんな明るく言うもんかね」


明るく言ったつもりはない。

ただ、泣くと荷物が増える気がしたのだ。


馬車が動き出す。

窓の外で、王都の白い塔が遠ざかっていく。


私は窓から空を見上げた。

薄い雲が、西から東へ流れている。


明日の朝は、たぶん晴れだ。

王都の人たちは、きっと何も気づかない。

晴れの日なんて、待っていれば来るのだから。


「……明日は、晴れにしておきますね」


誰にも聞こえない声で祈った。

これが最後の、王都のためのお祈りだった。


馬車の旅は、十日かかった。


北へ進むほど、空が低くなる。

道の両側の畑は、どこも茶色だった。

麦が、まともに育っていない。


六日目に見た村では、畑が水に浸かっていた。

八日目に見た村では、逆に地面がひび割れていた。


「同じ領地なのに、雨が降りすぎる所と、降らなさすぎる所があるんです」


私は御者のおじいさんに説明した。


「山のせいで、雲が片側にばかり寄るんですね。だから、雲を少しだけ反対側に押してあげれば――」


「お嬢ちゃん」


「はい」


「また早口になってる」


「……すみません」


おじいさんは、笑った。

王都の人たちの笑い方とは、少し違った。


十日目の夕方。

馬車は、灰色の石でできた大きな館の前で止まった。


グレイフォード辺境伯の館だ。


私は鞄を抱えて、馬車を降りた。

冷たい風が、ほっぺたに当たる。


追放された聖女なんて、誰も歓迎してくれないだろう。

裏口から入って、物置のような部屋をもらえれば上出来だ。


そう思って顔を上げて、私は固まった。


館の正面の階段の下に、男の人が立っていた。


背が高い。黒い髪。黒い外套。

そして、顔が、ものすごく怖い。


眉間には深いしわ。

目つきが鋭くて、にらまれているとしか思えない。


その人が、まっすぐ私に向かって歩いてくる。


(あ、これは怒られる)


私は鞄を抱きしめた。

役立たずをよこしたと、王都の代わりに怒鳴られるのだ。


男の人は、私の目の前で止まった。

そして、低い声で言った。


「天気の聖女、ティア殿か」


「は、はい」


「グレイフォード辺境伯、ユリウスだ」


怖い顔のまま、その人は――


深く、頭を下げた。


「来てくれて、感謝する」


「……え?」


「三年、待っていた」


顔を上げたユリウス様の目は、やっぱり鋭かった。

でも、怒っている目ではなかった。


「あなたの記録を読んだ」


「記録、ですか?」


「王都の大聖堂が毎年出している、天気の報告書だ。十年分。書いたのは、あなただろう」


誰も読まないと言われた報告書。

それを、この人は。


「明日の空は、どうなる」


ユリウス様は、真剣な顔で聞いた。

国の一大事を聞くときの顔だった。


私は空を見上げた。

雲の流れ。風の匂い。


「……明日は、雨です」


「そうか」


「でも」


鞄を握る手に、力が入った。


「明後日は、晴れにできます」


ユリウス様の怖い顔が、ほんの少しだけ、ゆるんだ気がした。

お読みいただき、ありがとうございます。


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― 新着の感想 ―
「天気係」と呼ばれていたティアの力が、北の領地では必要とされているのがよかったです。誰も読まないと言われた記録をユリウス様が読んでいたところも好きでした。これからの二人を楽しみにしています。
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