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婚約破棄された聖女ですが、私の祈りは「天気」に効くだけです。……え、辺境では大事なんですか?  作者: 雫 くずし


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第27話 遠くの空へ

収穫祭の次の朝。


私は、書庫の机に、地図を広げていた。


この国の、大きな地図だった。


北の端に、グレイフォード領。

ずっと南に、王都。


その間は、馬車で十日。


「遠いですね」


私は、指で二つの間をなぞった。


「私の力は、空を少しだけ動かすことです。でも、こんなに遠くの空は、届きません」


王都にいたころ、私は毎朝、王都の上の雲を動かしていた。


手の届く空だったから、できた。


ここからでは、無理だ。


「では、どうする」


向かいの椅子で、ユリウス様が言った。


今朝も、五時半から廊下にいた。

空の報告のあと、そのまま書庫までついてきてくれた。


「一緒に考える、と言った」


「……はい」


私は、地図を見つめた。


北の山。

東の谷。

西の台地。


それから、もっと南。

王都へ続く、長い平野。


「雲は、どこから来て、どこへ行くのか」


私は、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。


「この土地の雲は、北の山にぶつかって、東へ流れます。バルド領のほうへ。でも、季節によっては」


ノートをめくる。


ユリウス様の三年分の記録。

私の十年分の王都の記録。


「冬の初めだけ、風の向きが変わるんです。北の山から、まっすぐ南へ吹き下ろす風。王都の記録でも、毎年冬の初めに、北から乾いた風が来ていました」


「北から、南へ」


「はい。その風に、雲を乗せられたら」


頭の中で、何かがつながり始めた。


「この土地の上で、雲を育てるんです。北の山の湿った空気で。それを、冬の初めの北風に乗せて、南へ流す。十日かけて、王都まで」


「届くのか」


「全部は、届きません。途中で、雨になって落ちてしまう分もあります。でも」


私は、ペンで地図に線を引いた。


北から、南へ。


「途中の村にも、少しずつ雨が落ちます。それで、王都に着くころには、小さな雲がいくつか残る。それが、夜の小雨になります」


「三日に一度の、夜の小雨か」


ユリウス様が言った。


私は、はっとして顔を上げた。


「覚えていらしたんですか」


「あなたの記録に、何度も書いてあった」


ユリウス様は、少しだけ目をそらした。


「十年分、読んだと言っただろう」


私の胸が、きゅっと鳴った。


「……でも、問題があります」


私は、ペンを置いた。


「雲を育てて、北風に乗せるのは、私がここからできます。でも、王都に着いた雲を、最後にどこへ降らせるかは、王都の空を見ている人がいないと決められません。貯水池の上か、南の麦畑の上か」


「王都に、空を読める者が要るということか」


「はい。毎朝、空を見て、記録をつけて、どこが乾いているかを知らせてくれる人が」


それは、私が十年やってきたことだった。


王都の大聖堂に、それをできる人は、もういない。


「……私が、王都に戻るしかないんでしょうか」


声が、小さくなった。


ユリウス様は、何も言わなかった。


ただ、机の上の私の手に、自分の手を重ねた。


昨日の夜と同じ、大きくて温かい手。


「まだ、決めるな」


「でも」


「あなたは、昨日、一緒に考えてくれと言った」


ユリウス様の手に、少しだけ力がこもった。


「私は、まだ考えている途中だ」


書庫の扉が、ばんと開いた。


「旦那様! ティア様!」


アンネさんだった。


息を切らしていた。


「館の前に、王都から、お客様が」


私とユリウス様は、顔を見合わせた。


使者の騎士は、まだ館に泊まっている。


では、誰が。


「若い神官様です。王都の大聖堂から、馬を乗り継いで、一人で来たと」


館の玄関に行くと、泥だらけの若者が、床にへたりこんでいた。


神官の服だった。

大きな鞄を、両腕で抱えている。


その顔に、見覚えがあった。


大聖堂の、書庫の係の人だ。

私が記録を書庫に納めに行くと、いつも黙って受け取ってくれた人。


「……あなたは」


若い神官は、私を見上げた。


それから、鞄を床に置いて、深く頭を下げた。


額が、床につきそうなくらい。


「天気の聖女様。お願いがあって、参りました」


「お願い……?」


「王都の空の読み方を、私に教えてください」


若い神官は、鞄を開けた。


中から、紙の束が出てきた。


見覚えのある紙。

見覚えのある、細かい字。


私の、十年分の記録だった。


「全部、読みました。毎晩、読みました。でも、読むだけでは、わからないことがたくさんあって」


若い神官の声は、震えていた。


「雲を動かす力は、私にはありません。でも、空を読むことなら、学べるかもしれない。王都で、毎朝空を見て、記録をつけて。聖女様がやっていらしたことの、半分でも」


私は、紙の束を見下ろした。


十年分の、私の記録。


誰も読まない、と言われた記録。


それを、この人は、毎晩読んでいた。


「……ユリウス様」


私は、隣のユリウス様を見上げた。


ユリウス様は、若い神官をじっと見ていた。


それから、私を見た。


ほんの少しだけ、口の端が上がっていた。


「見つかったな」


「はい」


「王都の空を、読む者が」


私は、若い神官の前にしゃがんだ。


泥だらけの手を、両手で取る。


「教えます。全部」


若い神官の目に、涙がにじんだ。


「冬の初めまで、あとひと月です。それまでに、王都の空の読み方を、全部覚えてもらいます。厳しいですよ。早口になりますから」


「……早口?」


「天気の話になると、止まらなくなるので」


後ろで、ユリウス様が、小さく咳払いをした。


笑いをこらえている音だった。

お読みいただき、ありがとうございます。


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