第26話 王都・聖女はどこへ行った
◆ ◆ ◆
大聖堂の正面の扉が、外から激しく叩かれていた。
「天気の聖女を出せ!」
「雨を降らせろ!」
「井戸が涸れたんだ、子どもに飲ませる水がないんだ!」
扉の外には、何百人もの民が詰めかけていた。
下町の人々。
南の麦畑の農夫たち。
水を売る商人たち。
みんな、乾ききった顔をしていた。
大聖堂の中で、神官たちが青い顔で扉を押さえていた。
「光の聖女様! 光の聖女様を出せ!」
「毎朝祈ってるんだろう! なんで雨が降らないんだ!」
広間の奥で、セレスティーナは、両手を組んだまま震えていた。
白いドレスの袖が、汗で肌に張りついていた。
この三月、毎朝祈った。
光の祈りを、空に向けて放った。
何十回も。何百回も。
一度も、雲は来なかった。
「……どうして」
セレスティーナは、かすれた声でつぶやいた。
「どうして、私の祈りじゃ、だめなのよ」
「光は、傷を治すものですから」
隣で、若い神官が、静かに言った。
セレスティーナは、彼をにらんだ。
それから、力なくうつむいた。
「……知ってるわよ。そんなこと」
声が、震えていた。
「最初から、知ってたわよ。私の力じゃ、雲は動かない。でも、あの子の力なんて、地味で、誰にも見えなくて、だから、いなくても誰も困らないって」
「……」
「殿下が、そうおっしゃったから。私も、そう思いたかったのよ」
セレスティーナは、両手で顔を覆った。
「役に立つほうでいい、ですって。殿下は、あの子を正妃に戻すって。私は、側に置くだけだって」
若い神官は、何も言えなかった。
会議室での王太子の言葉を、彼も聞いていたから。
扉を叩く音が、どんどん大きくなっていた。
「天気の聖女は、どこへ行ったんだ!」
外の誰かが、叫んだ。
「十年、毎年、建国祭は晴れてた! 三日に一度、夜に雨が降ってた! あれは、あの聖女さまがやってたんだろう!」
「誰が追い出したんだ!」
「王太子だ! 王太子が、婚約を破棄して追い出したって聞いたぞ!」
大聖堂の中が、凍りついた。
神官長が、がたがたと震えながら、奥の扉を見た。
その扉が、開いた。
王太子アルベルトが、立っていた。
旅の外套を着ていた。
「……殿下?」
神官長が、目をむいた。
「そのお姿は」
「北へ行く」
アルベルトの顔は、こわばっていた。
「使者を出して、もう十日だ。返事が来ない。あの娘が、私の命令に返事をしなかったことは、一度もない」
「ですが、殿下ご自身が」
「辺境伯が、引き止めているに違いない」
アルベルトは、歯ぎしりをした。
「あの娘は、一人では何も言えない。だから、私が直接行って、連れて帰る。それだけだ」
「殿下」
セレスティーナが、顔を上げた。
「私も、行くわ」
「君は、ここで祈っていろ」
「いいえ」
セレスティーナは、立ち上がった。
目が、赤かった。
「行くわ。あの子が、本当にあなたの言うとおり、黙って戻ってくる子なのか。この目で、見たいの」
アルベルトは、しばらくセレスティーナを見ていた。
それから、ふいっと顔をそむけた。
「……好きにしろ」
アルベルトは、裏口へ向かって歩き出した。
表の扉の外では、民の叫び声が、まだ続いていた。
「天気の聖女を、返せ!」
その声に、アルベルトは一度も振り返らなかった。
◆ ◆ ◆
若い神官は、二人が出ていった裏口を、しばらく見つめていた。
それから、書庫へ走った。
天気の聖女の、十年分の記録。
その束を、大きな鞄に詰めこむ。
神官長が、書庫の入り口で彼を呼び止めた。
「どこへ行く」
「北へ」
若い神官は、鞄を肩にかけた。
「殿下は、聖女様を連れ戻しに行かれました。でも、たぶん、聖女様は戻られません」
「……なぜ、わかる」
「記録を、読んだからです」
若い神官は、鞄をぽんと叩いた。
「十年、一日も休まずに、空を読んでいた方です。誰かに言われたからではなく、自分で決めて。そういう方は、言われたから戻る、ということは、しないと思うんです」
「では、何をしに行く」
「お願いをしに」
若い神官は、まっすぐに神官長を見た。
「王都の空の読み方を、教えてくださいと。雲を動かす力は、私にはありません。でも、空を読むことなら、記録があれば、学べるかもしれない」
神官長は、しばらく黙っていた。
それから、懐から小さな袋を出して、彼に渡した。
路銀だった。
「……間に合わせろ」
「はい」
若い神官は、大聖堂の裏口から、走り出た。
乾いた王都の空の下を。
北へ。
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