第23話 王都からの使者
応接間に入ると、雨に濡れた男の人が立っていた。
王都の騎士の制服だった。
胸に、王家の紋章が光っている。
その向かいに、ユリウス様が座っていた。
怖い顔、だった。
いつもの怖い顔とは、違った。
本当に、怒っている顔だった。
「天気の聖女ティア殿ですな」
騎士は、私を見ると、背すじを伸ばした。
「王太子アルベルト殿下の命により、参りました」
騎士は、巻いた羊皮紙を広げて、読み上げた。
「天気の聖女ティアは、ただちに王都へ戻り、大聖堂にて務めを果たすべし。これは、王太子の命令である」
応接間が、しんとした。
戻れ。
王都へ。
「……どうして、ですか」
私の声は、かすれていた。
騎士は、少しだけ目をそらした。
「王都は、この夏から雨が降っておりません。西の貯水池は底が見え始め、下町の井戸が涸れております。南の麦畑は、半分が枯れました」
「……」
「大聖堂には、天気の聖女様はどこへ行ったのかと、毎日、民が詰めかけております」
私は、膝の上で手を握りしめた。
雨が、降っていない。
三日に一度の、夜の小雨。
私が、毎朝少しずつ足していた雨。
あれがないと、王都の空は、こうなるのだ。
わかっていた。
王都を出る日、馬車の中で、わかっていた。
でも、誰も気づかないと思っていた。
晴れの日なんて、待っていれば来るのだから。
「出発は、明朝とのことです」
騎士が言った。
「明朝……」
明後日は、収穫祭だ。
ロイくんが、楽しみにしている。
ゲルトさんも、アンネさんも。
それに、ため池の工事も、これからだ。
冬の雪の備えも。
春の種まきも。
「――断る」
低い声が、応接間に響いた。
ユリウス様だった。
「彼女は、行かない」
騎士の顔が、こわばった。
「グレイフォード辺境伯。これは王太子殿下の命令ですぞ」
「知っている」
ユリウス様は、ゆっくりと立ち上がった。
背が高い。
騎士が、少しだけ後ずさった。
「だが、彼女を追放したのは、王太子殿下ご自身だ」
「……」
「婚約を破棄し、聖女の職を解き、王都から追い出した。この国の誰が見ても、彼女はもう王都の聖女ではない」
ユリウス様の声は、静かだった。
静かで、とても怖かった。
「追い出した者を、困ったから戻れと呼びつける。それは、命令ではない」
「で、ですが」
「今の彼女は、グレイフォード領の人間だ。私の領地の民だ」
ユリウス様は、私のほうを一度だけ見た。
「領民を、本人の意思に反して連れていくことは、辺境伯として許さない」
騎士は、口を開けたり閉じたりした。
それから、困りきった顔で、私を見た。
「……聖女殿。あなたの意思は」
私は、うつむいた。
王都の人たち。
井戸が涸れた下町の人たち。
麦が枯れた南の農夫たち。
あの人たちは、何も悪くない。
私を追放したのは、殿下だ。
下町の人たちではない。
でも。
ここを離れたら、台地の村は。谷の村は。
「……少し、考えさせてください」
私は、やっとそれだけ言った。
騎士は、ほっとしたように息を吐いた。
「では、収穫祭が終わるまで、お待ちします。その翌朝に、お返事をいただきたい」
騎士は、応接間を出ていった。
扉が閉まると、私は、長椅子にへたりこんだ。
ユリウス様が、私の前にしゃがんだ。
「ティア」
「……ごめんなさい。すぐに、断れなくて」
「謝るな」
ユリウス様は、私の手を見た。
握りしめた拳が、白くなっていた。
「王都の民のことを、考えているんだろう」
私は、うなずいた。
「井戸が涸れるのは、つらいです。麦が枯れるのも。それが、どれだけつらいか、ここに来て、わかったので」
この土地の人たちが、三年間味わったこと。
それと同じことが、今、王都で起きている。
「行きたいのか」
ユリウス様の声は、静かだった。
私は、首を横に振った。
「行きたくないです」
自分でも、驚くくらいはっきりした声だった。
「ここにいたいです。でも、王都の人たちを、見捨てたくもないんです」
「……」
「わがままですよね」
ユリウス様は、少しの間、黙っていた。
それから、私の握りしめた拳の上に、自分の手をそっと重ねた。
大きくて、温かい手だった。
「わがままではない」
「……」
「両方を守りたいと思うのは、あなたが、そういう人だからだ」
ユリウス様の手が、私の拳を、ゆっくりとほどいていった。
指が、一本ずつ、開いていく。
「答えは、収穫祭のあとでいい」
ユリウス様は、私の開いた手のひらを、少しだけ握った。
「一人で決めるな。一緒に考える」
私は、うつむいたまま、その手を握り返した。
声が出なかった。
一緒に、考える。
王都では、誰もそんなことを言ってくれなかった。
その夜、私は塔で祈った。
三日続く秋の長雨。
その真ん中の一日だけ、収穫祭の日だけ、晴れにする。
雨の雲を、少しだけ前と後ろに分けて。
真ん中に、晴れの隙間を作る。
――お願い。一日だけ。
みんなが、三年待ったお祭りだから。
祈りながら、私は、ずっと考えていた。
王都の空のこと。
この土地の空のこと。
どちらか一つしか選べないのなら。
私は、どうすればいいのだろう。
塔の窓に、雨が当たっていた。
いつもなら、後ろの壁にもたれて起きている人の気配は、今夜はなかった。
ユリウス様は、きっと、執務室で何か考えているのだろう。
「一緒に考える」と言った人だから。
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