第19話 雹の手紙
「お天気さま、お手紙ですよ」
朝の空の報告が終わったあと、アンネさんが封筒を持ってきた。
立派な封筒だった。
赤い封蝋に、ぶどうの房の紋章が押してある。
「東のバルド領の、マルコさんからです」
引き抜きに来た、あの商人さんだ。
封を切る。
太い、勢いのある字が並んでいた。
『お天気さま。ご機嫌いかが。約束どおり、ご相談の手紙です。我が果樹園のりんごが、あと二十日で収穫です。この時期、毎年のように雹が降り、実が落ちて傷だらけになります。今年は、いつ雹が来るか、教えていただけませんか』
手紙には、果樹園の場所を書いた地図が添えてあった。
バルド領。
ここから東へ、馬車で三日。
大きな川の流れる、平らな土地だ。
「わかりますか、ティア」
隣で手紙をのぞきこんでいたユリウス様が聞いた。
「バルド領の空は、ここからは見えません」
私は、地図をじっと見た。
「でも、雲は、この土地の上を通ってから、東へ行きます」
北の山にぶつかって、東の谷を越えて。
その先へ流れていく雲。
毎朝、塔から見ている雲だ。
「この土地の上で、背の高い雲がもくもく育った日の、次の日の午後。それが、バルド領に雹が降る日です」
「なぜわかる」
「雹は、背の高い雲の中で、氷の粒がぐるぐる上がったり下がったりして育つんです。この土地で育ち始めた雲が、東の川の上で湿気を吸って、もっと大きくなる。それがちょうど、バルド領の果樹園の上あたりで――」
はっとして、口を閉じた。
また早口になっていた。
ユリウス様は、何も言わずに、紙とペンを差し出した。
「……続けろ、ですか?」
「書いて送るんだろう」
私は、少し笑って、ペンを受け取った。
それから、毎朝、東の空を見るのが日課に加わった。
背の高い雲が育つ日を、待つ。
五日後の朝だった。
北の山の向こうから、白くて背の高い雲が、もくもくと立ち上がっていた。
頭のてっぺんが、平らに広がり始めている。
「来ました」
私は、急いで手紙を書いた。
『マルコさんへ。明日の午後、雹が降ります。午前中に、取れる実はできるだけ取ってください。残る木には、布か網をかけてください。雹は、夕方には止みます』
ユリウス様が、館でいちばん速い馬を出してくれた。
使いの若者が、手紙を持って東へ駆けていった。
それから、十日後。
館に、荷馬車が一台やってきた。
御者台から飛び降りたのは、太ったおじさん。
金の指輪が、三つ。
「お天気さまぁ!」
マルコさんは、玄関から大きな声で叫んだ。
「当たりましたぞ! ぴったり、当たりましたぞ!」
応接間に通されたマルコさんは、興奮して身ぶり手ぶりで話した。
「手紙が届いたのが、雹の前の日の夜でしてな! 半信半疑でしたが、夜明けから村じゅう総出で、実をもぎました! 網も布も、ありったけかけました!」
「それで」
「午後になって、空が真っ暗になって、ばらばらばらっと! 鶏の卵くらいの雹が!」
マルコさんは、拳を握って見せた。
「去年は、それで七割の実が落ちました。今年は」
マルコさんは、指を一本立てた。
「一割ですぞ。一割で済んだ!」
私は、ほっと息を吐いた。
「よかったです」
「よかったどころの話ではございません!」
マルコさんは、荷馬車から下ろした木箱を、どんとテーブルに置いた。
「お礼でございます!」
ふたを開ける。
真っ赤なりんごが、ぎっしり詰まっていた。
それから、マルコさんは、もう一つ、小さな革袋をテーブルに置いた。
ちゃり、と音がした。
「こちらは、相談料でございます」
「そ、相談料!?」
「約束しましたでしょう。きちんとお支払いすると」
袋を開ける。
銀貨が、たくさん入っていた。
金貨十枚には遠い。
でも、王都の大聖堂で私がもらっていた一年分のお給金より、多かった。
「こ、こんなに、いただけません」
「いただいてもらわねば困ります」
マルコさんは、きっぱり言った。
「お天気さまの手紙一枚で、我が領のりんご農家が、百軒、冬を越せるのです。安いものですぞ」
私は、袋を両手で持ったまま、ユリウス様を見た。
ユリウス様は、うなずいた。
「あなたの仕事の対価だ。受け取れ」
「……はい」
私は、袋を胸に抱えた。
重かった。
王都では、天気の仕事でお金をもらったことは、一度もなかった。
晴れにしても、誰もお礼を言わなかった。
「来年も、お願いしますぞ」
マルコさんは、にこにこしながら帰っていった。
「ところで、引き抜きの話ですが」
玄関で、マルコさんが振り返った。
「まだ、気は変わりませんかな」
「変わりません」
私が答えると、マルコさんは大笑いした。
「でしょうな! 辺境伯様の、その顔を見れば!」
「顔?」
私は、隣のユリウス様を見た。
いつもの、怖い顔だった。
……いつもより、少しだけ眉間のしわが深いかもしれない。
マルコさんの荷馬車が、坂道を下っていった。
その夜。
私は、部屋で革袋の中身を数えた。
銀貨が、四十枚。
生まれて初めて、自分の力で稼いだお金だった。
何に使おう。
ロイくんに、新しい長靴を。
アンネさんに、何か。
ゲルトさんに、いい種を。
それから。
私は、ふと、ユリウス様の顔を思い浮かべた。
いつも、外套を貸してくれる人。
ノートと、髪留めをくれた人。
書庫に、ランプを持ってきてくれた人。
私は、まだ何も返していない。
「……そうだ」
最近、ユリウス様は、よく耳が赤くなっている。
この土地は、寒い。
私は、銀貨を一枚、指でつまんだ。
明日、町の店に行ってみよう。
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