第18話 王都・井戸が涸れる
◆ ◆ ◆
建国祭の土砂降りは、三日で止んだ。
そして、また雨が来なくなった。
ひと月。
ふた月。
王都の空は、毎日、乾いた青だった。
「西の貯水池が、半分を切りました」
大聖堂の会議室で、水道の役人が報告した。
青い顔をしていた。
「このままでは、秋の終わりには底が見えます。すでに、下町の井戸がいくつか涸れ始めております」
「井戸が?」
王太子アルベルトは、眉をひそめた。
「水なら、川から引けと言ったはずだ」
「引いております。ですが、川の水も減っております。上流の雨が少ないのです」
「では、もっと上流から引け」
「殿下」
役人は、言いにくそうに口ごもった。
「上流から引く水路を作るには、三年かかります」
会議室が、静まり返った。
「……南の麦畑は」
神官長が、おそるおそる聞いた。
「半分が、枯れました」
役人の声は、かすれていた。
「農夫たちが、大聖堂に陳情に来ております。天気の聖女様は、どこへ行かれたのかと」
アルベルトの手が、テーブルの上で拳になった。
「……セレスティーナは、どうしている」
「光の聖女様は」
神官長が、目をそらした。
「毎朝、祈っておいでです。ですが、その」
「なんだ」
「雲が、一つも来ないのです。光の祈りは、雲を呼ぶものではございませんので」
会議室の隅で、若い神官が、ぎゅっと紙の束を握りしめていた。
天気の聖女の、十年分の記録。
あの日以来、彼は毎晩それを読んでいた。
『夏・晴れが続く年は、北の山から湿った風が来る朝を待つ。その朝に雲を南へ少し引けば、王都に小雨が降る』
書いてある。
全部、書いてある。
でも、雲を引く力を持った者が、ここにはいない。
「殿下」
若い神官は、意を決して口を開いた。
「天気の聖女様に、使いを出すべきです」
全員が、彼を見た。
「北の辺境のグレイフォード領で、凶作が終わったと聞きました。霜を防ぎ、大雨を半日遅らせて、村を一つ救ったと。その力があれば、王都の雨も」
「黙れ」
アルベルトの声は、低かった。
「あれを、追放したのは私だ」
「……はい」
「私の命令で、婚約を破棄して、追放した。それを、今さら頭を下げて戻ってこいと言えというのか」
「頭を下げる必要は、ございません」
神官長が、汗をふきながら言った。
「王命として、戻るよう命じればよろしいかと」
アルベルトは、黙った。
しばらく、窓の外の乾いた空を見ていた。
それから、ふっと口の端を上げた。
「そうだな」
「殿下?」
「命令すれば、戻る。あれは、そういう娘だ」
アルベルトは、椅子の背にもたれた。
「五年も、私の婚約者だったのだぞ。私に言い返したことなど、一度もない。いつも黙ってうつむいて、空ばかり見ていた」
「……」
「辺境で、さぞ心細い思いをしているだろう。凍える土地で、顔の怖い辺境伯の世話になって。王都に戻れると聞けば、泣いて喜ぶはずだ」
アルベルトは、指で机をとんとんと叩いた。
「使者を出せ。王太子の命令だ。天気の聖女は、ただちに王都へ戻れ、と」
「かしこまりました」
神官長が、深く頭を下げた。
「それから」
アルベルトは、少し考えてから付け足した。
「戻ってきたら、婚約を元に戻してやってもいい。そう伝えろ」
会議室の空気が、少しだけ固まった。
「……殿下。セレスティーナ様は」
「聖女が二人いても、困ることはないだろう。王太子妃は、役に立つほうでいい」
アルベルトは、立ち上がった。
「あれも、元の場所に戻れて喜ぶさ」
会議室を出ていく王太子の背中を、若い神官は黙って見送った。
それから、紙の束に目を落とした。
いちばん上の一枚。
『殿下が、行進のあとに「今年もいい天気だった」とおっしゃった。よかった』
若い神官は、その一枚を、そっと束の一番下に移した。
なぜそうしたのか、自分でもよくわからなかった。
ただ、殿下にもう一度これを見せるのは、なんだか、あの聖女に悪い気がしたのだ。
◆ ◆ ◆
廊下の柱の陰で、セレスティーナは、会議室から出てくる王太子を見ていた。
白いドレスのすそを、強く握りしめて。
「……役に立つほうで、いい?」
小さくつぶやいた唇が、震えていた。
窓の外では、今日も、雲一つない空が広がっていた。
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