第12話 三年ぶりの市
「お天気さまだ!」
「お天気さま、こっちのりんご、食べてっておくれ!」
「辺境伯さまも、ほら、焼き栗!」
丘のふもとの広場は、人と声でいっぱいだった。
木の屋台が、ずらりと並んでいる。
りんご。焼き栗。毛糸の手袋。銅の鍋。干した魚。
南の町から来た商人たちが、大きな声で客を呼んでいた。
「すごい……」
私は、きょろきょろしながら歩いた。
王都の市も大きかった。
でも、ここの市は、なんだか空気が違う。
みんな、笑っていた。
「三年ぶりだからな」
隣を歩くユリウス様が言った。
「凶作の間は、商人が来なかった。売る物も、買う金も、なかったからだ」
「台地の麦が芽を出したから、戻ってきたんですね」
「秋に麦が取れれば、また金が回る。商人は、それを先読みして来る」
ユリウス様は、屋台の列を見渡した。
いつもの怖い顔だった。
でも、目の奥が、少しだけ明るく見えた。
「お天気さま、お天気さま!」
焼き栗の屋台のおばさんが、紙の袋を差し出してきた。
「ほら、持ってって! お代はいらないよ!」
「えっ、でも」
「いいからいいから! うちの畑、あんたのおかげで芽が出たんだ」
紙袋を押しつけられた。
温かくて、香ばしい匂いがする。
「あ、ありがとうございます」
「辺境伯さまと、二人で食べなね」
おばさんは、意味ありげにウインクした。
私は、紙袋を持ったまま固まった。
二人で。
「あ、あの、ユリウス様。半分、どうぞ」
「ああ」
ユリウス様は、袋に手を伸ばした。
大きな指が、栗を一つつまむ。
私の指と、ほんの少しだけ触れた。
私は、慌てて手を引っこめた。
栗が一つ、袋から転がり落ちた。
「あっ」
ユリウス様が、地面に落ちる前に、片手で受け止めた。
「……ほら」
その栗を、私の手のひらに乗せてくれた。
「あ、ありがとうございます」
「熱いから、気をつけろ」
私は、うつむいて栗の皮をむいた。
指先が、熱かった。
栗のせいだ。たぶん。
市の端のほうに、小さな屋台があった。
木の台の上に、髪飾りが並んでいる。
銀の細工。木彫り。色ガラス。
その中の一つに、私は目を奪われた。
小さな、雲の形の髪留めだった。
銀でできていて、ふっくらした雲の端に、青いガラスの粒が一つだけついている。
雨のしずくみたいだった。
「かわいい……」
思わず声が出た。
「お嬢さん、お目が高い」
屋台のおじいさんが、にこにこと言った。
「それは、南の町の職人が作ったもんでね。雲から、雨が一粒落ちるところだ」
私は、そっと手に取った。
軽い。
窓から入る光で、青いガラスがきらりと光った。
いくらだろう。
値札を見る。
私は、そっと髪留めを台に戻した。
追放されたとき、聖女の給金はもらえなかった。
館では、食事も部屋もいただいている。
これ以上、ぜいたくは言えない。
「行きましょう、ユリウス様」
私は、笑って屋台を離れた。
「次は、あっちの毛糸の手袋を見たいです。ロイくんに、冬用の」
「……ああ」
ユリウス様は、屋台の前で少しだけ立ち止まってから、ついてきた。
日が傾いてきた。
ロイくんの手袋を買って、焼き栗を食べ終えて、私たちは館への坂道を上っていた。
「楽しかったです」
私は、空を見上げて言った。
夕焼けが、西の台地の向こうに沈んでいく。
「市って、楽しいんですね。王都では、一人で行くことがなかったので」
「一人でなければ、行ったのか」
「誘ってくれる人が、いなかったので」
言ってから、少し恥ずかしくなった。
「だから、今日はうれしかったです。誘っていただいて」
ユリウス様は、立ち止まった。
私も、つられて立ち止まる。
「ティア」
「はい」
ユリウス様は、上着のポケットに手を入れた。
出てきたのは、小さな布の包みだった。
「……これを」
差し出される。
私は、包みを受け取って、開いた。
銀の雲。
青いガラスの、雨の一粒。
さっきの、髪留めだった。
「えっ」
私は、ユリウス様の顔を見上げた。
「い、いつの間に」
「あなたが、手袋を選んでいる間に」
「でも、これ、すごく高くて」
「知っている」
「受け取れません! 私、お返しできるものが何も」
「返さなくていい」
ユリウス様は、私の手の中の髪留めを見下ろした。
「あなたは、戻したとき、笑っていた」
「……」
「本当は、欲しかったのに笑っていた。それが、気に入らなかった」
気に入らなかった、と言った。
怖い顔で。
でも、耳が赤かった。
夕焼けのせいでは、なかったと思う。
「つ、つけても、いいですか」
「あなたのものだ」
私は、震える指で、髪留めを前髪の横に留めた。
うまく留まらない。
二回、失敗した。
三回目で、やっと留まった。
「……どうですか」
おそるおそる、聞いた。
ユリウス様は、私を見た。
少しの間、何も言わなかった。
それから、ぼそりと言った。
「似合っている」
そして、さっと前を向いて、坂道を上り始めた。
ものすごく速い足取りで。
「ユ、ユリウス様、待ってください!」
私は、慌てて追いかけた。
前髪の横で、銀の雲が揺れていた。
その夜。
部屋の鏡の前で、私は髪留めを何度もつけたり外したりした。
似合っている、と言われた。
天気係には、もったいない言葉だった。
髪留めを外して、手のひらに乗せる。
青いガラスの雨粒を、指でなぞる。
明日の朝、空の報告のときに、つけていこう。
そう決めてから、私はふと気づいた。
ユリウス様は、どうして私が、雲が好きだと知っていたのだろう。
ノートの表紙の、雲の型押し。
この、雲の髪留め。
……たまたま、だろうか。
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