第11話 王都・建国祭は雨
◆ ◆ ◆
建国祭の三日前から、王都には雨が降り続いていた。
「どういうことだ!」
王太子アルベルトの声が、大聖堂の広間に響いた。
窓の外は、灰色だった。
ざあざあと音を立てて、雨が石畳を叩いている。
「ひと月以上も晴れ続きだったのだぞ。それが、なぜ祭りの前になって、こんな大雨になる!」
「お、恐れながら、殿下」
神官長が、汗をふきながら進み出た。
六十を過ぎた、白髪の男だった。
「ひと月以上、夜の小雨が一度も降らなかったので、王都の周りの空に、湿り気がたまっていたのではないかと」
「湿り気?」
「は、はい。それが、一度に落ちてきているのではないかと、書庫の記録をあたった者が申しておりまして」
「書庫の記録など、どうでもいい!」
アルベルトは、テーブルを叩いた。
「建国祭まで、あと三日だ。各国の使節が来る。陛下の御前で、大通りを行進するのだぞ。それが、この雨の中でか!」
「そ、そう申されましても」
「毎年、晴れていたではないか!」
アルベルトは、窓を指さした。
「この十年、建国祭の日は、一度も雨が降らなかった。そうだろう!」
神官長は、口をぱくぱくさせた。
それから、小さな声で言った。
「……毎年、天気の聖女が、晴れにしておりましたので」
広間が、しんとした。
アルベルトの顔が、引きつった。
「あんな娘の力など、なくても晴れると言ったのは誰だ」
「殿下でございます」
「黙れ!」
「大丈夫よ、殿下」
甘い声がした。
光の聖女セレスティーナが、白いドレスのすそをつまんで歩み出た。
「私が祈ればいいのでしょう?」
「セレスティーナ」
「私は光の聖女よ。癒やしの光で、百人の傷を治せるの。雲なんて、光で晴らしてみせるわ」
セレスティーナは、窓辺に立って、両手を広げた。
「見ていて」
その手のひらから、まぶしい光があふれた。
広間が、真っ白に輝く。
神官たちが、思わず目を覆った。
「おお……!」
光は、窓を抜けて、灰色の空へと昇っていった。
雨雲に、吸いこまれていく。
そして。
何も、起きなかった。
雨は、止まなかった。
ざあざあと、さっきと同じ音で降り続けている。
「……あら?」
セレスティーナは、首をかしげた。
もう一度、手を広げる。
光があふれる。
空へ昇る。
雨は、止まない。
三度目。
四度目。
光は、そのたびに雨雲に吸いこまれて、消えた。
「おかしいわね。私の光が、届かないなんて」
セレスティーナの額に、汗がにじんでいた。
「光は、傷を治すものですから」
広間の隅で、誰かがつぶやいた。
若い神官だった。
ひと月前、貯水池の水位を報告に来た、あの神官だ。
「雲は、傷ではありません。治すものではなく、動かすものです」
「……何ですって?」
セレスティーナが、振り向いた。
若い神官は、はっとして口を押さえた。
「も、申し訳ございません。書庫の記録に、そう書いてあったもので」
「書庫の記録?」
「天気の聖女の、記録です」
若い神官は、震える手で、紙の束を差し出した。
「十年分あります。毎朝、一日も休まずに。雲をどう動かしたか。どこに雨を足したか。建国祭の日を晴れにするために、何日前から何をしたか。全部、書いてあります」
アルベルトが、紙をひったくった。
細かい字が、びっしりと並んでいる。
『建国祭まで四十五日。当日の朝に向けて、三日前から雲をどける』
『建国祭・晴れ。前夜に南の雲を少し東へ押した。押しすぎて東の村に小雨。明日、東の村の様子を見に行く』
「……こんなものを、毎朝」
アルベルトの手が、止まった。
「それで、この記録を書いた聖女は、今どこに」
神官長が、おずおずと聞いた。
広間の全員が、知っていた。
北の辺境だ。
四十五日前、この広間で、この王太子が婚約を破棄して、追放した。
「呼び戻せばいいわ」
セレスティーナが、髪をかき上げた。
「天気係なんでしょう? また天気係をやらせればいいのよ」
「建国祭は三日後です」
若い神官が、小さく言った。
「北の辺境までは、馬車で十日かかります」
セレスティーナの顔から、笑みが消えた。
アルベルトは、黙って紙の束を見下ろしていた。
その一番上に、ある日の記録があった。
『建国祭・晴れ。殿下が、行進のあとに「今年もいい天気だった」とおっしゃった。よかった』
雨の音だけが、広間に響いていた。
三日後。
建国祭の日の王都は、朝から土砂降りだった。
大通りの行進は、取りやめになった。
各国の使節たちは、雨に濡れた馬車の中で、気の毒そうに顔を見合わせた。
「この国の建国祭は、毎年晴れると聞いていたのですがね」
ある国の使節が言った言葉が、その日のうちに、王宮中に広まった。
◆ ◆ ◆
同じ日。
北の辺境、グレイフォード領の空は、雲一つない快晴だった。
「明日も、晴れです」
朝の空の報告で、私は言った。
「そうか」
ユリウス様は、紙に書きとめた。
「そういえば、今日は王都の建国祭の日だな」
「あ、本当ですね」
私は、南の空を見た。
ずっと遠く。
王都のある方角に、厚い雲がかかっているのが見えた。
「……向こうは、雨かもしれません」
「気になるか」
「少しだけ」
私は、正直に答えた。
「毎年、晴れにしていたので。殿下が、行進のあとに『いい天気だった』っておっしゃるのが、ちょっとだけうれしかったんです」
ユリウス様は、何も言わなかった。
ただ、ペンを持つ手に、少しだけ力が入っていた。
「ティア」
「はい」
「今日は、市が立つ」
「市、ですか?」
「台地の麦が芽を出したと聞いて、三年ぶりに、商人たちが戻ってきた」
ユリウス様は、紙をたたんで、胸のポケットにしまった。
「一緒に、見に行かないか」
それは、空の報告とは関係のない、初めてのお誘いだった。
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