第10話 外套の中で目が覚めた
目を開けると、黒かった。
真っ暗、ではない。
黒い布だった。
温かい。
重い。
煙と、石けんの匂いがする。
私は、ゆっくりと顔を上げた。
黒い布が、肩からずり落ちる。
外套だった。
ユリウス様の、外套。
それに、私は頭からすっぽりくるまっていた。
そして、私の頭が乗っていたのは。
「起きたか」
すぐ上から、声がした。
おそるおそる、見上げる。
ユリウス様の顔が、ものすごく近くにあった。
私は、ユリウス様の肩に、もたれかかって寝ていたのだ。
「ひゃっ」
変な声が出た。
慌てて体を起こそうとして、毛布に足を取られて、転びそうになった。
ユリウス様の腕が、さっと私の背中を支えた。
「落ち着け」
「お、お、落ち着いてます!」
「落ち着いていない」
顔が熱い。
耳まで熱い。
たぶん、頭のてっぺんまで熱い。
「す、すみません! 私、寝て、肩に、ずっと」
「ずっとだ」
「ずっと!?」
「日が昇る前から、今まで」
今まで。
私は、空を見た。
太陽が、もうずいぶん高いところにあった。
朝というより、もうすぐお昼だ。
「ど、どうして起こしてくださらなかったんですか」
「よく寝ていた」
「でも、ユリウス様、ずっと動けなかったんじゃ」
「問題ない」
ユリウス様は、表情を変えずに言った。
けれど、右肩を、こっそり回していた。
ごきっ、と小さな音がした。
問題、あったのだ。
「そ、それより、霜は!」
私は、はっとして畑のほうを振り向いた。
眠ってしまった。
夜明け前に。
いちばん冷える時間に。
風が、止まってしまったかもしれない。
畑に向かって、走った。
外套を握ったまま。
台地の畑には、村の人たちが集まっていた。
ゲルトさんが、しゃがみこんで、麦の芽を指でつまんでいた。
「ゲ、ゲルトさん、芽は」
息を切らして聞くと、ゲルトさんは顔を上げた。
にかっと笑った。
「無事だ。一本も、やられてねえ」
私は、その場にへたりこんだ。
畑一面の、緑の芽。
どれも、ぴんと立っている。
黒くなっている芽は、一つもなかった。
「隣の領地じゃ、全部やられたってよ。こっちだけ、霜が降りなかった」
「よかった……」
「よかったじゃねえよ、お天気さま」
ゲルトさんは、豪快に笑った。
「あんた、どうやったんだ。一晩中、風が吹いてたって、見張りの若いのが言ってたぞ」
「一晩中……?」
私は、首をかしげた。
途中で、眠ってしまったのに。
後ろから、足音がした。
ユリウス様だった。
「あなたは、眠ってからも、手を組んだままだった」
「え?」
「肩にもたれて寝ている間、ずっと手を組んでいた。ほどこうとしても、ほどけなかった」
ユリウス様は、少しだけ目をそらした。
「それで、風も止まらなかった」
寝ながら、祈っていたのだ。
自分では、全然覚えていない。
ゲルトさんが、ひゅう、と口笛を吹いた。
「辺境伯さまの肩で、寝ながら祈ってたってか。そりゃあ、霜も降りねえや」
「ゲ、ゲルトさん!」
村の人たちが、どっと笑った。
ロイくんが、「なかよしだ! やっぱりなかよしだ!」と叫んで、またゲルトさんに頭をはたかれた。
館に戻ると、アンネさんが玄関で待ち構えていた。
私の肩の外套を見て。
外套なしのユリウス様を見て。
もう一度、外套を見て。
アンネさんは、両手を胸の前で組んだ。
目が、きらきら輝いていた。
「まあ。まあまあまあ」
「ア、アンネさん、違うんです。これは霜が」
「霜が。まあ。霜が」
「本当に霜なんです!」
「ええ、ええ。わかっております。霜でございますね」
まったく、わかっていない顔だった。
アンネさんは、ユリウス様に向き直った。
「旦那様。お肩の具合は」
「問題ない」
「一晩中、ティア様の枕になっていらしたのに?」
「アンネ」
ユリウス様の声が、低くなった。
アンネさんは、まったく気にしていなかった。
「温かいお湯を、お部屋にご用意いたします。お二人とも、まずはお休みくださいまし。お食事は、それからでございます」
アンネさんは、鼻歌を歌いながら、奥へ入っていった。
玄関に、私とユリウス様が残された。
外套を、両手で差し出す。
「あの、これ。ありがとうございました」
ユリウス様は、外套を受け取った。
それから、少しだけ黙った。
「……ティア」
名前を、呼ばれた。
「殿」が、なかった。
私は、外套を差し出した姿勢のまま、固まった。
「あなたは、霜から村を守った。一晩中、祈り続けて」
「は、はい」
「よくやってくれた」
それだけ言って、ユリウス様は廊下を歩いていった。
外套を、腕にかけたまま。
私は、玄関に一人で立っていた。
ティア、と呼ばれた。
たった二文字が、なくなっただけだ。
それなのに。
胸の奥が、そわそわして落ち着かなかった。
部屋に戻って、アンネさんが用意してくれたお湯で顔を洗った。
鏡を見る。
顔が、まだ赤かった。
「……霜のせいです」
鏡の中の自分に言い聞かせた。
ずっと冷たい夜風に当たっていたから。
だから、顔が赤いのだ。
ユリウス様の肩が温かかったことも。
外套の匂いがまだ残っていることも。
名前を呼ばれた声が、耳から離れないことも。
全部、霜のせいだ。
私は、布団に倒れこんだ。
目を閉じる。
ティア、と呼ぶ声が、また聞こえた気がした。
一晩中起きていたはずなのに、なかなか眠れなかった。
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