第96話 王が下した最初の命令
洞窟の入口付近に、いつもとは違う緊張が漂っていた。
クロウが何度も外を確認している。
ルゥは地面へ鼻を近づけ、遠くから近づいてくる無数の足音を探っていた。モラも地面の中を移動しながら、何度も地上の様子を確認している。
明らかに、これまでとは規模が違う。
「ミレア、まだ正確な数は分からない?」
「先ほどより魔力反応が増加しています。現在確認できる範囲だけでも、二百を超えています」
「二百……」
ノアは思わず眉を寄せた。
これまで戦ったのは調査隊、騎士団、聖騎士団。
だが今回は違う。
最初から大軍を想定した部隊が、洞窟へ向かっている。
「魔力反応は?」
「高位魔力反応が複数あります。通常の騎士だけではありません。魔術師部隊、重装部隊、それに大型の魔道具と思われる反応も確認されています」
「本気で潰しに来たんだね」
「その可能性が高いです」
ノアは洞窟の奥を見る。
そこには、まだ戦いを知らない魔物たちがいる。
スライム。
ゴブリン。
コウモリ。
小型の魔獣。
そして最近になってこの洞窟へ住み始めた、数多くの自然発生した魔物たち。
彼らを戦わせる必要はない。
少なくとも、今は。
「みんな、聞いて」
ノアが声を上げると、周囲にいた魔物たちが振り返った。
「これから人間が来る。でも、弱い魔物たちは戦わなくていい。奥へ下がって」
言葉を理解できる魔物もいれば、理解できない魔物もいる。
それでも、ノアの声に反応して少しずつ奥へ移動していく。
ルナがその様子を見ていた。
「私も行く」
「うん。でも、ルナは後ろにいて」
「嫌」
即答だった。
ノアが目を丸くする。
「私も、この場所を守る」
「でも……」
「王だから」
ルナの瞳がまっすぐノアを見る。
「王が、自分の国を守らないのはおかしい」
ノアは言葉を失った。
つい昨日まで、ルナは自分が王になることすら完全には理解していなかった。
それなのに今は、自分の役割を理解し始めている。
「……分かった」
ノアは頷いた。
「ただし、危なくなったら絶対に下がってね」
「分かった」
そのとき、ガルドが前へ出た。
斧を肩に担ぎ、洞窟の入口を睨む。
その周囲には、すでに戦闘向きの魔物たちが集まっていた。
オーガ。
獣型魔物。
大型の爬虫類。
それぞれがガルドを見ながら、自然と前衛の位置についている。
「……ガルドのところ、もう軍団みたいになってるね」
「攻撃性の高い個体が自発的に集まっています」
ガルドが一歩前へ出る。
すると、後ろの魔物たちも一斉に動いた。
「すごい」
ノアは思わず呟いた。
昨日まで、ガルドは一人で戦っていた。
だが今は違う。
強さを見せつけるだけで、周囲の魔物たちが戦い方を理解している。
レグルの周囲には、岩亀や大型の獣が集まっている。
彼らはガルドの軍団とは違い、前へ出るのではなく、ノアたちの周囲に壁を作るように並んでいた。
「レグルのところも……」
「防御型の個体が自然に集まっています」
セラの周囲には、魔力を持つ魔物たちが集まっていた。
小さな精霊型。
魔力を帯びた鳥。
角から魔力を放つ獣。
どれも強力な個体ではない。
それでもセラの周囲にいるだけで、魔力が安定していく。
そしてポヨン。
「……」
ノアはポヨンを見る。
ポヨンの周囲には、なぜか戦闘能力の低い魔物ばかりが集まっていた。
スライム。
小型の獣。
小さな鳥。
ゴブリンの子供らしき個体。
「ポヨンのところは……軍団なのかな?」
「現時点では、避難集団に近いと思われます」
「まあ、それも大事だよね」
ノアは苦笑した。
そのときだった。
洞窟の外から、大きな音が響いた。
ドォォォン!
地面が揺れる。
「来た!」
クロウが低く唸る。
洞窟の入口から外を見ると、遠くの地面に大量の人影が見えた。
鎧。
旗。
巨大な魔道具。
そして、騎士たちの間を歩く何体もの大型兵器。
「……二百どころじゃない」
ノアが呟いた。
「推定四百三十七名」
ミレアが答える。
「その後方にも、さらに部隊が存在します」
「四百……」
ノアは思わず息を呑んだ。
前回の聖騎士団とは比べものにならない。
これはもう、討伐隊ではない。
軍隊だ。
先頭に立っている男が前へ出る。
黒い鎧。
赤いマント。
手には巨大な槍。
「魔物の支配者に告げる!」
男の声が洞窟まで響いた。
「王国軍第四討伐軍、総指揮官ヴァルガスである!」
ノアは眉を寄せた。
「第四討伐軍……」
「貴様らは王国領内に存在する危険な魔物領域と認定された!」
「王国領内?」
ノアの表情が変わる。
ルナも男の声を聞いていた。
「この洞窟とその周辺を王国の管理下へ置く!」
ヴァルガスが槍を掲げる。
「抵抗する魔物はすべて排除する!」
洞窟内の空気が変わった。
ルナの瞳から幼さが消える。
「……この場所を?」
小さな声だった。
ノアはルナを見る。
「うん」
「私たちの場所を?」
「そう言ってるね」
ルナはしばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと前へ進んだ。
ガルドが道を開ける。
レグルが頭を下げる。
セラも一歩下がった。
四精鋭が自然とルナの後ろに並んだ。
ノアもルナの隣へ立つ。
外の人間たちは、まだ小さな黒猫のような魔物が王だとは思っていない。
ヴァルガスが笑った。
「なんだ? その小さな魔物が支配者か?」
ルナは答えなかった。
ただ、外にいる人間たちを見つめていた。
「ミレア」
「はい」
「相手の戦力は?」
「騎士約三百。魔術師約八十。支援部隊約五十。大型魔道兵器が六基。後方に予備部隊が存在します」
「……強い?」
「これまでの敵よりは明確に強力です。ただし――」
ミレアが四精鋭を見る。
「現在の四精鋭を中心とした戦力であれば、勝率は非常に高いです」
ノアは頷いた。
だが、今回は違う。
ただ勝つだけではない。
ルナが王として初めて戦う。
そして、この戦いは四精鋭が初めて「軍団」として動く戦いになる。
「ルナ」
「うん」
「どうする?」
ルナは外を見つめた。
しばらく考えたあと、静かに口を開いた。
「この場所を奪おうとしている」
「うん」
「ここにいるみんなを傷つけようとしている」
「そうだね」
ルナは四精鋭を見る。
ガルド。
レグル。
セラ。
ポヨン。
そして、その後ろに集まった無数の魔物たち。
「なら、追い返す」
ノアは少しだけ驚いた。
「……殺すんじゃなくて?」
「向こうが戦うなら、戦う」
ルナの声は静かだった。
「でも、逃げる人まで追いかけない」
ノアは微笑んだ。
「分かった。それでいいと思う」
しかし、その直後だった。
ヴァルガスが槍を地面へ突き立てた。
「全軍、攻撃開始!」
王国軍が一斉に動いた。
数百の兵士が洞窟へ押し寄せる。
魔術師たちが一斉に詠唱を始める。
六基の大型魔道兵器が起動し、巨大な魔力砲を洞窟へ向ける。
「来る!」
ノアが叫ぶ。
レグルが前へ出た。
その後ろに、防御型の魔物たちが一斉に並ぶ。
「レグル!」
ルナが初めて命令を下した。
「みんなを守って!」
レグルが吠えた。
大地が震える。
【大地装甲】が発動した。
黒銀の身体へ大地の魔力が流れ込み、その周囲に巨大な防壁が形成される。
次の瞬間。
ドドドドドドォォォン!
六基の魔力砲が一斉に放たれた。
巨大な光が洞窟へ押し寄せる。
だが――。
レグルは動かなかった。
その背後にいる魔物たちも無傷だった。
「撃ち続けろ!」
ヴァルガスが叫ぶ。
魔力砲が連続して放たれる。
それでもレグルは倒れない。
「ガルド!」
ルナが次の命令を出した。
「前を開けて!」
ガルドが笑った。
斧を構える。
そして――。
地面を蹴った。
轟音。
炎を纏った斧が、王国軍の先頭へ突っ込む。
ドゴォォォン!
盾を構えた騎士たちがまとめて吹き飛んだ。
だが、ガルドは止まらない。
後ろから獣型の魔物たちが一斉に続く。
ガルドが敵の中心を破壊し、その左右を魔物たちが押し広げていく。
初めての軍団戦。
それでも、動きは自然だった。
「セラ!」
「はい!」
セラが両手を広げる。
敵魔術師たちの魔法が一斉に飛んでくる。
火。
雷。
風。
氷。
数十種類の魔法が洞窟へ降り注ぐ。
セラはそれらを受け止めた。
【魔力変換循環】が発動する。
吸収。
変換。
分配。
そして――。
「お返しします」
集めた魔力が、巨大な光の奔流となって敵魔術師たちへ向かう。
魔法陣が次々と砕けていく。
王国軍の魔術師部隊が混乱した。
「魔法が効かない!」
「違う! こちらの魔力を利用されている!」
セラはさらに魔力を分配する。
味方の魔物たちの身体が淡く輝いた。
動きが速くなる。
耐久力が上がる。
そして、魔力攻撃が強化される。
戦場全体がセラを中心に変化していく。
その頃。
ポヨンは戦場の後方にいた。
自分の周囲に集まった小さな魔物たちと一緒に、戦いを見ている。
「……ポヨンはどうするんだろう」
ノアが呟いた。
ポヨンは答えない。
ただ、少しだけ首を傾げた。
そして。
ぽよん。
一度だけ跳ねた。
着地した場所には、古い石があった。
石が転がる。
転がった先には、敵の補給用魔道具。
コツン。
魔道具がわずかに傾いた。
中に積まれていた魔力結晶が一つ落ちる。
それが別の魔道具へ当たる。
カチッ。
起動。
誤作動。
魔力が逆流する。
ドォンッ!
王国軍後方で爆発が起きた。
「何だ!?」
補給部隊が混乱する。
そこへ、小型魔物たちが一斉に走り抜けた。
誰かが命令したわけではない。
ただ、混乱によって生まれた隙間を自然に利用しただけだった。
ノアは目を細めた。
「……なるほど」
ポヨン自身が戦うわけではない。
ただ、戦場に小さな偶然を生む。
その偶然が、周囲の魔物たちの行動を変える。
それが連鎖して、戦場全体へ広がっていく。
「これが……第四軍の力なのかもね」
ルナが頷いた。
「うん」
そして、王国軍の中央ではガルドが敵の指揮官へ迫っていた。
ヴァルガスが槍を構える。
「魔物ごときが!」
ガルドが笑う。
斧と槍が激突した。
轟音が響く。
その瞬間、ルナが静かに命令した。
「ガルド」
ガルドが振り返る。
「勝って」
短い言葉だった。
ガルドの身体から、灼熱の魔力が噴き上がる。
「グオオオオオッ!」
その咆哮が洞窟全体を震わせた。
王国軍は初めて理解する。
目の前にいるのは、単なる魔物の群れではない。
意思を持ち、王に従い、役割を分担する軍勢。
そして、その中央には――。
小さな黒い魔物が立っている。
それが、この戦いの王だった。




