第94話 王の覚醒
聖騎士団との戦いが終わった翌朝。
洞窟には、戦闘の痕跡がまだ残っていた。削れた岩壁。砕けた盾。床に残る巨大な爪痕。そして、レグルが大地へ叩き込んだ衝撃によって生まれた浅い亀裂。
それでも、洞窟そのものが受けた被害は思ったほど大きくない。
自然発生した魔物たちも無事だった。戦闘前にノアが奥へ避難させていたおかげで、巻き込まれた個体はほとんどいない。
「……勝ったんだよね」
ノアは中央広間を見回しながら呟いた。
「はい。聖騎士団は戦闘能力を喪失しています」
ミレアの淡々とした報告に、ノアは小さく息を吐いた。
今回の相手は、これまでの侵入者とは明らかに違っていた。
魔力も強い。
装備も整っている。
そして、何より戦い方を知っていた。
それでも四精鋭は崩れなかった。
ガルドは正面から敵を打ち破り、レグルは一歩も退かずに攻撃を受け止め、セラは敵の魔法を利用して戦況そのものを変えた。
そしてポヨンは――。
「……ポヨンは、何してたんだろう」
ノアの視線の先では、本人が何事もなかったように地面へ落ちた小石を転がして遊んでいた。
丸い身体。
短い手足。
大きな目。
毛とも皮膚ともつかない柔らかな灰色の表面。
ノアの膝ほどしかない小さな身体が、戦場の端をころころと動いている。
その表面には、以前から続いている淡い紫色の光が薄く浮かんでいた。
「本当に、この子が幸運担当なんだよね?」
「現在までの事象を考慮すると、その可能性は非常に高いです」
「……本人は何も考えてなさそうだけど」
「それも含めて能力なのかもしれません」
ノアは苦笑した。
そのときだった。
洞窟の奥から、低い振動音が響いた。
ゴゴゴゴゴ……。
「また何か?」
ノアが振り返る。
だが、音の方向は戦闘が行われた場所ではなかった。
もっと奥。
古代施設が存在する地下区域。
ノアの表情が変わった。
「ミレア」
「はい。古代施設から魔力反応が発生しています」
「何の施設?」
「既存の王位継承関連施設です」
ノアはすぐに歩き出した。
ガルド、レグル、セラも後に続く。
ポヨンも遅れて、ぽよん、ぽよんと跳ねながらついてきた。
地下へ降りる。
古代施設の前へ到着した瞬間、ノアは足を止めた。
以前は暗かった壁面に、無数の光が浮かび上がっている。
中央には黒い文字。
その下には、四つの光点が並んでいた。
「……四つ?」
「はい」
ミレアが読み上げる。
「第一守護権限――確認」
赤い光が灯る。
「攻撃権限――接続」
ガルドの身体がわずかに赤く輝いた。
「第二守護権限――確認」
次に黒銀の光。
「防御権限――接続」
レグルが低く唸る。
「第三守護権限――確認」
青白い光。
「魔力権限――接続」
セラの周囲に淡い魔力が集まる。
そして最後。
紫色の光が灯った。
「第四守護権限――確認」
ノアがポヨンを見る。
ポヨンは首を傾げている。
「幸運……じゃないんだ」
「正式名称は記録されていません」
「じゃあ、何の権限なの?」
ミレアが一瞬だけ沈黙する。
「……因果干渉権限」
「え?」
ノアが聞き返す。
「確率、偶然、事象の連鎖などに干渉する権限と推測されます」
「それって……」
ノアはポヨンを見る。
ポヨンは何も知らずに、壁際の小石を前足で転がしていた。
カラン。
小石が転がる。
その先にあった小さな金属片へぶつかる。
金属片が跳ねる。
壁の隙間へ入り込む。
カチッ。
何かのスイッチが押された。
「……」
全員が固まった。
「ポヨン」
「ぷる?」
「今の、わざとじゃないよね?」
「ぷるる?」
次の瞬間。
古代施設全体が大きく揺れた。
四つの光が中央へ集まる。
そして、最後に中央の黒い光が灯った。
『四守護権限――接続完了』
『王位継承者――待機』
ノアは息を呑んだ。
「ルナ……?」
施設の奥。
これまで何度も調査してきた部屋の扉が、ゆっくりと開いた。
その中には、黒い猫のような小さな魔物がいた。
ルナ。
普段なら、ノアの足元やセラの近くで静かに眠っていることが多い。
しかし今は違った。
ルナは目を閉じたまま、宙に浮かんでいた。
「ルナ!」
ノアが駆け寄ろうとする。
だが、ミレアが止めた。
「まだ近づかないでください」
「どうして?」
「魔力反応が通常時の数十倍に上昇しています」
ルナの身体から黒い魔力が溢れ出していた。
それは暴走しているようには見えない。
むしろ、周囲に存在する魔力を静かに集めている。
魔力貯蔵核。
古代施設。
地下の魔力鉱床。
そして、四精鋭。
これまで積み重ねてきたすべての力が、少しずつルナへ集まっていく。
「まさか……今までの強化も全部……」
「王位継承者を目覚めさせるための条件の一部だった可能性があります」
ノアは言葉を失った。
ルナの身体がゆっくりと降りてくる。
そして、床へ足をつけた。
黒い毛並みが風もないのに揺れる。
次の瞬間。
ルナが目を開いた。
その瞳は、以前の幼い瞳とは違っていた。
金色。
その奥に、深い紫色の光が宿っている。
「……ルナ?」
ノアが恐る恐る呼びかける。
ルナはノアを見る。
しばらく何も言わなかった。
そして――。
「……ノア」
声がした。
「え?」
ノアが固まる。
ガルドも動きを止めた。
レグルが顔を上げる。
セラは目を見開く。
ミレアですら、一瞬だけ処理を停止した。
「今……喋った?」
ルナはゆっくり頷いた。
「うん」
幼い声だった。
しかし、その声には以前とは違う意思があった。
「私は……目覚めた」
施設の壁に新たな文字が浮かび上がる。
『王位継承者――認証完了』
『王権――解放』
『領域支配権――接続』
『四守護者――認証』
そして最後に。
『王国形成権限――解放』
ノアは表示を見つめた。
「王国……形成?」
ミレアが答える。
「王位継承者が一定以上の領域と戦力を獲得した場合、独立した魔物領域を王国として定義できる権限と思われます」
「じゃあ、ルナは……」
ノアがルナを見る。
ルナは静かに周囲を見渡していた。
ガルド。
レグル。
セラ。
そしてポヨン。
さらに、その奥にいるクロウ、ルゥ、モラ、シエル。
洞窟に住み始めた無数の魔物たち。
ここは、もう以前の小さな洞窟ではない。
魔物が暮らし、戦い、資源を生み出し、古代の力まで眠っている。
ルナはしばらく黙っていた。
そして、ノアへ向き直る。
「人間が、また来る」
ノアの表情が曇った。
「……うん。たぶん、今までよりもっと大勢で」
「なら」
ルナは四精鋭を見る。
「守る」
ガルドが一歩前へ出た。
「戦う」
レグルが低く唸る。
セラが杖を握る。
「支えます」
そしてポヨンが、
ぽよん。
と一度だけ跳ねた。
ノアは思わず笑った。
「ポヨンは何て言ってるの?」
「おそらく……」
ミレアが少しだけ間を置く。
「いつも通りです」
「そっか」
ノアはルナの前にしゃがみ込んだ。
「ルナ。王様になったからって、何でも一人で決めなくていいからね」
ルナはノアを見る。
「分かってる」
「人間と戦うことも?」
「……うん」
ルナの瞳に、わずかな光が宿る。
「この場所を壊そうとするなら、戦う」
その言葉に、ノアは何も言わなかった。
これまでのルナは、守られる側だった。
だが、今は違う。
自分の意思で、この場所を守ろうとしている。
それなら、ノアが止める理由はない。
「分かった。じゃあ、私も手伝う」
ルナが小さく笑った。
その瞬間、古代施設の奥からさらに巨大な文字が浮かび上がった。
『王国形成――準備段階』
『必要条件』
『王領――確保』
『王軍――編成』
『四守護軍――準備可能』
ノアはその文字を見つめた。
「四守護軍……」
ミレアが続ける。
「現在の四精鋭には、それぞれ軍団を編成する権限が与えられるようです」
「軍団って……」
「王直属の四軍です」
ノアはガルド、レグル、セラ、ポヨンを見る。
今までは四体だけだった。
けれど、これからは違う。
四精鋭それぞれが、数百、数千の魔物を率いることになる。
ガルドの後ろには戦士たち。
レグルの後ろには巨大な守護魔獣たち。
セラの後ろには魔法を操る魔物たち。
そしてポヨンの後ろには――何が集まるのか、ノアには想像もつかなかった。
「……本当に王国になっちゃうんだ」
ノアが呟く。
ルナは静かに頷いた。
「私たちの国を作る」
その言葉が響いた瞬間、洞窟の各地から魔物たちの鳴き声が聞こえてきた。
まるで、新しい王の誕生を感じ取ったかのように。
そして地上では、敗れた聖騎士団からの報告を受けた王国が、さらなる軍を動かし始めていた。
人間側も、もう引き返せないところまで来ている。
これまでの戦いは、まだ前哨戦にすぎなかった。
次に人間が送り込んでくるのは、単なる調査隊でも聖騎士団でもない。
国そのものが持つ戦力。
それに対して、魔物側も初めて軍を持つ。
小さな洞窟から始まった場所は、今まさに一つの国へ変わろうとしていた。
その中心に立つ黒い子猫――ルナは、静かに前を見つめていた。
そしてノアは、そんなルナの隣で小さく息を吐く。
「……忙しくなりそうだね」
ルナは答えなかった。
ただ、王として初めて踏み出すように、一歩だけ前へ進んだ。




