第91話 敗北の代償と、動き始めた王国
王国軍との戦いから一夜が明けた。
洞窟には、昨日までとは違う空気が流れていた。百二十人を超える王国軍が攻め込んできたにもかかわらず、ダンジョン側の被害はほとんどない。一方、王国軍は多数の死傷者を出し、武器や防具、魔導兵器まで大量に失っていた。戦場となった洞窟入口から中央広間にかけては、砕けた盾や折れた槍、ひしゃげた鎧の破片が散らばっている。
ノアはその光景を眺めながら、小さく息を吐いた。
「……本当に、すごいことになったね」
「敵軍の戦力を考えれば、当然の結果とも言えます」
隣に立つミレアが淡々と答える。
「ガルドの攻撃能力、レグルの防御能力、セラの魔力操作能力。その三つが連携した場合、現在の王国軍では正面から対抗するのは困難でしょう」
「私もそう思う」
ノアは少し離れた場所にいる三体を見る。ガルドは壊れた武器を素材として使えないか調べている。レグルは広間の入口に座り、巨大な身体を休めていた。セラは負傷して動けなくなった王国兵たちの治療を続けている。
そして、その近くではポヨンが跳ねていた。
丸い身体に短い手足。大きな目。毛とも皮膚ともつかない柔らかな灰色の表面。その身体は以前より少しだけ紫色の光を帯びているが、種族としては今も洞窟に自然発生した低級魔物――小さなポヨンだ。
ぽよん。
ぽよん。
「……昨日の戦いの後とは思えないね」
ノアが笑う。
ポヨンは何も気にしていないらしい。
ただ楽しそうに跳ねている。
「それで、捕まえた人たちは?」
「現在、中央広間の一角に集めています。負傷者の治療も進んでいます」
「じゃあ、話を聞こう」
ノアは王国軍の兵士たちが集められている場所へ向かった。
その中には、昨日ガルドと戦った騎士隊長の姿もあった。鎧は外され、身体には包帯が巻かれている。セラの治療によって命に別状はないが、しばらく戦える状態ではない。
ノアが前に立つと、騎士隊長は鋭い目を向けた。
「……お前が、このダンジョンの主か」
「そうだよ」
「これだけの戦力を隠していたとはな」
「隠していたわけじゃないけど」
ノアは少し困ったように答える。
「私たちを攻撃してきたのはそっちでしょ?」
「……王国の命令だ」
「何のため?」
騎士隊長はしばらく黙っていたが、やがて答えた。
「この地域で異常な魔力反応が確認された。さらに大量の魔石が採掘されていることも判明した。王国としては、危険なダンジョンを放置することはできない」
「危険だから?」
「それだけではない」
騎士隊長が視線を逸らす。
「魔石は王国にとって重要な資源だ」
ノアは黙った。
やはりそういうことだった。
「つまり、私たちが住んでいる洞窟に価値があるから、奪いに来たんだ」
「……そう考えてもらって構わない」
「だったら話は簡単だね」
ノアは立ち上がった。
「ここは渡さない」
騎士隊長がノアを見る。
「王国は諦めないぞ」
「それなら、また戦うだけだよ」
ノアは静かに言った。
「私たちは先に王国へ攻め込んだわけじゃない。ここで暮らしているだけ。それなのに、武器を持って攻めてきたなら、次も同じように迎え撃つ」
騎士隊長は何も答えなかった。
ノアはその場を離れ、ミレアへ声をかける。
「武器と防具は全部回収しておこう。使えるものは素材にしたい」
「承知しました」
「魔石や魔導兵器に魔力が残っているなら、それも確認して」
「はい」
敵が残していったものも、ダンジョンを成長させる資源になる。
今回の戦いで、王国軍はノアたちに大きな被害を与えられなかった。それどころか、大量の武器と魔力資源まで残していった。
結果だけを見れば、ダンジョンにとっては大きな利益だった。
だが、ノアは浮かれてはいなかった。
「ミレア」
「はい」
「王国は、もう一度来るよね」
「可能性は極めて高いです」
「今度はもっと強いのが来るかな」
「今回の敗北を受ければ、王国も戦力を再検討するでしょう。通常の騎士団だけでは勝てないと判断する可能性が高いです」
「勇者とか?」
「その可能性も否定できません」
ノアは苦笑した。
「そこまで来ると、いよいよダンジョン攻略って感じだね」
その頃、王都ではノアが予想した通りの会議が行われていた。
「百二十六名を投入して、この結果か」
王国軍の幹部が報告書を机へ叩きつける。
「はい。死者三十一名。重傷者四十二名。その他にも多数の負傷者が出ています」
「魔物相手に、だぞ?」
「通常の魔物ではありません」
報告役の魔術師が震える声で続ける。
「炎を纏う斧使い。黒銀の巨体。魔力そのものを変換する魔物。確認できただけでも三体の上位個体が存在します。さらに、それらを統率するダンジョンマスターがいる」
「人間なのか?」
「外見は人間の少女です。しかし、魔物たちは彼女の命令に従っています」
会議室が静まり返る。
「ならば、次はダンジョンマスターを狙うべきだ」
一人の将軍が言った。
「精鋭を一気に送り込み、指揮官を殺す。それで終わる」
「簡単ではありません」
別の男が反論する。
「前回の戦いでは、あの黒銀の魔物が通路を塞ぎ、魔術師は紫色の魔物によって無力化された。さらに、炎の斧使いは重装騎士を一撃で撃破している」
「紫色の魔物?」
「灰色の小型魔物です。戦場では紫色の魔力を帯びていたとの報告があります」
「それが戦況を変えたのか?」
「直接攻撃したわけではありません。しかし、あの魔物が動いた直後に魔導兵器同士が衝突しています」
「偶然だろう」
「……そうかもしれません」
報告した魔術師は、言葉を濁した。
ただ、彼は戦闘記録に残された一つの共通点を気にしていた。
あの灰色の魔物がいる場所では、なぜか予想外の出来事が起きる。
それが偶然なのか、能力なのか。
まだ誰にも分からない。
「次の部隊には魔法封じを用意しろ。大型個体への対策も必要だ。さらに、あの小型魔物を最優先で排除する」
こうして王国側では、次の討伐計画が始まった。
一方、洞窟では戦場の片付けが進んでいた。
ゴブリンたちが壊れた武器を運び、鉱石を扱う場所へまとめている。クロウとルゥは入口周辺を調べ、モラは地面に埋まった金属片を探していた。
そんな中、ポヨンが一つの場所で立ち止まった。
その前には、王国軍が使用していた魔導兵器の残骸がある。
「ぷる?」
ポヨンが首を傾げる。
そして、短い手で金属片を押した。
カラン。
金属片が転がる。
ポヨンは追いかける。
カラン。
別の金属片へぶつかる。
カラン、カラン。
「……何してるの?」
ノアが近づいてくる。
「ぷる」
「遊んでるだけ?」
「ぷる!」
どうやら、そのようだった。
ノアは苦笑して見守る。
ポヨンは金属片を集めているわけでも、何かを探しているわけでもない。ただ、転がる金属片を追いかけて遊んでいる。
ところが、偶然にも三つの金属片が重なった。
カチッ。
小さな音がする。
「ん?」
ノアが顔を上げる。
金属片の一つが淡く光った。
「ミレア」
「確認します」
ミレアが近づく。
金属片の表面に、古い紋章が浮かび上がっていた。
王冠。
その下に四つの印。
さらに、その下には古代文字が刻まれている。
「解析結果を報告します」
「何て書いてある?」
「『王位継承者認証用――補助鍵』」
ノアの表情が変わった。
「王位継承者……」
その言葉で思い浮かぶのは一匹しかいない。
ルナ。
黒い子猫のような姿をした、未来の王。
地下に残された古代施設。
王位継承因子。
人界接続路。
かつて人間と魔物が交易していた記録。
それらが、少しずつ一本の線になり始めている。
「この金属片、昔のものだよね?」
「現在の王国軍が使用している装備とは構造が異なります。古代の技術によって作られた可能性が高いです」
「じゃあ、王国軍が古代施設を使っていたってこと?」
「そこまでは断定できません。ただし、今回の王国軍が持ち込んだ装備に古代技術の一部が残っていた可能性はあります」
ノアは金属片を見つめる。
そのとき、ポヨンが再び金属片を押した。
「ちょっと、ポヨン」
カラン。
金属片が動く。
カチッ。
また一つ、別の金属片と噛み合った。
すると今度は、地下から微かな振動が伝わってきた。
ゴゴゴゴ……。
「え?」
ノアが床を見る。
ミレアがすぐに反応した。
「地下第三層から魔力反応を確認」
「何か起動した?」
「はい。既存の古代設備の一部が再接続されています」
ノアは少しだけ目を細めた。
「また古代施設……」
新しい施設を探したいわけではない。
すでに見つかっているものだけでも、まだ分からないことが多すぎる。
「行ってみよう」
ノアが歩き出す。
ポヨンも後ろからついてくる。
「ポヨン」
「ぷる?」
「今回は、変なものを押さないでね」
「ぷる!」
「……まあ、期待しないでおこう」
地下へ続く階段を下りていく。
やがて、以前セラの魔力によって再接続された古代研究施設が見えてきた。
しかし、以前とは違う。
施設の中央にある装置へ、淡い光が集まっている。
そして、その光の中心には一つの文字が浮かび上がっていた。
『王位継承者――認証準備』
ノアは足を止めた。
「……ルナを呼んでる?」
「その可能性があります」
ミレアが答える。
「ただし、認証条件はまだ満たされていません」
「何が足りないの?」
ミレアが解析する。
「――四つの守護権限」
ノアの背後で、ガルドが低く唸った。
レグルが顔を上げる。
セラの魔力がわずかに揺れる。
そしてポヨンが、何も分かっていない顔でノアの足元へ座り込んだ。
ノアは四体を見た。
攻撃。
防御。
魔力。
幸運。
かつて古代施設で示された、王を支える四つの力。
「……やっぱり、私たちのことなのかな」
「可能性は高いです」
ノアはしばらく考えた。
だが、すぐに答えを出すことはしなかった。
「まだルナは王になったわけじゃないからね」
ノアは装置へ手を伸ばさず、そのまま引いた。
「急いで認証させる必要はない。ルナ自身がどうするか、それを決めるまでは」
古代装置は静かに光り続けている。
そしてその頃、王都では新たな討伐計画が進んでいた。
今度の相手は、ただの騎士団ではない。
王国は、ダンジョンを倒すためにこれまでとは違う戦力を投入しようとしていた。
次の戦いは、これまでとは規模が違う。
ノアはまだ知らない。
次に洞窟へやってくる者たちが、王国の中でも特別な役割を持つ者たちになることを。




