第90話 ダンジョンを攻める者たち
王国騎士団が撤退してから二日。洞窟の中には、妙な緊張感が漂っていた。
クロウが戻ってきたのは昼を少し過ぎた頃だった。入口付近まで偵察に出ていたクロウは、いつもより荒い息を吐きながら地下施設へ戻ってくる。その様子を見ただけで、ノアは何かが起きたことを察した。
「クロウ。今度は何人?」
クロウが低く唸る。
そして前足で地面を何度か叩いた。
「……多い?」
クロウが頷く。
「ミレア」
「確認します。現在、洞窟入口から接近する魔力反応を多数確認。前回までの部隊とは規模が違います」
「どれくらい?」
「およそ百二十名」
ノアは一瞬、言葉を失った。
「百二十……?」
「そのうち騎士が約八十。魔術師が二十。残りは治癒術師、斥候、補給担当と思われます。また、大型の魔力反応が三つあります」
「大型?」
「魔導兵器、もしくは大型魔物を拘束して運用している可能性があります」
ノアはゆっくりと息を吐いた。
前回までとは明らかに違う。偵察ではない。威嚇でもない。
これは、最初からダンジョンを落とすつもりの軍勢だ。
「王国も本気になったんだね」
セラがノアの隣へ歩いてくる。
「ノア様、迎撃準備を進めますか?」
「うん」
ノアは迷わず頷いた。
「今回は逃がさない」
その言葉を聞いたガルドが、手にした斧を強く握る。
レグルも静かに立ち上がった。
以前ならノアは、相手を傷つけすぎない方法を考えていたかもしれない。しかし、何度も警告した。それでも王国は兵を送り込み、今度は百人を超える戦力で自分たちのダンジョンを奪いに来た。
ならば、こちらもダンジョンとして戦う。
「雑魚の魔物たちは奥へ移動させよう。ゴブリンもスライムも、今回は戦わせなくていい」
「了解しました」
「クロウとルゥは周辺警戒。モラは地下側の安全確認。シエルはルナの近くにいて」
次々と指示を出していく。
そして最後に、四体の精鋭を見る。
「ガルド」
ガルドが前へ出る。
「正面を任せる。敵が攻めてきたら、遠慮しなくていい」
ガルドが低く唸った。
「レグルは中央防衛。セラは魔術師を止める。ポヨンは……」
「ぷる?」
紫色の身体が揺れる。
ノアは少し考えた。
「好きに動いていい。ただし、危険な場所には近づかないこと」
「ぷる!」
「……その返事、本当に信用していいのかな」
ミレアが淡々と答える。
「これまでの行動記録から判断すると、信用率は低いです」
「だよね」
ノアは苦笑した。
そのとき、地下施設の奥で一つの召喚石が淡く光った。
「……あ」
ノアが振り返る。
残していた召喚石だ。
今こそ使うべき時なのかもしれない。
「ミレア。召喚石を起動する」
「対象を選択してください」
「セラと相性が良くて、魔力に特化した個体がいい」
召喚石が強く輝く。
光が収束し、魔法陣の中央に一体の魔物が現れた。
白銀の毛並み。
細長い身体。
背中には半透明の六枚の翼。
額には小さな青い角が一本生えている。
「鑑定」
ミレアが解析する。
「種族――セレスティアルウィスプ。魔力適性、極めて高い。固有能力――【魔力変換】」
「魔力変換?」
「受けた魔力を自身の魔力へ変換する能力です。また、変換した魔力を周囲へ供給することも可能です」
ノアはセラを見る。
セラもその魔物をじっと見つめていた。
「……これ、セラと相性いいんじゃない?」
「非常に高いと考えられます」
ノアは召喚された魔物を見る。
「ごめんね」
魔物は不思議そうに首を傾げた。
「あなたの力は、セラの中で生きてもらう」
配合炉へ向かう。
セラも静かについてきた。
ノアはセレスティアルウィスプを配合炉へ送り込む。そして、魔力を流した。
青白い光が炉の中を満たしていく。
セレスティアルウィスプの身体が光へ変わる。
六枚の翼がほどけ、無数の魔力粒子となってセラへ吸い込まれていった。
セラの身体が大きく震える。
「魔力反応、急上昇」
ミレアの声が響く。
「セラの既存能力と新規能力が融合しています」
「何が生まれる?」
「確認中――」
光が弾けた。
セラの周囲に、無数の小さな魔力球が浮かび上がる。
それらは一つずつ色を変えながら、セラの周囲を回転していた。
「新能力を確認しました」
ミレアが告げる。
「【魔力変換循環】。周囲から取り込んだ魔力を自動的に変換し、最適な属性へ再構成します」
「つまり?」
「火、水、風、土など、必要な属性へ魔力そのものを変換できます」
ノアの目が輝いた。
「それって、かなり強いんじゃない?」
「非常に強力です。また、変換した魔力を味方へ供給することも可能です」
セラが自分の手を見る。
「ノア様」
「どう?」
「……以前より、世界が近く感じます」
「世界?」
「魔力が、どこに流れているのか分かります」
セラが手を伸ばす。
すると地下施設全体を流れる魔力が、薄い光の線となって浮かび上がった。
ノアは息を呑んだ。
セラは単に魔力が増えたわけではない。
ダンジョンそのものの魔力を感じ取り、必要な場所へ流せる存在になっている。
「これなら、今日の戦いでも頼りになりそうだね」
「はい」
セラが頷いた。
その直後だった。
地上から、轟音が響いた。
ドォォォン!
地下施設の天井から小さな石が落ちてくる。
「始まった……」
ノアが立ち上がった。
洞窟入口から大量の兵士が侵入してくる。
先頭には重装騎士。
その後ろには魔術師。
さらに大型の魔導兵器が続いていた。
「全軍、進め!」
騎士隊長の号令が響く。
「ダンジョンマスターを討伐し、魔石鉱床を確保する!」
ノアは遠くからその声を聞いていた。
「……魔石鉱床を確保、か」
ノアの表情から笑みが消える。
「ここを奪うつもりなんだね」
ガルドが前へ出る。
「行って」
ノアが短く言った。
「全部止めて」
次の瞬間、ガルドが地面を蹴った。
爆発するような速度だった。
先頭の重装騎士が盾を構える。
「受け止めろ!」
十人以上の騎士が巨大な盾を並べる。
ガルドの斧が振り下ろされた。
ドゴォォォン!
盾が一斉に砕け散る。
騎士たちが吹き飛ばされ、洞窟の壁へ叩きつけられた。
「なっ……!」
そのままガルドが突っ込む。
一人。
二人。
三人。
次々と騎士が倒れていく。
防具ごと吹き飛ばされる者、武器を叩き落とされる者、衝撃で意識を失う者。
ガルドは止まらない。
「前回のようにはいかん!」
騎士隊長が巨大な剣を構え、ガルドへ斬りかかった。
ガキィン!
ガルドが斧で受け止める。
「ほう……」
騎士隊長が笑う。
「今度は私が――」
次の瞬間、ガルドの身体から赤い闘気が噴き上がった。
【闘争蓄積】。
これまでの戦闘で蓄積された動きと衝撃が、一撃へ集中する。
「終わりだ」
ガルドの斧が振り抜かれた。
騎士隊長の剣が折れる。
鎧が大きくへこみ、その身体が十メートル以上吹き飛んだ。
壁へ激突し、そのまま動かなくなる。
「隊長!」
後方が騒然となった。
その混乱を利用して、魔術師たちが一斉に詠唱を始める。
「魔法部隊、撃て!」
炎。
氷。
雷。
風。
数十の魔法が一斉に放たれた。
しかし、そのすべてが途中で止まった。
「……え?」
魔法の軌道が歪む。
炎は水へ。
雷は光へ。
氷は霧へ。
無数の魔法が、セラの前で形を変えて消えていった。
「何をした!」
魔術師たちが叫ぶ。
セラは静かに手を下ろす。
「魔力を、変換しました」
その瞬間、セラの周囲に浮かんでいた魔力球が一斉に動く。
魔術師たちの足元へ、魔力の奔流が走った。
魔法そのものを壊すのではない。
術式を構成する魔力だけを奪い、無力化する。
魔術師たちは次々と膝をついた。
「魔法が……使えない!」
「魔力が吸われている!」
レグルがその横を通り過ぎる。
逃げようとした騎士が槍を突き出す。
レグルは避けなかった。
槍が身体へ突き刺さる。
だが、黒銀の身体には傷一つない。
次の瞬間、レグルの身体へ蓄積された衝撃が解放された。
ドンッ!
騎士が吹き飛ぶ。
さらに別の騎士が斬りかかる。
レグルが腕を振る。
それだけで数人がまとめて倒れた。
そして戦場の中央では、ポヨンが跳ねていた。
ぽよん。
ぽよん。
「……あれは何してるんだろう」
ノアが呟く。
ポヨンは戦っていない。
ただ、戦場の端を楽しそうに跳ねている。
ところが、その直後だった。
魔導兵器の一台がポヨンを避けようとして、ほんの少しだけ進路を変えた。
「ん?」
その先にいたのは、味方の魔導兵器だった。
ゴンッ!
二台が衝突する。
「な、何をしている!」
片方の魔導兵器が倒れ、その砲身が別の方向を向く。
そして――。
ドォォォン!
放たれた魔力砲が、王国軍の後方へ突き刺さった。
補給物資が吹き飛ぶ。
魔力回復薬が砕け、地面へ流れ落ちる。
「……」
ノアは黙ってポヨンを見る。
「ポヨン」
「ぷる?」
「今回は何もしてないんだよね?」
「ぷる!」
本人は本当に何もしていない顔だった。
しかし、その偶然によって王国軍の補給線が完全に崩れた。
前衛と後衛が分断される。
指揮系統も乱れた。
そこへガルドが突っ込む。
レグルが道を塞ぐ。
セラが魔法を封じる。
王国軍は一気に崩壊した。
「撤退しろ!」
誰かが叫んだ。
だが、今回は逃がすつもりはない。
ノアが静かに指示を出す。
「入口を塞いで」
レグルが動く。
巨大な身体が洞窟の通路を完全に塞いだ。
「逃げ道は一つも残さないで」
ガルドが斧を肩へ担ぐ。
セラが魔力を整える。
王国軍の兵士たちは、そこで初めて理解した。
今回の相手は、単なる魔物の群れではない。
明確な意思を持ったダンジョンだ。
そして、その支配者は自分たちを逃がすつもりがない。
数十分後。
戦闘は終わった。
百二十名を超える王国軍のうち、戦闘不能者は七十名以上。
死者も出た。
残った者たちは武器を捨て、完全に戦意を失っていた。
ノアは倒れた騎士たちを見下ろす。
「侵入して、攻撃してきたのはあなたたちだからね」
誰も答えない。
「ここは私のダンジョン。次に同じことをしたら、もっと厳しい結果になる」
ノアはそう告げると、武器を捨てた者たちだけを拘束させた。
そして、倒れた者たちの治療をセラへ任せる。
「敵だけど、死んでいる人を放置する必要はないから」
「承知しました」
セラが治癒魔法を使う。
その光景を見ながら、ノアは洞窟の入口へ視線を向けた。
今回の戦いで、王国軍は大きな損害を受けた。
もう単なる「魔物が住み着いた洞窟」だとは考えないだろう。
次に来るのは、もっと大きな何かになる。
その予感だけは、ノアにも分かっていた。
そして地下施設では、ポヨンが何食わぬ顔で跳ねていた。
ぽよん。
ぽよん。
そのたびに、床へ転がった王国軍の紋章入りの金属片が、妙な方向へ少しずつ移動していく。
ノアはまだ気づいていない。
それらが偶然、いくつもの金属片を一つの形へ組み上げ始めていることに。




