第9話 最初の配合
古びた本が、ノアの目の前で静かにページを開いていた。何百年もの間、誰にも触れられていなかったはずなのに、紙は不思議なほど綺麗だった。表紙に積もっていた埃さえ、先ほど配合炉が起動した瞬間に吹き飛んでいる。何より奇妙なのは、そこに刻まれている文字だった。古代の配合施設に残された書物なら、当然ミレアにしか読めない古代文字だと思っていた。ところが本に浮かび上がった文章は、ノアが普段使っている言葉そのものだった。
【第一配合記録】
【最初に作るべき魔物――】
そこで文章が途切れている。
「……最初に作るべき魔物?」
ノアが首を傾げる。
「はい。続きがありません」
ミレアも本を覗き込む。
「おそらく、配合条件を満たさなければ次のページが表示されない仕組みでしょう」
「条件って?」
「この本自体が配合炉と連動している可能性があります。記録を読むためには、必要な魔物や素材を用意しなければならないのかもしれません」
「じゃあ、何を用意すればいいの?」
「そこが問題です」
ミレアが本を調べる。
ページをめくっても白紙ばかりだった。次のページにも、その次にも何も書かれていない。試しに本を閉じて開き直しても変化はない。
「うーん……」
ノアは腕を組んだ。
せっかく配合炉を見つけたのに、いきなり行き止まりだ。
「普通の配合なら、何を組み合わせればいいか分かるんだよね?」
「はい。現在知られている一般的な配合なら、魔物の種族相性や魔力特性を解析することで、おおよその結果を予測できます」
「でも、これは古代の配合炉」
「ええ。現代の配合とは仕組みが違う可能性があります」
ノアは配合炉を見る。
中央の透明な容器。
その両脇に立つ金属柱。
床に刻まれた巨大な魔法陣。
何百年も前に作られたものとは思えないほど、精巧な設備だった。
「……ねえ、ミレア」
「はい」
「私たちの魔物を入れてみたら、何が起こるか分かる?」
「おすすめしません」
「即答だね」
「当然です。仮に配合が成立した場合、素材となった魔物が別の存在へ変化する可能性があります。つまり、ポムやガルドを失うことになるかもしれません」
ノアは慌てて首を振った。
「それは駄目」
「はい。ですから、まずは安全な方法で確認しましょう」
「安全な方法?」
「不要な素材を使うのです」
ノアが考える。
「魔物じゃないものでもいいの?」
「配合炉が何を素材として認識するか確認するだけなら、魔石や薬草などを使える可能性があります」
「じゃあ、試してみよう」
ノアは持っていた小さな魔石を取り出した。
「これを入れてみる」
「待ってください」
「何?」
「一応、記録しておきましょう。古代設備が何をするのか分からない以上、何が起きても対応できるようにします」
「……ミレアって、こういうときだけすごく慎重だよね」
「普段から慎重です」
「そうかな?」
「そうです」
ノアは笑いながら魔石を配合炉の中央へ置いた。
透明な容器の中へ魔石が落ちる。
すると、床の魔法陣が淡く光った。
【素材を確認】
【魔力結晶:低品質】
【配合素材として認識】
ノアが目を丸くする。
「本当に素材になるんだ」
「そのようです」
続いて、魔法陣の中央に別の表示が現れた。
【配合対象を一つ選択してください】
「一つ?」
「魔石だけでも配合できるようです」
「じゃあ、何になるの?」
「現時点では不明です」
ノアは少し悩んだ。
魔石一個で何かが生まれるなら、やってみたい。
だが、ミレアが警戒しているのも分かる。
「……やめておこう」
「賢明です」
「だって、何が出てくるか分からないし」
「はい」
「今は魔物を増やすことより、この施設の仕組みを知るほうが大事だよね」
ノアが魔石を取り出そうとした、そのときだった。
突然、部屋の隅から物音がした。
「……え?」
ノアが振り返る。
クロウが立ち上がった。
耳を立て、低く唸っている。
「誰かいる?」
ノアの声に、返事はない。
ガルドが短剣を抜いた。
ルゥが身体を低くする。
ポムもいつになく警戒している。
ミレアが周囲を確認した。
「生命反応はありません」
「じゃあ、何?」
「魔力反応があります」
その瞬間、部屋の奥に置かれていた棚が揺れた。
ガタン。
古びた本が一冊、床へ落ちる。
ノアはゆっくり近づいた。
「これ……?」
本を拾う。
表紙には何も書かれていない。
開いてみる。
最初のページは白紙だった。
ところがノアが触れた瞬間、文字が浮かび上がる。
【第一配合素材】
【魔力を宿す生物】
ノアは目を瞬く。
「……魔力を宿す生物?」
「はい」
ミレアが覗き込む。
「かなり曖昧な条件ですね」
「つまり、魔物ならいいの?」
「おそらく」
ノアは自分の仲間を見る。
ポム。
ガルド。
ルゥ。
クロウ。
そしてモラ。
誰かを素材にするなんて考えられない。
「でも、仲間を配合するのは嫌だよ」
「私も同意します」
ミレアが頷く。
「配合は強力な手段ですが、必ずしも既存の仲間を消費する必要はありません。野生の魔物や召喚で得た魔物を増やしてから、配合用の個体を用意する方法もあるでしょう」
「じゃあ、まず魔物を増やす必要があるんだ」
「そうなります」
ノアは考え込む。
今のダンジョンには五体の魔物がいる。
だが、配合に使える余裕などない。
戦力を削れば、次の冒険者に襲われたとき危険だ。
「……召喚石、また欲しいな」
「現在、購入できるポイントはありません」
「だよね」
ノアは肩を落とす。
そのときだった。
モラが突然、配合炉の横にある壁へ走っていった。
「モラ?」
「ぷるっ!」
モラが壁を叩く。
コン。
コン。
そして鼻を近づける。
ノアは嫌な予感がした。
「……また何かある?」
「ぷ」
モラが掘り始める。
「やっぱり……」
ガリガリガリッ。
土が崩れる。
モラの身体が壁の中へ消えていく。
「ちょっと待って! 今度は何を見つけたの?」
数秒後。
モラが戻ってきた。
口には小さな袋を咥えている。
「それは……」
ノアが袋を受け取る。
中には、小さな魔石が十個ほど入っていた。
「魔石……?」
「確認します」
ミレアが鑑定する。
「低品質ですが、魔力は残っています」
「十個も?」
「はい」
ノアは呆然とする。
「また見つけた……」
ミレアがモラを見る。
「この魔物、採掘能力だけではありません。地中の魔力を感知しているため、隠された資源を見つけているのでしょう」
「つまり、モラを連れてきたのも……」
「非常に運が良かった、と言えます」
ノアは笑った。
「幸運って便利だね」
「便利という言葉で片付けていい能力なのか、少し疑問になってきました」
ミレアが苦笑する。
しかし、ノアは気づいていなかった。
そのとき配合炉の中央に置かれた魔石が、ほんの少しだけ光ったことに。
そして、本の白紙だったページに、新たな文字が浮かび上がったことにも。
【必要素材を確認】
【魔力結晶×十】
【条件達成】
ノアが気づいたのは、次の瞬間だった。
「……あれ?」
本のページが勝手にめくれている。
パラパラと何十ページも飛んでいき、ある場所でぴたりと止まった。
そこには、はっきりとした文章が書かれていた。
【第一配合】
【スライム系魔物】
【ゴブリン系魔物】
【魔力結晶×十】
ノアは目を見開いた。
「……スライムとゴブリン?」
ポムが「ぷる?」と首を傾げる。
ガルドも自分を指差した。
「ガルド?」
「うん。たぶんガルドの種族が使えるってことだと思う」
ノアは二体を交互に見る。
「でも、これって……」
「一般的な配合にも存在する組み合わせですね」
ミレアが記録を読む。
「ただし、この施設のレシピには続きがあります」
「続き?」
【通常配合】
【成功率――七十三パーセント】
【特殊条件を満たした場合――】
そこから先が、また白紙だった。
「特殊条件?」
「まだ条件が開示されていません」
ノアは考え込んだ。
スライムとゴブリン。
ポムとガルド。
どちらも大切な仲間だ。
「やっぱり、今は配合しない」
「はい」
「ちゃんと二体以上に増やしてからにしよう」
「それが安全です」
ノアは本を閉じた。
その直後。
ダンジョンコアが光った。
【条件達成】
【配合炉の第一段階が解放されました】
【配合候補を一件登録】
【特殊配合条件の探索を開始します】
ノアは目を丸くする。
「……勝手に探索するんだ」
「そのようですね」
「じゃあ、いつか特殊配合もできる?」
「条件が分かれば可能でしょう」
ノアは配合炉を見つめた。
今はまだ、何ができるのか分からない。
それでも、少しずつ道が見えてきた。
仲間を増やす。
魔石を集める。
配合の研究をする。
そして、ダンジョンそのものを強くする。
これなら、自分にもできるかもしれない。
戦えなくてもいい。
剣を持てなくてもいい。
自分には、自分だけの戦い方がある。
「よし」
ノアは拳を握った。
「まずは、魔物を増やそう」
その瞬間、配合炉の奥で小さな音がした。
カチッ。
誰も触れていないはずの装置が、一度だけ作動する。
そして、配合炉の表示に新しい文字が浮かび上がった。
【特殊配合候補:一件】
【発見確率――極低】
【条件成立時、特殊個体が生成されます】
ミレアはそれを見つめたまま、静かに呟いた。
「……極低、ですか」
「どうしたの?」
「いえ。何でもありません」
ノアは気づかなかった。
まだ誰も知らない。
この配合炉に残された特殊配合が、現代の配合師なら一生かけても発見できないほどの低確率であることを。




