第88話 次の戦いに備えて
王国の調査隊が帰った翌日、洞窟には妙な緊張感が漂っていた。魔物たちは普段通りに生活している。水場ではスライムが跳ね、ゴブリンたちは採掘した魔石を運び、奥では小型の魔獣が餌を探している。表面上は何も変わっていない。だが、ノアだけは分かっていた。昨日までとは違う。人間側は、この洞窟の存在を知った。
「次は、もっと大きな集団が来るよね」
「可能性は高いです。昨日の調査隊は戦力の確認が目的だったと思われます。彼らの報告を受けて、次はより大規模な討伐部隊が派遣される可能性があります」
「やっぱりそうか」
ノアは配合炉の前に立った。炉は静かに稼働準備を整えている。周囲には大量の魔石が積まれていた。以前なら一度の配合に使う魔力を心配していたが、今は魔力貯蔵核が安定し、魔石鉱床からの採掘量も増えている。封印されていた魔物から放出された魔力も、洞窟全体に残っていた。
資源はある。
設備もある。
あとは使うだけだった。
「まず、ガルドを強くしよう」
ガルドが反応する。
斧を肩に担いだまま、ノアの前へ歩いてきた。
「前回のブレイズグリフォンとの配合で、かなり強くなった。でも、人間側が次に来るなら、まだ足りない」
ガルドが低く唸る。
「今回は、攻撃力だけじゃない」
ノアは一つの召喚石を取り出した。
ブレイズグリフォンを呼び出したときとは別の召喚石。表面には細かな亀裂が入っているものの、内部にはまだ強い魔力が残っている。
「この中にいる魔物が、ガルドに合うとは限らない。でも、召喚してみる」
「承知しました」
ミレアが召喚石を確認する。
「現在の魔力環境なら、召喚には問題ありません」
「じゃあ、いこう」
ノアが魔力を流した。
召喚石が震える。
内部から赤い光が漏れ、床へ魔法陣が広がっていく。前回のような巨大な爆発は起こらなかった。代わりに、魔法陣の中央へ黒い煙が集まり、その中からゆっくりと一体の魔物が姿を現した。
四本の脚。
鋭い爪。
黒に近い赤色の皮膚。
そして、背中には二本の短い角が生えている。
体格はガルドより小さい。しかし、身体から放たれる圧力は強かった。
「ミレア」
「鑑定します。種族――ブラッドオーガ。身体能力、非常に高い。筋力特化。固有能力――闘争加速」
「闘争加速?」
「戦闘が長引くほど、身体能力が徐々に上昇します。ただし、冷静な判断能力が低下する傾向があります」
ノアは腕を組んだ。
「強いけど、扱いにくそう」
「はい。単体での運用には注意が必要です」
ガルドがブラッドオーガを見つめる。
ブラッドオーガもガルドを見る。
二体の視線がぶつかった。
「……相性は?」
「確認します」
ミレアが分析を続ける。
「ガルドとの適合率――九十四パーセント」
「高い」
「特に、ガルドが持つ灼熱闘気との親和性が高いようです」
ノアの目が輝いた。
「じゃあ、決まり」
ブラッドオーガを配合素材にする。
ノアは迷わなかった。
「ガルド。力を借りるよ」
ガルドが一歩前へ出る。
ブラッドオーガは唸り声を上げた。
次の瞬間、二体を配合炉が包み込んだ。
ゴォォォ……。
赤い光が炉の内部を満たしていく。
ブラッドオーガの筋肉が魔力へ変換され、赤黒い粒子となってガルドへ流れ込んでいく。ガルドの身体に宿る灼熱闘気が激しく燃え上がった。
「魔力反応が急激に上昇しています」
「大丈夫?」
「配合そのものは安定しています。ただし、ガルドの闘争本能が強く刺激されています」
「ガルド!」
ノアが呼ぶ。
炉の中でガルドが顔を上げる。
「私の声、聞こえる?」
ガルドの赤い瞳がノアを捉えた。
数秒後。
ガルドはゆっくりと頷いた。
「よし」
ノアは息を吐いた。
配合炉の光が弱くなっていく。
最後に、巨大な炎がガルドの身体を包み込んだ。
ドンッ!
配合炉の扉が開く。
ガルドが姿を現した。
以前より筋肉が一回り大きくなっている。腕や肩には赤黒い模様が浮かび、その模様の隙間から熱が漏れていた。
「かなり変わったね」
ミレアが鑑定する。
「身体能力が大幅に上昇しています。さらに、新たな能力を確認しました」
「何?」
「【闘争蓄積】。戦闘中に受けた刺激と自身の攻撃動作を蓄積し、次の一撃へ反映します」
「それって、戦えば戦うほど攻撃が重くなるってこと?」
「一定範囲内では、その認識で問題ありません」
ノアは笑った。
「ガルドらしい」
ガルドが斧を握る。
その瞬間、斧の周囲に赤い炎がまとわりついた。
以前の灼熱闘気とは違う。
炎がただ燃えているのではない。
ガルドの身体の動きに合わせて、炎そのものが圧縮されている。
「試してみる?」
ノアが訓練用の大型ゴーレムを用意する。
ゴーレムが拳を振り下ろした。
ガルドは避けなかった。
腕で受け止める。
ドォンッ!
衝撃が広がる。
ガルドの身体に赤い光が走った。
「今のが蓄積?」
「はい」
「じゃあ、次」
ゴーレムがもう一度攻撃する。
ガルドが斧を振る。
ドゴォン!
斧がゴーレムの腕を叩き砕いた。
ノアが目を丸くする。
「……一撃で?」
「前回よりも攻撃力が大幅に上昇しています」
しかし、ノアはそこで満足しなかった。
「もう一つ試そう」
ガルドへ指示を出し、ゴーレムに連続攻撃をさせる。ガルドは攻撃を受け、避け、受け、反撃する。そのたびに身体へ赤い光が蓄積されていった。
そして十回目。
ガルドが斧を振り抜いた。
ゴォォォン!
ゴーレムの上半身が吹き飛んだ。
ノアは思わず口を開けた。
「……強すぎない?」
「現時点で、単純な攻撃力だけなら以前のガルドを大幅に上回っています」
ガルドが満足そうに斧を肩へ戻した。
ノアは嬉しそうに笑う。
「これなら、次に人間が来ても簡単には負けないね」
だが、そのときだった。
洞窟の入口方向からクロウが戻ってきた。
昨日とは違う。
明らかに焦っている。
「クロウ?」
クロウはノアの前まで来ると、入口方向へ走り出し、すぐに戻ってくる。その動きを何度も繰り返した。
「また人間?」
クロウが頷く。
「もう来たの?」
ミレアが魔力反応を確認する。
「現在、洞窟外に複数の人間が接近しています」
「人数は?」
「昨日より多いです」
ノアの顔から笑みが消えた。
「何人?」
「約三十名」
「……三十」
ノアは入口を見る。
昨日の十六人ですら、かなり警戒していた。それが倍近くいる。
「装備は?」
「重装備の兵士が中心です。また、魔法使いの数も昨日より増えています」
ノアは静かに息を吐いた。
「思ったより早い」
ガルドが斧を握る。
レグルも入口へ向かう。
セラはすでに魔力の流れを整え始めていた。
「今回は、話し合いにはならないかもしれない」
ノアが呟く。
昨日の隊長は撤退した。
そして王国へ報告した。
その結果が、この三十人なのだろう。
ノアは洞窟内を見渡した。
ここには弱い魔物たちが暮らしている。
スライム。
ゴブリン。
小型魔獣。
コウモリ。
彼らを巻き込むわけにはいかない。
「ミレア」
「はい」
「戦う場所を変える」
ノアは洞窟の奥を指差した。
「入口付近には弱い魔物が多すぎる。ここで戦えば、巻き込まれる」
「では、入口から一定距離の場所まで敵を誘導しますか?」
「うん。クロウ、ルゥ。魔物たちを奥へ移動させて」
クロウが走り出す。
ルゥもその後を追った。
「モラにもお願い。危険な場所を避けるように、地下の魔物たちへ知らせて」
モラが地面へ潜っていく。
ノアは四体の精鋭を見る。
「ガルド、レグル、セラ」
三体がノアを見る。
「今回は、昨日より厳しい戦いになると思う。でも、無理に倒す必要はない。相手が撤退するなら追わない。目的は、この洞窟を守ること」
ガルドが斧を鳴らす。
レグルが拳を握る。
セラが静かに頷いた。
「ポヨンは……」
ノアが振り返る。
そこにはいない。
「……あれ?」
周囲を見回す。
「ポヨン?」
「ぷる!」
遠くから声が聞こえた。
見ると、ポヨンはなぜか洞窟入口の方向へ跳ねていた。
「ちょっと待って!」
ノアが追いかける。
だが、ポヨンは止まらない。
ぽよん。
ぽよん。
そして入口近くまで来たところで、ポヨンは突然止まった。
その目の前に、一枚の布が落ちていた。
王国の紋章が入った布だった。
「……これ」
ノアが拾い上げる。
昨日の調査隊が落としたものだろうか。
しかし、ミレアが鑑定した瞬間、表情を変えた。
「ノア様」
「何?」
「これは昨日の調査隊が使用していた布ではありません」
「じゃあ、誰の?」
「王国騎士団の紋章です」
ノアは布を見つめた。
昨日の調査隊より、さらに上の組織。
つまり、今回来る三十人は単なる討伐隊ではない。
「……本気で取りに来たんだ」
洞窟の外から、軍靴の音が響いてくる。
ザッ。
ザッ。
ザッ。
人間たちが入口へ到着した。
「全員、配置につけ!」
低い声が響く。
「対象はダンジョンマスター。そして、未知の高位魔物四体!」
ノアはゆっくりと立ち上がった。
ガルドが前へ出る。
レグルがその隣に立つ。
セラが魔力を集中させる。
ポヨンはノアの足元で、何事もなかったようにぷるぷるしている。
「よし」
ノアは深く息を吸った。
「今度は、本当に守るよ」
洞窟の入口に光が集まる。
王国騎士団の魔法使いたちが、一斉に詠唱を開始した。
そして――。
人間と魔物の本格的な戦いが、始まった。




