第86話 人間たちが動き始めた
古代研究施設で見つかった記録を確認してから、数日が経った。ノアは地下施設の中央で、壁に並んだ古代装置を眺めていた。研究施設の再接続はそれ以上進んでいない。人間側研究施設からの応答もない。だからこそ、ノアはこれ以上古代施設を掘り返すつもりはなかった。
「もう十分だと思う」
「同意します。現在確認できている施設だけでも、魔力貯蔵核、配合炉、研究設備、運命転換炉、第二炉があります。これ以上未知の設備を起動させる必要性は低いでしょう」
「うん。新しい施設を見つけるたびに何か起きてたら、私のほうが落ち着かないよ」
ノアは苦笑した。ここまでの数か月で、洞窟は大きく変わった。自然発生する魔物は増え、魔石鉱床も成長している。魔力貯蔵核は安定して稼働し、配合炉も以前とは比べものにならないほど効率よく使えるようになった。ガルドは攻撃、レグルは防御、セラは魔力という役割が明確になり、ポヨンには幸運という意味の分からないほど強烈な個性がある。そして、その四体を束ねるようにルナがいる。
もう、洞窟を強くするための土台は十分に整っていた。
「なら、次は戦力を増やそう」
ノアが取り出したのは、一つの召喚石だった。
以前ブレイズグリフォンを呼び出したものとは別の召喚石だ。あれほどの強化を一度経験してしまえば、召喚石を使わずに保管しておく理由はない。もちろん、呼び出した魔物をすべて仲間として残すつもりもない。必要なら配合炉で既存の精鋭へ力を引き継がせる。それが今のノアの方針だった。
「今回は誰が出てくるかな」
「召喚結果は事前には判定できません。ただし、現在の洞窟環境では以前より高い適性を持つ個体が生まれる可能性があります」
「それならやってみよう」
ノアは召喚石を台座へ置き、魔力を流した。石の内部に無数の光が走り、地下施設全体が低く唸る。やがて召喚石が砕け、その中から一体の魔物が姿を現した。
灰色の毛皮。四本の脚。そして背中には、薄い金属のような鱗が何層にも重なっている。狼に似た姿をしているが、その体格は通常の狼より一回り大きい。牙を剥き出しにし、警戒するように周囲を見回している。
「ミレア、鑑定を」
「確認します。種族――グレイメタルハウンド。特徴――高い身体能力、金属質の外皮、物理攻撃への耐性。固有特性――衝撃蓄積」
「衝撃蓄積?」
「受けた物理的衝撃を体内に一時的に蓄積し、攻撃時に放出する能力です」
ノアはレグルを見る。それから、グレイメタルハウンドを見る。
「……レグルとは相性が良さそう」
「ただし、レグルはすでに防御能力が完成に近づいています。配合した場合、防御能力だけではなく、受けた衝撃を反撃へ変換する性質が加わる可能性があります」
「それなら決まりだね」
レグルが一歩前へ出る。グレイメタルハウンドは唸ったが、逃げようとはしなかった。ノアは配合炉へ視線を向ける。
「レグル、もう一段階強くなってもらうよ」
配合炉が起動する。今回は岩炎獣の外殻も必要ない。使うのはレグルとグレイメタルハウンド、そして高品質魔石だけだ。以前の配合よりも素材が少ない。それでも、ノアは慎重に魔力を調整した。
青白い光が二体を包む。グレイメタルハウンドの身体が光の粒へ変わり、その力がレグルへ吸い込まれていく。レグルの黒銀の身体に走る銀色の線が一気に輝いた。
「レグルの防御特性が変化しています」
「どんな感じ?」
「既存の衝撃分散能力と、グレイメタルハウンドの衝撃蓄積が融合しています。受けた攻撃を分散するだけではなく、その一部を内部へ蓄積し、反撃時に放出可能です」
「つまり……殴られるほど強くなる?」
「正確には、蓄積できる範囲内であれば、受けた衝撃を反撃の力へ変換できます」
ノアは嬉しそうに笑った。
「いいね。レグルらしい」
配合炉の光が消える。レグルがゆっくりと立ち上がった。その巨体には大きな変化はない。だが、拳を握った瞬間、周囲の空気がわずかに震えた。
「次はガルドかな」
ノアがそう言った直後だった。
地下施設の入口から、クロウが駆け込んできた。
「どうしたの?」
クロウは低く唸りながら、洞窟の入口方向を何度も振り返る。
ノアの表情が変わった。
「人間?」
クロウが頷く。
「何人?」
クロウが前脚で地面を数回叩いた。
「……かなりいる?」
今度は強く頷いた。
ミレアが即座に状況を整理する。
「洞窟入口付近に複数の人間が接近している可能性があります。装備を整えた集団であるなら、通常の採集目的とは考えにくいでしょう」
ノアはしばらく黙っていた。
エドたちのことが頭をよぎる。
彼らは今回のことをすぐに人間側へ報告するとは言っていなかった。しかし、だからといって秘密が永遠に守られるわけでもない。そもそも、最近の魔力濃度の急激な上昇や巨大な魔力反応を、人間側が放置するとも思えなかった。
「ついに来たか」
ノアは静かに呟いた。
今まで洞窟へ入ってきた冒険者たちは、基本的に偶然だった。魔物を倒し、素材を探し、魔石を持ち帰る。それだけだった。
だが今回は違う。
こちらを調べるために来た人間かもしれない。
ノアはガルド、レグル、セラ、ポヨンを見る。さらにクロウ、ルゥ、モラにも視線を向けた。
「みんな、聞いて」
魔物たちがノアを見る。
「人間が来る。でも、最初から殺すつもりはない」
ガルドが斧を握る。
「私たちの洞窟を守るためなら戦う。でも、逃げる人間まで追いかけない。必要以上に傷つけない。相手が何をしに来たのか、まず確認する」
セラが頷く。
「承知しました、ノア様」
レグルも静かに頭を下げる。
ポヨンだけは意味が分かっているのか分かっていないのか、ぷるぷると揺れていた。
「ポヨンもね」
「ぷる!」
その直後、クロウが再び唸った。
今度は先ほどよりも強い。
ノアが洞窟入口へ向かう。
遠くから、金属音が聞こえてきた。
カチャ。
カチャ。
複数の足音。
そして、誰かの声。
「前方に洞窟があります!」
「魔力反応は?」
「異常なほど高い。報告にあった場所は、ここで間違いありません」
ノアは足を止めた。
人間側も、こちらの存在を探している。
「ミレア」
「はい」
「今度は、ただの冒険者じゃないね」
「装備と人数から判断する限り、組織的な調査隊である可能性が高いです」
ノアは配合炉のほうを振り返った。
新しい施設を探す必要はない。
古代の謎を追い続ける必要もない。
今ある力を使って、この洞窟を守ればいい。
「みんな、準備して」
ガルドが前へ出る。
レグルがその横に並ぶ。
セラは杖を握り、洞窟内の魔力を静かに整える。クロウは暗闇へ消え、ルゥとモラもそれぞれの持ち場へ向かった。
そしてルナは、少し離れた場所から人間たちが近づいてくる方向をじっと見つめていた。
その黒い瞳には、恐怖はない。
ただ、自分の領域へ入ってくる者を静かに見定めるような光が宿っていた。
ノアはその隣に立つ。
「ここから先は、今までとは違うね」
ルナが小さく鳴いた。
洞窟の入口から、最初の人間が姿を現す。
鎧を着た男だった。
その後ろには、十人を超える兵士と魔法使いが続いている。先頭の男は洞窟の内部を見渡し、腰の剣へ手を添えた。
「全員、警戒しろ」
男が低く告げる。
「ここには、通常のダンジョンでは確認されていない規模の魔力反応がある。未知の魔物が存在する可能性が高い」
ノアは物陰から、その姿を見つめた。
まだ相手はこちらに気づいていない。
ならば、こちらから急いで動く必要はない。
ノアは小さく息を吐く。
「さて……どうする?」
ミレアが静かに答える。
「選択肢はいくつかあります」
「聞かせて」
「対話、威圧、撤退要求、あるいは戦闘です」
ノアは少しだけ笑った。
「じゃあ、まずは話してみよう」
ただし。
もし相手がこの洞窟を奪うつもりなら。
今度は、簡単には帰さない。
ノアの背後で、ガルドの斧が静かに鳴った。
レグルの黒銀の身体には、先ほどの配合で生まれた銀色の線が浮かんでいる。
セラの周囲には、見えないほど細かな魔力の流れが集まり始めていた。
そしてポヨンは、いつも通り何も考えていないような顔で、ぷるぷると揺れている。
人間と魔物。
これまで偶然に交差していた二つの存在が、初めて真正面から向き合おうとしていた。




