第85話 研究権限と、幸運の使い方
セラの配合が終わった翌日。
地下施設には、いつもとは違う静かな緊張感が漂っていた。
配合炉そのものは正常に停止している。魔力貯蔵設備にも異常はない。訓練施設もセラが余計な魔力を流しすぎたことで一時的に過剰稼働したものの、現在は問題なく復旧している。
それでも、ノアは施設の奥から目を離せなかった。
昨日、セラの配合が終わった直後に現れた文字。
『魔力適合者――確認』
『次段階――研究権限、解放』
あれが何を意味するのかノアにはまだ分からない。
「ミレア、もう一度確認できる?」
「はい」
ミレアが古代施設の魔力回路を調べる。昨日までは反応していなかった小さな装置が、今は淡い青色に光っていた。
「研究権限がセラ様の魔力特性に反応していることは確認できます」
「研究って、何を研究するの?」
「そこまでは不明です」
「やっぱり」
ノアは腕を組んだ。
「でも、使えるものなら使ってみたいよね」
「推奨はします。ただし、古代施設ですので慎重に操作してください」
「分かってる」
ノアが装置へ近づく。小さな石板のようなものだった。表面には、いくつかの文字が浮かんでいる。
『研究対象を選択してください』
その下に、複数の項目が並んだ。
『魔力』
『魔力鉱』
『魔力植物』
『魔物』
『配合』
『未知』
「……最後のやつ、怖いんだけど」
「未知の項目が最も危険とは限りません」
「でも、未知なんだよ?」
「それは確かに危険要素です」
ミレアが珍しく同意した。
ノアは少し笑った。
「じゃあ、まず魔力から」
セラが前へ出る。
「私が操作します」
「お願い」
セラが石板へ手を伸ばす。
すると、昨日とは比べものにならないほど滑らかに魔力が流れた。石板の文字が変化する。
『魔力解析――開始』
地下施設全体の魔力が、一瞬だけ可視化された。
青白い線が壁の中を走っている。
配合炉。
魔力貯蔵核。
訓練施設。
魔石鉱床。
地下水脈。
さらに、ノアたちがまだ調べていない地下深部へ向かって、細い魔力の流れが伸びていた。
「こんなところにも魔力が流れてる」
「はい」
ミレアが驚いた声を出す。
「これまで確認できなかった地下経路です」
「じゃあ、まだ調べてない場所があるってこと?」
「その可能性が高いです」
ノアは地図を広げた。
現在の洞窟。
地下施設。
王位継承に関係する古代設備。
そして最近見つかった地下領域。
そのさらに下。
魔力の線は、地図に存在しない場所へ伸びていた。
「このダンジョン、どこまで広がってるの……?」
ノアが思わず呟く。そのときだった。奥から、ドン、と小さな音がした。
「何?」
全員が振り向く。
だが、何もない。
「地下で何か動いた?」
「魔力反応に変化はありません」
「じゃあ、気のせいかな」
ノアが再び石板へ向き直る。
その横では、ポヨンがいつものようにぷるぷるしていた。
「ポヨン、今日は大人しくしててね」
「ぷる」
ポヨンは素直に返事をした。そして、ノアたちから少し離れた場所へ移動する。だが、いつものように何かへぶつかるわけではない。何かを拾うわけでもない。ただ、壁際でじっとしていた。
「珍しい」
ノアがちらりと見る。ポヨンは動かない。その間にも、セラの解析が進んでいた。
『魔力流路――解析完了』
『異常流路――一件』
『位置――地下第三層』
「地下第三層?」
ノアが地図を見る。
「そんな階層、作った覚えないよ」
「古代施設の構造として存在している可能性があります」
「じゃあ、行ってみよう」
ノアたちは地下へ向かう準備を始めた。
ガルド、レグル、セラ。
クロウとルゥ。
そしてモラ。
いつもの探索メンバーだ。
ポヨンも当然のようについてくる。
「ポヨンは危険な場所では私の後ろにいてね」
「ぷる」
ノアは念のため念を押した。地下へ続く古い階段を降りていく。昨日まで存在を確認できなかった場所だ。階段の先には、細長い通路が続いていた。壁には古代文字。ところどころに壊れた魔力灯。そして床には、古い足跡のような跡が残っている。
「人間?」
エドたちが残したものではない。形が古すぎる。
ミレアが鑑定する。
「かなり古いものです。少なくとも数百年前のものと思われます」
「また昔の人間が来てたんだ」
ノアは慎重に進む。
通路の先には、三つの扉があった。
左。
中央。
右。
中央の扉だけ、魔力反応が強い。
「ここだね」
ノアが中央へ近づく。
しかし、扉の前でセラが止まった。
「待ってください」
「どうしたの?」
「中央の扉から、魔力が流れています」
「危険?」
「……判断できません」
ノアは三つの扉を見る。中央が最も怪しい。こういう場合、普通なら中央を選ぶ。
だが、ノアは少し考えた。
「まず左を調べよう」
「左ですか?」
「中央が怪しすぎるから」
クロウが左の扉を調べる。
異常なし。
モラが床を確認する。
罠もない。
ノアが扉を開ける。
中には、古い倉庫があった。
魔力鉱石。
古い工具。
壊れた容器。
そして大量の空箱。
「昔の研究施設かな」
ミレアが調べる。
「物資保管庫と思われます」
だが、ほとんどが空だった。
ノアは少し肩を落とす。
「外れかぁ」
その瞬間。
後ろから足音がした。
エドたちだった。
「また地下へ来たんですか?」
エドが慎重に声をかける。
「昨日見つけた装置の解析で、地下に別の施設があることが分かったの」
ノアは簡単に説明した。
エドは周囲を見る。
「……俺たちも手伝いましょうか?」
ノアは少し考える。
「危険かもしれないよ」
「分かっています」
「それでも?」
「ここに何があるのか、自分たちも知りたいので」
ノアは頷いた。
「じゃあ、勝手に奥へ行かない。それだけ守って」
「分かりました」
そのとき、ダグが倉庫の奥を見て言った。
「なあ。あれ、使えそうじゃないか?」
壁際に古い金属製の容器があった。中には黒ずんだ粉末が残っている。
「何だろう?」
リナが調べる。
「魔力鉱を粉末化したもの……かもしれません」
セラが近づく。
「反応があります」
ノアがミレアを見る。
「これ、使える?」
「解析してみます」
ミレアが調べる。
しばらくして結果が出た。
「高純度魔力鉱の残滓です。ただし、長期間保管されていたため、通常の魔力鉱とは性質が変化しています」
「何に使えるの?」
「魔力回路の修復素材として利用できる可能性があります」
ノアの目が輝いた。
「古代施設の修復に使える?」
「可能性があります」
空っぽに見えた倉庫から、思わぬ収穫が出てきた。だが、それはポヨンが何かを見つけたわけではない。エドたちが見つけたものだった。ノアはそのことに少し驚いていた。
「……ポヨンがいなくても、ちゃんと見つかるときは見つかるんだね」
「ぷる?」
ポヨンが首を傾げる。
ノアは笑った。
「いや、悪い意味じゃないよ」
そのとき。
中央の扉の向こうから、突然大きな音が響いた。
ゴォォォン!
「何!?」
全員が身構える。
魔力反応が急上昇する。
中央の扉に刻まれた文字が一斉に光った。
『実験区画――警告』
『魔力供給――異常』
『封印維持率――七十二%』
ノアの顔から笑みが消えた。
「封印?」
ミレアが解析する。
「中央区画に、何かが封じられている可能性があります」
「何が?」
「不明です」
レグルが前へ出る。
ガルドも斧を構える。
セラが魔力を集中させる。
エドたちも武器を構えた。
ノアは中央の扉を見つめた。
「開けない」
即座に判断する。
「封印されてるなら、まず外から調べる」
エドも頷いた。
「その方がいい」
だが、その直後。
中央の扉とは反対側。
誰も気にしていなかった右側の扉が、ゆっくりと開いた。
ギィィィ……。
「え?」
ノアが振り向く。
右側の部屋には、何もない。
ただ、床の中央に小さな円形の魔法陣があるだけだった。
そして、その魔法陣の上に――。
一枚の紙が置かれていた。
「……誰が置いたの?」
ミレアが首を振る。
「生命反応はありません」
ノアが慎重に近づく。
紙には古代文字が書かれていた。
『研究権限を持つ者へ』
その下には、現在の言葉へ自動変換された文章が浮かび上がる。
『この施設は、魔物を強くするためだけのものではない』
ノアは息を呑んだ。
『魔物と人間、その双方が生きるための技術を研究していた』
「……」
エドたちも黙っている。さらに文字が浮かぶ。
『魔力不足を解決するため、魔力循環技術を開発した』
『傷を治すため、生命魔法を研究した』
『魔物の知性を高めるため、記憶適合技術を研究した』
ノアは思わずルナを思い浮かべた。
第二炉。
核。
器。
記憶。
これまで見つけてきた古代施設と繋がっている。
「じゃあ、あの第二炉も……」
ミレアが頷く。
「同じ研究体系に属している可能性があります」
最後の文字が浮かび上がった。
『しかし、研究は途中で中断された』
『原因――』
そこで文章が途切れた。
「またここで終わるの?」
ノアが思わず声を上げる。そのとき、背後から。
ぽよん。
ポヨンが跳ねた。
「ポヨン?」
ポヨンは紙の横を通り過ぎ、そのまま壁際へ向かう。
何かを見つけたわけではない。ただ、壁際に座る。
ノアは少し笑った。
「今回は何も起こさないんだね」
ポヨンはぷるぷる揺れる。
だが、その瞬間だった。
ポヨンが座った場所の壁の奥から、微かな音がした。
カチッ。
「……?」
ノアが振り返る。
壁に変化はない。
ミレアも反応しない。
ノアは首を傾げた。
「今、何か鳴った?」
「確認できません」
そのまま数秒が過ぎる。
何も起こらない。
ノアは気にせず紙へ視線を戻した。
けれど、ポヨンが触れたわけでもないのに、その小さな音をきっかけとして、古代施設のさらに深い場所で一つの装置が起動していた。
誰も気づかない。
その装置は、研究施設の中央にある封印とは別系統のものだった。
そして、それまで眠っていた魔力回路が一本だけ繋がる。
一本。
さらに一本。
複数の回路が、ゆっくりと地下深部へ向かって伸びていく。
偶然が起きた。
だが、それは「何かを拾う」という単純な幸運ではない。
ポヨンが選んだ場所。そこに存在していた古い装置。数百年前から残っていたわずかな魔力。そしてセラが昨日解放した研究権限。それらが、たまたま同じ瞬間に噛み合った。
ノアはまだ、その変化に気づいていない。
「今日はここまでにしよう」
ノアが立ち上がる。
「この紙と魔力鉱の残滓を持って帰る。中央の封印は、準備してから調べる」
エドたちも頷く。
「俺たちは先に戻ります」
「うん。気をつけてね」
「ノアさんも」
エドはそれだけ言って、仲間とともに通路へ向かった。
ノアもセラたちを連れて地下施設へ戻る。
誰も気づかない。
そのさらに地下。
古代研究施設の最深部。
長い年月、完全に停止していた装置の中央に、小さな文字が浮かび上がっていた。
『共同研究計画――再接続』
そして、その下に新たな項目が表示される。
『人間側研究施設――応答待機』
古代の研究は、終わっていなかった。
ただ、長い間眠っていただけだった。




